第327話
アマータ・アマートゥス教会を出てから、目的地を定めずに東街道を歩いていたが、特に面白みのあるものはなかったので、露店での買い食いで終わった。歴史的価値がありそうな遺跡は数え切れぬほどあったが、俺やアキは別に歴史的価値など求めておらぬから、素通りした。
南街道に来ると、東街道に比べて人通りが多く感じた。まあ遺跡だらけの東街道など、比較対象としてふさわしくないのだが。
「ユキよ、何かあるか?」
「傭兵なんぞはどうでもいいが、商会を見るぞ。何かいいものでも売ってるかもしれん」
「傭兵はどうでも良いのか」
「当たり前だ。旦那様がその気になれば、傭兵は必要ない。だろ?」
「ああ。だが…」
「だが?」
「いや、今は良い。時が来たら話そう。それより、どの店に寄る?」
「全部だな。いいものを見落としていたら、何となく嫌だ」
「そうか。では行こう」
アキはそう言い、東側にある店に向かった。このまま東側を南下し、西側を北上するつもりなのだろう。そうすれば、行った店かどうかわかりやすい。
最初の店は、宝石や装飾品、観賞用の武具などが飾られていた。王宮に近いゆえ、高級品ばかりを取り扱っているのだろう。表に出ている看板には『王室御用達。シュムック』と書いてある。シュムックというのは、店名か商会名だろう。
「おぉ、おおぉ、おぉーっ、旦那様っ!」
「騒ぐでない」
アキは店に入ると、店内を軽く一周し、俺の方を振り向いてそう言った。なかなか楽しそうだが、店主ではなさそうな店番が顔を顰めた。いちいち騒ぐような客など、金を持っておらぬと思っているのであろう。
「旦那様、財布を軽くしてやるぞ」
「賊のような言い方をするでない。もう少し可愛らしくねだってみよ」
「旦那様…お願い?」
アキはそう言い、手を組んで俺を拝み、首を傾げた。なんと評すべきか、なかなか可愛らしい。レリアにも似たような事をされたことがあるが、レリアに次ぐ可愛らしさがある。
「よし、全て買っていこう」
「いや、全てはいらん。だが、遠慮はせんぞ」
「おぬしに遠慮など期待しておらぬ」
「そうかそうか。じゃ、ちょっと来い。一緒に選べ」
「ああ」
アキは俺の手を引いて店内を歩き始めた。既に目的のものが決まっているかのように、迷わず歩いた。先程一周した際に目についたものを見て回るのか。
アキは指輪や頚飾より、単体の宝石ばかりを見始めた。アキの誕生日には頚飾を用意したが、宝石単体の方が良かったのであろうか。不安になってきたな。だが、今まで隠していたのに、突然明かすのもおかしいし、何より驚かせてやりたいのだ。最初から分の良くない賭けであるのだが、敗北が現実的になると不安になるものだな。
「おい、難しい顔をしてどうした?」
しばらく悩みながら、アキの買い物に付き合っていると、アキに悩んでいる事を気付かれた。何とか誤魔化さねばならぬな。
「おぬし、今まで集めた宝石はどうしているのだ?」
「家に置いてある。落ち込んだ時は眺めて元気を出すし、元気な時は眺めてもっと元気になる。旦那様との夫婦仲の次くらいには大事だぞ」
「俺との夫婦仲の方が大事か」
「当たり前だ。宝石は同じ種類のを買って似た形に加工できるが、旦那様みたいに高得点の伴侶は、たぶん他にはいないからな」
「ここが外で残念だ。今すぐ帰ってしまいたい」
「観光の後だぞ」
「分かっている。気持ちの話だ」
「じゃあワタシも同じだ。さっさと選ぼう」
アキはそう言うと、店番を呼んだ。店番は俺達の会話を聞いて、不機嫌さを隠さなくなり、音を立てて軽食を食べ始めていたのだが、さすがに呼ばれてしまっては対応せざるを得ぬようだ。
「何でしょう?」
「これとあれとあれ、それからあっちのやつ…」
「銅貨じゃありませんが、払えるんでしょうね」
「黙って聞け。今言ったやつと、それとそれ、あっちのやつ以外、全部売れ」
「…は?」
「だから、あれとあれとあれ、あれとあれとあれ、あとこれ以外、全部売れ」
「ですから、お代を払っていただかないと…」
「話の分からぬ者だな。サヌスト金貨であるが、俺が払ってくれる。外貨であるから手数料として一割増しで請求せよ。ああ、サヌスト金貨の枚数を言わねば分からぬぞ」
俺はそう言い、金貨百枚が入った革袋を出し、机の上にわざとらしく置いた。そのおかげで、金貨数枚が溢れ出た。
「は、あ、少々お待ちを」
店番はそう言うと、店の奥に走っていった。上役でも呼びに行ったのであろう。
「旦那様、ちょっとは遠慮したぞ?」
「何を遠慮した?」
「あの剣だ。ワタシが数えただけで、宝石が三十個も使われてる。普通は鞘もあるし、ああいうやつはだいたい鞘も豪華だ。結構高いぞ。だから遠慮した」
「遠慮はいらぬと言ったはずだ。買おう」
「じゃあ、あっちの短剣と指輪も…やっぱり全部買ってくれ」
「そうしよう。これからも遠慮はいらぬぞ」
アキは全てを買う事にしたようで、安心した。指輪や頚飾が嫌いという訳ではないようだ。良かった。本当に良かった。
「さすが旦那様。ちょっと顔を貸せ」
「何だ?」
アキはそう言い、俺の胸倉を掴んで屈ませ、頬に口付けをした。いきなりであるから驚いたが、なかなか嬉しい返礼である。だが、胸倉を掴む必要はなかったような気がするが…まあ俺は気にせぬ。アキはそういう性格であるし、そういうアキを好いたのは俺だ。
「ユキよ、おぬしの接吻は銅貨一枚の価値だ。今回はおそらく金貨数百枚であろうから…」
「ばか。ワタシの唇はそんなに安くない。金貨百万枚だ。それを旦那様割引で十割引き、タダだ。その事を忘れるなよ」
「肝に銘じておこう」
「それからな…」
アキは何かを言おうとしたが、店番が大きな足音の上役を連れて戻ってきたので、口を閉ざしてしまった。先が気になるが、先に買い物を済ましてしまおう。
「店主か」
「はい。多くの品を、サヌスト金貨で買われるということですが…」
「訂正する。やはり全てを買わせてもらう。俺はこう見えても金払いが良い金持ちだ。軽食などをしている場合ではない程のな」
「は?」
「いや、気にするでない。全てを買わせてもらおう。一割増しで、かつサヌスト金貨で計算せよ」
「はい。少々お待ちください」
店主はそう言うと、店番に目配せして商品一覧表を持ってこさせた上、計算を始めた。
俺とアキはそれを待ちながら、店番を睨めつけてやった。すると、萎縮した店番は一礼をして奥に帰った。
しばらくすると、店主が何かを書き始めた。わざわざ請求書でも作っているのであろうか。
「こちらでございます」
店主が差し出した請求書には、小難しい事ばかりが書いてあったが、つまりは『商品代金としてサヌスト金貨三千二十九枚、外貨両替手数料として金貨三百二枚、銀貨九十枚、合計サヌスト金貨三千三百枚を請求する』ということである。
「計算が合わぬが?」
「我々の気持ちでございます。ところで滞在はどちらに?」
「ホスピティウムだ。なぜ聞く?」
「お届けに参ります」
「そうか。では今日中に頼む。明日にはヴァシパラティを発つゆえ」
「承知しました。私に動かせる全てを動員し、必ずお届けに参ります。お支払いはその時にお願い申し上げます」
「分かった。では」
俺はそう言い、アキを連れて店を出た。確かに梱包やら何やらで時間を要するであろうし、そもそも請求書を作った時点で気付くべきであった。
「旦那様、ワタシ達が帰る前に届けに来たらどうする?」
「留守番役に伝えておこう。確か今日は…」
「それならローザだ。エヴラールとケリングと三人で話しているのを見た」
「そうか。念話で伝えておこう」
「そうしろ」
ローザよ、聞こえるか。
───ジル様、聞こえます。何か御用でしょうか───
ああ。シュムックという商会の者が来たら、サヌスト金貨三千三百枚を支払って、商品を受け取っておいてくれ。
───金貨三千枚…───
ああ。転移で送るゆえ、確認しておいてくれ。
───承知しました───
では。
───お待ちください。ご報告がございます───
何だ?
───ドロテアの後任として人虎のシャーロットが到着しました。昨夜のうちに到着したのですが、深夜でしたので、ご挨拶は控えさせておりました。お許しください───
良い。帰ったら会おう。
───承知しました。報告は以上です───
そうか。予備も含めた金貨を送るゆえ、確認せよ。問題が無ければ、連絡はいらぬ。では。
俺はそう言い、念話を終えた。アキと二人きりであるのに、わざわざ他の事に長時間を要するのは、アキに対して無礼であるし、俺の心情的にも好ましくない。
異空間から金貨五千枚を、ホスピティウムの俺の部屋に、直接転移させた。俺自身が転移せず、物だけを転移させるのは初の試みであったが、ローザから連絡がなければ成功ということである。
「旦那様、どうだった?」
「ドロテアの後任が到着していたそうだ。シャーロットという人虎だそうだ」
「そうじゃなくて、ちゃんと留守番役だったか?」
「聞いておらぬが、おそらくそうであろう。ちゃんと了承していた」
「じゃあいいか。次の店に行くぞ」
「ああ」
アキはそう言い、左に向かった。俺の予想通り、まずは東側の店を見に行くようだ。




