第324話
翌朝。俺はアキとリンを連れ、街に出た。リンは一度来たことがあるそうで、道案内を買って出たので頼んだ。
ヴァシパラティは、王都として相応しい程には広いので、リンが来た地域と俺達が見るべき地域は違うのだが、リンは『街の作りには癖があるので、一画だけでも見たことがある私は道案内に相応しいんですよ』と言ってついてきた。
ホスピティウムは国賓対応用に作られたとあってか、王都の中心である王宮に近い。
クィーズスの王都には貴族街やそれに準ずるものはなく、貴族達は好きな場所に住んでいるため、王宮の近くにも平民が住める。まあ王宮の近くなど、平民にとって住む事で得られる益は無いため、ほとんどが各分野の高級店である。
そういうわけで、王宮の見学に来た。もちろん外から眺めるだけである。王宮警備兵に睨まれるだけであるから、見ておいて損はない。
「サヌストの王宮とは全然違うぞ」
「ああ。こちらは宮殿というより城塞だな。治安があまり良くないのかもしれぬな」
「初代王は元々サヌストのクィーズス総督でしたから、クィーズス王家は、どちらかと言えば軍事に傾いているんですよね。それで、王宮は元々総督府で、城塞として建てられたものですから、ファブリス様の言葉の前半は大正解ですよ」
「詳しいな」
リンの情報が間違っていなければ、クィーズスを武力で攻め落とすのはなかなか大変そうだ。王家が軍事に傾いているのであれば、正規軍以外にも軍隊が相当数いそうなものだ。それに、篭城戦が得意と聞いたクィーズス軍が防衛戦に徹した場合、攻略するにはサヌスト軍兵士の数が足らぬ。
「どうせ付け焼き刃だろ。明日になったら忘れてる。やっぱり旦那様の情報係はワタシ以外に務まらんな」
「おぬし、いつから俺の情報係になった?」
「ずっとそうだろ?」
「初耳だ。それよりリン、付け焼き刃の情報で構わぬが、今の国王について聞かせてもらおう」
アキの言い掛かりにリンが反応して喧嘩せぬうちに別の話題を提供せねば、王宮警備隊が出てきては面倒なことになる。騒ぎが大きくなって悪目立ちするのは良くない。
「そんな事、ここで話せませんよ」
「確かにそうか。では移動しよう」
「ですね」
「おい、ワタシ抜きで決めるな」
「ではどうする?」
「こっちに来い。歩きながら話す」
少し拗ねたアキは、俺とリンの手を引いて早歩きで進んだ。
アキは、リンへの反発心からか、リンの指示とは反対方向に進んだため、途中から本来の道と反対方向へ進むように指示を出し始めたと、リンは目配せで俺に伝えたが、アキが気付いたら余計に反感を買いそうであるのに、よくやるものだな。
「で、どうなんだ?」
何度か道を曲がり、路地裏を通って王宮が見えぬ所まで来ると、アキがいきなり手を離して振り返り、そう言った。アキが急に止まったせいで、リンがアキにぶつかったが、アキもリンも何も無かったかのように再び歩き始めた。
「王様のことですよね?」
「クィーズスの王だぞ」
「分かってますよ。今の国王は、イライアス二世です」
「どんな奴なんだ?」
「そんな言い方は失礼ですよ。どんな人かと聞かれても、農民の娘が王様のことなんて詳しく知るはずがないじゃないですか」
「期待したワタシが馬鹿だった」
「あ、でも父が言うには、前の王様に比べたらいい王様だそうですよ。でもまあ、農民にとっていい王様っていうのは、税を軽くしてくれる王様のことですから、単なる倹約家なだけかもしれないですけどね」
「王が倹約家って…旦那様、良くないな?」
リンから情報を聞き出したアキは、同意して欲しそうにそう言った。リンが倹約家として褒めた(とアキは思っている)王を、俺がアキに同意して否定すれば、リンに勝ったということであろうか。
「国王が贅沢をせねば、臣下たる貴族は遠慮して贅沢をできぬし、貴族が贅沢をせねば、それに侍る金を持つ平民も遠慮して贅沢をできぬ。そうなれば、最低限のものしか売れず、商人が値上げをし、民衆の財布の紐が堅くなり、余計に利益が減った商人が更に値上げし、悪循環に陥る。俺の理想とは反対だ」
「そんな教材通りみたいになります?」
「まあならぬな。少々大袈裟に言ったが、国王であるなら多少の贅沢はせねばならぬ。だが、無能な王が過剰な贅沢をしていれば、反感を買う。王とは難しい立場にあるものだ」
「私みたいな、そこそこの家の農民の娘が一番幸せですね」
「いや、良き妻に恵まれた俺が一番幸せだ」
「惚気話はいりませんよ」
「おい、旦那様の話を否定するな」
冗談を言ったつもりが、リンにはあしらわれ、そんなリンに対してアキが怒った。徒口にさえ気を遣わねばならぬのか。窮屈な旅になりそうだな。
「こういう、短気な人も可哀想ですよね。小さな幸せに気づかず、そのせいで大きな幸せも手にできない。私は盗賊に捕まっても、気長に助けを待っていたから、ファブリス様みたいな人に見つけてもらえた。私は幸せ者ですよ」
「旦那様、こいつはちょっとおかしいぞ。身内がほとんど殺されてるのに、自分を幸せ者だと言ってる。裏切るんじゃないか?」
「ユキさん、私はこう考えてるんですよ。私の幸せのため、盗賊は私を攫い、故郷を焼いた。つまり、村のみんなは私の幸せのための生贄だった、とね。そう考えないと、気がおかしくなっちゃいますよ」
「お前…」
「みんなのためにも、私はファブリス様の下で、うんと幸せになりますよ。だから同情とかしないでくださいね」
「今まで悪かったな。困ったことがあったらワタシに言え。なんとかしてやるからな」
「だから同情は…」
「いいんだいいんだ。お、肉が売ってるぞ。買ってきてやる」
アキはそう言い、露店に走っていった。
俺はもうアキの情緒が理解できぬ。架空のユキとしての行動であろうが、アキの中での設定では、ユキは情緒不安定な人物なのであろうか。とすると、俺も苦労しそうなものだ。まあファブリスは、母国に連れ帰りたいと思う程度にはユキを好いている設定であるから、ファブリスとユキは上手くやっていけるだろう。いや、架空の人物の心配などしている場合ではないな。
「おかしな人ですね」
「そう言ってくれるな。ところで、国王以外の王族はどうだ?」
「詳しくないですよ」
「構わぬ」
「一度しか言いませんから、よく聞いてくださいよ。イグナス王太子は、慣例通りヴァシパラティ太守をしてます。次男のアッティカス王子は、放蕩王子として知られてます。長女のエヌーカ王女は、えーと…誰かは忘れましたけど、貴族に嫁ぎました。次女のシャローム王女も一緒です。三女のヴェロニク王女は、名前以外公表されてません。あ、王妃はエヴァンジェリン妃で、どこかは忘れましたけど、伯爵家出身です」
「他は?」
「王弟は元々三人いたんですけど、長弟のスピリダコス伯爵ジョシュア王子は、私が生まれるより前に反乱しちゃって、処刑されたみたいですよ。その時、スピリダコス伯爵は三弟のドウェイン王子が継ぎました。次弟のデューハースト侯爵ハーヴェイ王子は、元々伯爵だったんですけど、ジョシュア王子捕縛の武勲で陞爵してます。ジョシュア王子の件があってから、王弟の二人は武装を禁じられて、軍を退きました。二人とも既婚ですけど、王弟妃が誰かは知りません。多分、子爵家以上の出身だと思いますよ」
「そうか」
クィーズスの王族は、王族であるのに爵位を有するのか。サヌストでは、王族は爵位を有さぬため、変な感覚だ。おそらく、王族間の序列の問題であろうが、王位継承順位とは異なるのであろうか。
サヌストの王族は、国王と王太子のみ正式な婚姻を許されているだけで、そうでない王族は正式な婚姻を許されておらず、人数が増え難いため、爵位という序列が必要ないのだ。ちなみに王太子の子や孫など、将来的に国王や王太子になるべき立場の王族であれば、婚約は許されているものの、やはり正式な婚姻は即位や立太子の後である。
「以上か?」
「王姉とか王妹とか、従兄弟姉妹とかその子供とか、いっぱいいると思いますけど、私は今まで王族に興味なんてありませんでしたから知りません」
「確かに農民の娘にとって、王族に関する知識など必要ないか」
「はい。言い訳みたいで悪いですけど、ほんとにその通りで、こんな私でも詳しすぎるってみんなに言われるくらいですよ」
「そうか」
「あ、明日のうちに調べておきましょうか?」
「頼めるか?」
「はいっ。ここで有能さを示しておきますよ。ちゃんと調べて、ちゃんとした報告書にしますから、ユキさんと逢引でもどうぞ」
「そうか。ではその言葉に甘えさせてもらおう」
リンは自身を有能と称するが、それが誇張でないことが明日分かりそうだ。どうやって調べるのかは知らぬが、まあそれ含めての有能さということであろう。




