第301話
翌朝。レリアとアキが起きぬ頃に目が覚めてしまったので、ケリング達に礼を言うため、幕舎から出た。
「ジル様、おはようございます」
幕舎から出ると、ケリングが一人で立っていた。さすがに交代で立っているか。
「ああ。面倒をかけたな」
「いえ。我らはジル様の私兵です。ジル様やご家族の方々のご命令とあらば、例え道楽であろうとも従うのが我らの使命と心得ております」
「道楽か」
「あ、いえ、失言を致しました」
「いや、良いのだ。話は変わるが、おぬしには言っておこう。もし俺とレリアから互いに相反する命令が出れば、レリアの命令に従え。俺は一人でもどうにか出来るが、か弱きレリアには護衛となる兵が必要だ」
「承知しました。アキ様のご命令はいかが致しましょうか」
「それは…その時の俺に聞け。アキは別にか弱くないから、護衛はいらぬ。おぬしに言うのも悪いが、おぬしらより強い」
「承知しております」
「そうか。それだけだ。引き続き頼むぞ」
「は」
俺は話すことが無くなったので、幕舎に戻った。礼だけ言っておけば良いのだ。
俺は再びレリアの隣に寝転び、レリアの寝顔を眺めることにした。
やはりレリアの寝顔は美しいな。この顔の面でも作らせて、等身大人形に貼り付けて戦場に持ち込もうかと思ったが、他人にレリアの寝顔を見られるのは、気に食わぬ。俺は意外と器が小さいし、心が狭いゆえ、レリアを独占したいのだ。ゆえにレリアの面の発注はできぬ。
しばらく幸せを満喫していると、アキが起きた。と思ったが、すぐに寝た。
そういえばアキの寝顔も見ておかねば、アキの機嫌が悪くなるかもしれぬ。以前も似たような経験をした気がする。交互に見るか。
さらにしばらくすると、二人の寝顔を交互に見るのは苦痛となってきた。やはり思うままに動いておらねば、苦痛を感じてしまうか。
レリアがおらぬ時はアキの寝顔を見るのも幸福と感じるが、レリアがいるとレリアには勝てぬな。勝手に勝負をさせてしまって悪いが、戦闘以外ではレリアの完勝だ。
「おい、旦那様。変なことを考えてるだろ」
いつの間にか起きていたアキがそう言い、俺の額を弾いた。二度寝をしたと思ったが、あの時から起きていたのかもしれぬな。何の為かは分からぬが。
「何も考えてはおらぬ。ただ幸せを噛み締めていただけだ。幸せよ永遠なれ、と」
「それならいいが…」
「どうした。気に食わぬか」
「いや、逆だ。気に入った」
「そうか」
「旦那様、目を瞑れ」
「いや、なぜ?」
「いいから」
「仕方あるまいな」
俺はそう言い、目を瞑ってやった。天眼はそのままにしてあるので、周囲の警戒は怠っておらぬ。むしろ、視界が減った分だけ、天眼の視界が鮮明になる。
「ん…ジル……」
レリアがそう言ったので、目を開けず、天眼に魔力を込めて周囲で何が起こっているかを探った。すると、アキがレリアに覆いかぶさっていた。覆いかぶさるだけなら良いが、口付けをしている。眠っているレリアに、アキが自らの唇を当てているのだ。
俺は目を開け、アキを抱き寄せてレリアから離した。
「何をしている?」
「目覚めの接吻だ。間接的にな」
アキはそう言い、俺にも口付けをした。俺を介してレリアとアキが間接接吻をするのは分かるが、なぜ俺がアキを介してレリアと間接接吻せねばならぬのだ。
「おい」
俺はそう言いながら、アキの頭を両手で挟んで口付けを中断させた。あのままでは話せぬ。
「おいじゃ分からんだろ」
「順番が違うではないか」
「ほう?」
「まずはこうだ」
俺はそう言い、眠っているレリアに口付けをした。すると、レリアに抱き寄せられたので、俺はレリアを抱き起こした。
「おい、いつまで抱き合っているのだ。ワタシもいるんだぞ。ていうか、姫はいつの間に起きていたのだ」
「ジルの唇じゃないことくらい分かるよ。これはそのお返し。ちゃんと妬いてね」
レリアがそう反論した。やはり分かっていたのか。とすると、なぜ俺の名を呼んだのであろうか。ただの寝言かもしれぬな。まあ真意はどうでも良い。
「妬いた妬いた。このっ!」
アキはそう言い、抱き合ったままの俺とレリアを押し倒した。まだ朝であるのに。
「ふっふっふ。ワタシを舐めていると痛い目に遭うぞ」
「痛い目って?」
「旦那様も姫も、まとめて食べちゃうぞ」
「やーっ」
アキがそう言いながら、レリアの服の中に入れ、擽り始めた。レリアもレリアで楽しそうに笑っている。寝起きであるのに元気だな。
以前、ローラン殿に妓館へ行ったことを問うと『女の子同士の遊戯を眺めた』と言っていたが、その気持ちが少し分かったかもしれぬ。何とも言い表せぬが、俺自身が加わってはならぬと感じさせる、ある種の美しさを感じる。
「ちょっと、ジル、見てないで止めてよー」
「まだまだこれからだぞ、姫」
「やーんっ!」
「アキ、程々にしておけ。まだ朝であるぞ」
俺はそう言いながら立ち上がり、アキを持ち上げた。アキは楽しそうに手足を振り回した。
「朝じゃなくてもダメだからね」
「それはどうか分からんぞ」
「次やったら、コレだからね、コレ」
レリアはそう言い、人差し指を立てた両手を頭の上にやった。アズラ卿がやっていて可愛いと思った仕草だ。頼んでやってもらおうと思ったが、自発的にやってくれたようだ。いや、レリアは両頬を膨らませており、更なる可愛さが加わっている。
「アキ、よくやった」
俺はアキを降ろしながらそう言った。この仕草をするレリアを見られたのは、アキのおかげと言っても過言ではない。
「ワタシを褒めていいのか?」
「ああ。レリアを見てみよ。とてつもなく可愛いぞ」
「そんな事言われたら、恥ずかしくなっちゃうな」
レリアはそう言い、手を下ろしてしまった。残念だ。いや、あの姿こそを、彫像にしてもらうか。
「で、姫。幕舎はどうだった?」
「できるならベッドで寝たいね。こう、ぐーんってしたら、ちょっと痛かったんだよね」
「ワタシと旦那様はこんな感じの寝床を与えられるんだぞ」
「いや、さすがにこれはない。最下級兵でももう少し寝心地が良いぞ。これを標準とするのは、余程貧乏な軍隊しかあるまい」
「おい、旦那様。馬鹿なのか?」
「なんでいきなりジルのこと?」
「姫、ちょっと待ってろ。来い、旦那様」
アキはそう言い、俺の服を引っ張って幕舎を出た。俺も幕舎から出ると、アキはすぐに止まった。
「旦那様が大変な環境にいると知ったら、帰ってきた時にこれまで以上に甘やかしてくれるぞ。そう思って言ってやったのに、旦那様はワタシの親切に気付かんだのか」
「…なるほど。それもそうだ。しかし、レリアに嘘をつくことにはなるまいか」
「そこにこだわっているんだったな。じゃあワタシが言ってやるから、旦那様は黙ってろ。それならいいだろ?」
「別に構わぬが、なぜそこまでする?」
「旦那様の機嫌が良くなると、普段よりもワタシも大事にしてくれるだろ。それを狙っているのだ」
「…俺に言って良いのか?」
「知らん」
アキはそう言い、幕舎に戻った。
確かに、レリアの近くにいると、俺に対する好意も敵意も、同じ感情を倍にして返しているような気がする。敵は一切許せなくなるし、味方は何もしても許せるような気さえする。不思議なものだな。
俺も幕舎に戻ると、アキが必死にレリアを説得しようとしていた。
「ワタシは硬い寝床を用意された記憶しかないのだ。旦那様が間違ってる」
「理由は知らないけど、あたしを騙そうとしてるでしょ。さっきの会話も所々聞こえたんだからね」
「そんなはずないだろ。旦那様が姫に嘘をつくなど有り得ん」
「ねえ、ジル。何か言ってごらん?」
「…………何も言えぬ」
「ほら、やっぱり。これでジルは嘘をついてないけど、あたしを騙せる。どう?」
「むむむ…」
「やはりレリアには適わぬ、俺もアキも。レリアの言った通りだ。俺が帰ってきた時、レリアが今以上に俺を甘やかすと、俺の機嫌が良くなり、アキ自身も大事にされているような気になるそうだ。アキの見立てではな」
「そんな事?」
「そんな事とは失礼だぞ、姫。ワタシにとって、旦那様の機嫌は死活問題なのだ」
「甘やかして欲しいなら言ってよ。ほら、おいで」
レリアが両手を広げてそう言ったので、俺はレリアに抱きついた。そして、そのまま自然な流れで膝枕へと移行し、レリアは俺の頭を撫で始めた。
最高だ。最高の日だ。我が人生における最良の日だ。もう少し床が柔らかければ…いや、それを加味しても最高だ。
「それでいいのか、旦那様」
「これでいいのだ。今日からは書類仕事もアシルに任せてきたし、暇になる。一日中こうしていたい程だ」
「ダメだよ。たまには交代しなきゃ」
「そうだぞ。ワタシもしたい」
「あ、そういう交代じゃないんだけど…」
「まさか、旦那様と姫の位置を入れ替えるだけか…?」
「そのつもりだったんだけど」
「それならワタシにだって、やりようはある。拗ねた。もう拗ねたぞ。頭を冷やしてくる。夕食までには戻るから、ワタシにもやらせろよ」
アキはそう言い、幕舎を勢いよく飛び出して行った。やりようとは、拗ねて家出をすることであったか。まあ本人も言っていたし、頭を冷やすだけであろう。俺はレリアに頭を撫でてもらっている。
しばらく撫でてもらっていると、サラが幕舎に近づいてきた。天眼で周囲を警戒していると、こういう時に便利だな。
「ジル様、失礼します。朝食をお持ちしました」
「…中断せねばならぬな」
「ジル、お願いがあるんだけどいい?」
「ああ。良いぞ」
「じゃあ、今日のジルは子ども役をしてね。あたしが全部面倒を見てあげるから」
「…いきなりどうしたのだ?」
「ふと思っただけなんだけどね。子育ての予行練習みたいな?」
「なるほど。なぜ俺が子ども役を?」
「別に理由はないけど、他の人でやっちゃったら、妬いちゃうでしょ?」
「ああ。妬く」
「そういうこと」
「では俺は子どもになりきろう」
「じゃあ、よーい、始め」
レリアはそう言い、スープを匙で掬い、息を吹きかけて冷ました。一度匙を口の中に入れ、温度を確かめてから俺の口へと流し込んだ。最高の気分であるが、看病をされている気分でもある。
ちなみにサラは慌てて出ていった。見てはならぬと思ってしまったのか。まあ見世物でないことは確かだ。




