第328話
あれから、南街道沿いにある商会を全て訪ね、合計して全体の八割ほどを買い占め、それらをホスピティウムに運ぶよう手配し、代金である金貨を転移で送り付けた。ちなみに買わなかった二割は、絵画やら彫像やらの芸術品やヴォクラー教以外の宗教用具、少数民族の民族衣装など、買っても持て余すようなものだ。
西街道に来る頃には、昼を過ぎていたので、東端にあった店に入った。買い食いはしていたのだが、昼食はちゃんと食べたいらしい。
とりあえず、金貨を渡して個室に入り、全品を一人前ずつ頼んだ。
「旦那様、食べ物はその国を表すぞ」
「何が言いたいのだ?」
「南街道と同じ事をしよう」
「いや、さすがに食物の買占めは良くなかろう。せめて三割ほどは残しておこう」
「確かにそうだな。今日が買い出しの日で、今日に向けて家の食べ物を全部食べてる奴らがいたら、腹が減って死ぬな」
「ああ。そうなってはサヌスト人の悪評が広まり、我らの目的に反する事となる」
個室とはいえ、さすがにここで併呑の事を話すわけにはいかぬ。こういう所の壁は意外と薄いし、いつ扉を開けられるか分からぬ。アシルのような者がクィーズスにもいるかもしれぬので、情報の扱いには気をつけねばならぬ。
「旦那様、悪評とかの前に、噂になる事を避けろ」
「何の事だ?」
「サヌスト人とヤマトワ人の二人組が、南アッフェット街道で買い占めをしたせいで、自分達の買い物ができなかった、とか言ってる奴らとすれ違った。三回くらいな」
「何と…よく周りを見ているな」
「当然だ。それからな、傭兵団の前を通った時は、拠点を山賊に奪われた間抜けな奴らが、護衛対象である客に拠点を取り返してもらった、とかも聞こえてきた。こっちはどんな客かは知られてないみたいだが、気をつけた方がいい」
「そうしよう。なるべく目立たぬようにしよう」
「ワタシも我慢しよう」
「いや、我慢はするでない」
「どっちなのだ?」
「…」
難しい問題である。アキに我慢をさせるのも、買い占めや賊討伐をして目立つのも、俺の本意ではない。であれば、目立たぬように買い物をするしかないのだが、やはり俺が出た直後に店から商品が消えたり、閉店したりしては、俺達が原因であると分かるし、それを繰り返せば目立つ。どうしたものか…
「旦那様、悩むな」
「では悩ませるような事を言うでない」
そういえば、架空の人物であるユキを演じるアキは、支離滅裂な理論を展開し、俺を悩ませるのであった。ユキを演じるアキの話は、真面目に聞かぬ方が良い。
しばらくすると、料理が運ばれてきた。昼食とあってか、朝食より多いな。無駄な時間を要するべきではないゆえ、急いで食べよう。
「ユキ、どれを食べる?」
「全部だ。少しずつ食べる。ワタシが食べたやつから食べろ」
「そうか。早く食べねば夕食が食べられなくなるぞ」
「今から急いでも一緒だ。だが急ぐ。まだ半分しか見てないからな」
「ああ。喉に詰まらせぬように気をつけよ」
「子供扱いするな」
アキはそう言いながら、肉に齧り付いた。子供扱いをした訳ではないが、そう言われると、子供のように見えてしまうな。
よく考えてみると、アキが名を借りた妹のユキの方が、アキが演じるユキより上品に感じる。もしかすると、俺達について調べる何者かに対し、妹のユキと旅をしたユキが同名の別人であると印象づけるため、わざと子供らしい振る舞いをしているのかもしれぬ。そう考えると、なかなかに策略家である。
「旦那様も食べろ。食べかけのやつと、そっちのやつは食べていいんだぞ」
「そうか」
俺はアキの食べかけの料理を食べた。それなりの味だ。キトリーや宮廷の料理に比べると、数段落ちるが、市井の料理屋にしては美味い、といったところだ。
クィーズスに入ってから食事の度に思っていたのだが、食文化の違いなどは感じられぬ。俺からしてみれば、サヌストの料理もクィーズスの料理も同じだ。
もしかすると、キトリーのように舌の肥えた者であれば分かるかもしれぬが、俺には分からぬ。
俺自身、舌が肥えているつもりであったが、俺には美味か否かしか分からぬ。なぜ美味いのかも分からぬし、なぜ不味いのかも分からぬ。さすがに甘いとか辛いとか苦いとかを、個々に感じる事はできるが、甘みの中の辛みというような複雑な味はよく分からぬ。
「旦那様、難しい顔をするな。悩むな。いや、妻として聞いてやる。悩みがあれば言え」
味覚について考えていると、アキが骨で俺を指してそう言った。おそらく骨付き肉の骨であろうが、俺はそんなものを食べた覚えはないので、アキが全て食べたのだろう。
アキは『食べ物はその国を表す』と、つい先程言っていたので、俺よりは味覚が鋭いかもしれぬ。相談してみれば、何か違いを説明してくれるかもしれぬな。
「では相談させてもらおう。おぬし、サヌストとクィーズスの料理の違いが分かるか?」
「似たようなものだ。青と紺ぐらいの違いはあるかもしれんが、ヤマトワ人のワタシからしてみれば、大陸の料理は、肉々しくて美味い。ヤマトワの料理は、魚と野菜と穀物が中心で、肉はあまり食べないからな。ちゃんとした肉はたまに食べるご馳走だったが、こっちに来てからは毎回のように肉が出るから嬉しい」
「そうか。だが、俺がヤマトワに行った時は肉を食べたぞ」
「当たり前だろ。あの時、ヤマトワ人にとって旦那様は、そうだな…敵になったら厄介で、味方になったら頼もしい、だけどどっちになるか分からない、そんな感じだった。だから、ご馳走ばっかりを食べた。ワタシも肉の料理屋ばっかり案内した」
「なるほど。ちなみにだが、サヌストとクィーズスの料理が青と紺であれば、ヤマトワの料理は何色だ?」
「赤だな。方角で例えるなら、サヌストとクィーズスが東と東南東で、ヤマトワが北北西だ。正反対ということもないが、全然違う」
「なるほど」
色の例えが分かりやすかったのだが、方角の例えを聞いて分からなくなった。東南東と北北西と同程度の違いと言われても、そもそも方角を比べた事などないので分からぬ。
だが、少なくとも青と紺程度の違いを、アキは感じ取っているのだ。相談して正解であった。
それから、サヌストの料理とクィーズスの料理、ヤマトワの料理の違いを、色々な例えで説明しながら、アキは食事を続けた。
例えとしてアキが挙げたものからいくつか選ぶと、姉妹と兄弟、親子であったり、剣と槍、弓矢であったり、晴れと曇り、霧であったり、色々とあったが、余計に分からなくなったので、色の例え以外は忘れることにした。
食事を終えて店を出た俺達は、南街道の時と同じように、片側ずつ順に見る事にした。今度は南側を西進し、北側を東進する。
順に見ていると、面白い店があった。『新発見の国、ヤマトワ物産展』と書かれた看板が、店前に出ていたのだ。当然、アキは興味を持った。
「おい、表の看板は何だ?」
アキはそう言いながら入店すると、ラスイドを鞘ごと担いで威圧した。これではヤマトワ人の悪評が広がってしまいそうなものだが、アキはそれで良いのであろうか。
ちなみに俺達は帯剣のみをしている。アキは折れた刀とラスイドを二本とも帯刀しているので、事情を知らぬ者からすれば、アキの方が重武装に見えるかもしれぬ。
「表の看板とは…?」
そう言いながら奥から出てきたのは、ヤマトワ人のような髪型のカツラを被り、和服を着た、かなり太った男がでてきた。襟を左前にしているが、逆ではなかろうか…
「だ、旦那様、きっ、斬れっ。死人だっ!」
「俺にはそうは見えぬが…」
「間違いない。やれ!」
「…ああ」
俺が仕方なく抜剣すると、似非ヤマトワ人の男は腰を抜かして失禁した。
これでは斬る気にならぬな。いや、そもそもこんな場所で人を斬れば、例え最初から死人であったとしても、騒ぎになるし、おそらく帰国がかなり遅れる。
「ユキ、この者は生きている」
「…確かに幽霊は漏らさんな」
「お許しを…」
「良い。こちらこそ悪かった。ユキよ、俺が見る限り、死人ではなさそうだが?」
「確かにそうだな。じゃあ、お前は貴人か?」
「一介の商人でございます」
「ユキよ、先程から何なのだ?」
「ヤマトワには、『シニントキジンハヒダリマエ』という言葉があってな。ヒダリマエというのは、そういう着方の事だ」
アキはそう言い、似非ヤマトワ人を指した。似非ヤマトワ人は、何か危害を加えられると思ったのか身構えたが、もちろんアキは何もしておらぬ。
「おぬしに分かりやすく訳してやれば、死者と貴人は俺から見て左側の襟を上にする。つまりおぬしの着方は死者か貴人の着方であり、我が妻は前者と思って騒いだ。すまぬな」
「いえ…ところで、死者と貴族が同じ着方を…?」
「自分で着替える奴は、そんな着方はしない。自分で着替えない奴は、死人と貴人だけだ」
「ユキ、赤子はどうなのだ?」
「ややこしい例外を出すな」
「すまぬ」
「もういい。ここはヤマトワじゃないから、左前でも許す。いや、ワタシの許しなんか、最初からいらんな」
似非ヤマトワ人の男は、なぜか安堵し、立ち上がって店の奥へ戻っていった。着替えに行ったのであろう。
似非ヤマトワ人が奥に戻り、しばらくすると、若い女が出てきて掃除を始めた。こちらはヤマトワではなく、大陸の服を着ている。




