第320話
翌朝。目を覚まし、窓を開けると、日の出前であるのに外で焚き火をしているのが見えた。朝から大変だな。
アキが気持ち良さそうに寝ていたので、俺は着替えた後、一人で剣のみを持って部屋を出た。すると、リンが待っていた。
「ファブリス様、相談があります」
「何だ?」
「ここではちょっと…あ、私の部屋に」
「ああ」
リンの誘いに乗ってから気付いたが、今の状況をアキに見られたら勘違いされてしまうな。ただでさえ、アキはリンを誤解しているのだ。まあその時は説明してやれば良いか。
リンの部屋に入ると、茶が用意してあった。最初から連れ込むつもりであったか。
「冷めちゃうかと思って、冷たいお茶を用意しました。どうぞ」
「ああ。それで、相談とは?」
「はい。結構重い相談なんですけど、耐えれますか?」
「他人の悩みに押し潰されるような俺ではない。言ってみよ」
レリアの事であれば話は別だが、今はレリアの存在を隠しているのだ。であれば、他人の悩みなど大事にする必要は無い。
「それを聞いて安心しました。昨日の夜、色々あったじゃないですか。その時、女の人を二十人くらい助けてくれましたよね?」
「ああ。だが、俺の功績と言うよりは、賊の失態だ」
「それはどっちでもいいです。あ、感謝はしてますよ。それで、その人達、私と同郷だったんです」
「つまり?」
「私の村、滅んじゃいました。盗賊のやつら、畑も焼いちゃったし、建物もほとんど壊されちゃってるし、家畜はどこにもいないし、再建のための男手は殺されちゃってるし…」
「そうか」
昨日の賊は、つまりリンの親族の仇ということであったか。数人程度は残しておいてやるべきであったか。いや、リンは復讐を望んでいる様子では無いな。どちらかと言えば、自分の未来について心配しているのだ。
「この話を聞いて、どう思います?」
「正直に言わせてもらおう。殺された者を弔ってやった後は、別の場所で暮らせば良い。おぬしらが望めば、俺が雇ってやろう」
「私含めて二十五人ですよ?」
「ああ。サヌスト銀貨を、少なくとも年間二百枚払おう。それが二十五人であるから、年間銀貨五千枚、金貨五十枚だ。どうだ?」
「そんな…その半分でもありがたいですよ」
「その代わり、俺に叛いてはならぬぞ」
「叛かれるような仕事なんですか?」
「単なる商人よりは、明かせぬ秘密も多い。それを他者に明かせば…」
「その時はひと思いに殺しちゃってください」
「その言葉だけで良い」
「ありがとうございます。みんなに伝えてきてもいいですか?」
「いや、待て。これにそれぞれ署名させよ。それから、一人一枚ずつ、自分の情報を書かせよ。書けぬ者は代筆してやれ」
俺はそう言い、紙を百枚ほど出してやった。ヤマトワ人から購入したものであり、使い切れぬ程あったので、千枚ほどを異空間に入れてあるのだ。
「こんなに紙を…」
「気にせず失敗せよ。では希望者に署名をさせよ」
「はい。お任せ下さい。あ、一つだけ個人的なお願いをします。昨日の夜、漏らしちゃった事はみんなには言わないでください。これだけはお願いします」
「……失禁の事など、今まで忘れていた。つまりはそういうことだ」
「信じてますからね。それじゃ、行ってきますから、お茶でも飲んで待っててくださいっ!」
リンはそう言うと、紙束を抱えて出ていった。
リンに言われるまま承諾したが、さすがに二十余名も同行者が増えれば、動きに制限が生まれる。アンガスに護送の部隊を編成させ、先に帰らせるか。まあ馬車か何かでゆっくり行かせれば良い。
リンが用意した茶を飲んだが、なかなか美味かった。もし相当な阿呆であったとしても、茶の用意をさせているだけで、年間銀貨二百枚を支払う価値はある。これはさすがに褒めすぎかもしれぬが、それだけ美味いのだ。茶だけで比べるのであれば、キトリーやレンカの茶より美味い。
しばらく茶を味わっていると、リンが戻ってきた。意外と早かったな。
「フォルミード村以外の人達も希望してるんですけど…いいですか?」
「フォルミード村?」
「あ、私の村です。いい名前でしょう?」
「ああ。ちなみに人数は?」
「うちの村と合わせると、ちょうど五十人です」
「多いな」
フォルミード村の者が二十五名、そうでない者が二十五名ということか。いや、先に助けていた三十人にフォルミード村の者がいた可能性もあるゆえ、そうとは限らぬか。それにしても、なかなかの大所帯になるな。護送の部隊の手配も急がねばならぬ。
「はい。みんな、一緒にいた人達を殺されちゃってるみたいですし、殺されてなくても合流なんて現実的じゃないですからね。希望しなかった八人は、出稼ぎに向かってる途中だったみたいで、王都まで送ってもらうみたいですよ」
「そうか。その者らには、クィーズス銀貨十枚ずつ配ろう。見舞金だ」
「路銀は大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ。商会長がとんでもない額を持たせてくれた。贅沢な旅をしたとしても、半分以上は余るような額だ」
「それ以上は言わないでください。ぶっ倒れちゃいます」
「そうか。まあ安心して良い。希望者は雇ってやろう」
「ありがとうございます。とりあえず、うちの村の人達の分です。もう一回行ってきます」
「ああ」
リンはそう言うと、紙束を置いて出ていった。フォルミード村の者の名簿であろう。
名簿を見る限り、トゥイードの家名を持つ者、つまりリンの親族はおらぬ。であるのに、フォルミード村の他の者の事まで考えるとは、なかなか面倒見が良いではないか。
とりあえずリンの自己紹介文を読むことにした。
解放暦四百八十五年生まれの十八歳、兄姉が一人ずつ、妹が二人の五人兄妹のちょうど真ん中であるが、フォルミード村の生存者の話によると、血縁者は皆殺しにされ、唯一近しい者と言えば、兄の妻であるキャロル・クックがいるだけだそうだ。
ちなみにリンの兄は、クック家に婿入りしたそうで、家名はクックを名乗っていたそうだ。
特技は、サヌスト語をサヌスト訛りも西方訛りも話せるそうで、その他にはテイルスト語が読み書きでき、話すだけなら魔王語(ヤマトワ語)も扱えるそうだ。
他の特技として、速筆が挙げられるそうだ。具体的には、滑舌の良い者が早口言葉を言ったとしても、一言も漏れずに書き留められるそうだ。
さらにこれは俺の主観だが、字も上手だ。俺が何度も書き直し、一日をかけたものより、リンが適当に書いたものの方が上手だ。これから俺が作る書類は、全てリンに代筆させよう。
ちなみに今回の自己紹介文は、全てリンの代筆だそうだ。なかなかの速筆ぶりであるし、字も上手だ。
その他の事で敢えて挙げるのであれば、村内馬術大会では優勝候補であったとか、馬術以外の運動は不得意であるとか、両利きであるとか、料理は得意ではないとか、まあ普通の活発な村娘といったところである。
二人目の自己紹介文を読もうとしたところ、リンが戻ってきた。
「お待たせしました。どうぞ」
「ああ。そんな事より、おぬし、十八歳か」
「はい。五月に十八歳になりました」
「ユキより十歳も若いぞ」
「ユキさん、若く見えますね。ちなみにファブリスさんは?」
「二十三だ。若く見えるか?」
「若く見えますけど、貫禄もありますよ」
「そうか。年齢の事はまあ良い」
「あ、そうですか」
「俺は護送の手配をしてくる。アンガスはどこに?」
「外で盗賊の死体を焼いてますよ。穴を掘るのは面倒だって」
「そうか。では」
俺はそう言い、リンが纏めた名簿を持って退室した。すると、アキがちょうど出てきた。間が悪いな。
「旦那様っ!」
「何だ?」
「抱きつこうと思ったらいなかったから、びっくりしただろ。もう離さんぞ」
「すまぬな。次からは気をつけよう」
「そうしろ。それよりリンの部屋から出てきたな?」
「ああ。俺が助けた者の今後について、本人達の話を聞いていたのだ。これからアンガスと相談に行く」
「ワタシも行こう」
アキはそう言うと、俺の腕に抱きついて隣を歩いた。朝から幸せだ。
外に出ると、リンの言った通りアンガスとスージーが死体を焼いていた。俺が見た焚き火はこれであったか。
「アンガス、追加の依頼だ。受けよ」
「了解です。詳細を教えてください」
「四十九人の女を、サヌストまで護送するのだ。人数分の馬車、護衛の部隊、旅の間の食糧の手配を頼む」
「分かりました。女の兵士がある程度いた方がいいですよね?」
「そうだな。だが、女だけというのもやめてくれ」
「分かりました。護衛部隊の規模はどうします?」
「騎兵百騎、歩兵百五十、これとは別に食糧輸送の隊と馬車の御者を」
「かなりの額になりますし、準備の時間も必要です。中で話しましょう」
「ああ」
俺とアキはアンガスに連れられ、主屋の広い個室に連れられた。上層部の作戦会議に使っていた部屋だそうだ。
「まず、料金について…」
「前金でサヌスト金貨三百枚を渡す。これは経費分だ。報酬はミミル商会に請求してもらおう」
「分かりました」
「それから、俺が一筆書くゆえ、それを商会長に渡してもらいたい。これは別料金か?」
「本来は別料金ですが…上客ですからね。護送対象の荷物として引き受けますよ」
「そうか。礼を言う」
「旦那様、そんなに勝手に決めない方がいいだろ。エヴェル達と相談するぞ」
「そうしよう。すまぬな、アンガス。夜までに結論を出すゆえ、待ってもらいたい」
「待ちますよ。それから、相談なさるなら、この部屋を使ってください」
「礼を言う」
「それでは俺はこれで。エヴェル様達に伝えておきますから、この部屋でお待ちください」
アンガスはそう言うと、丁寧に部屋を出ていった。態度が変わったな。
俺はエヴラールとケリングに対し、三十一隊の全ての者に加え、リンを呼ぶよう、念話で命じた。




