第296話
翌朝。両手に花というより、花畑での午睡とでも称すような心地よい状況を満喫していたら、朝になってしまった。やはり、俺はレリアの傍で幸福を感じている間、知能が低下する。どうにか対処法を考えねばならぬが、今の俺は知能が下がっているので、陸でもない案しか出ぬだろう。
「相変わらず朝が早いな」
アキが寝返りを打ってこちらを向き、そう言った。アキにしては珍しく、自分で起きた。
「起きたか」
「変な夢を見てな。聞きたいか?」
「ああ。だが、レリアを起こさぬよう小さな声で話せ」
「仕方ないな。聞いても驚くなよ?」
「驚かぬ」
「旦那様の敵の魔法使いが、ワタシと姫の魂を入れ替えたのだ。つまり、姫の見た目のワタシと、ワタシの見た目の姫がいるのだ。それでだな、旦那様がその魔法使いを倒しちゃったから、魔法が解けなくなった。で、それから揉め事になりそうだったから、旦那様に抱きついたら、目が覚めたというわけだ」
「そうか。ちなみに聞いておくが、レリアの姿で抱きついたのか?」
「そう言ってるだろ」
アキは相変わらず妙な夢ばかりを見ているようであるが、もし現実にそうなった場合、俺はどうすべきであろうか。俺はレリアの外見にも惹かれているし、性格にも惹かれている。だが、アキがレリアの身体を動かすとなると、表情などはアキらしいものになる。逆に、レリアがアキの身体を動かす場合、可愛らしいアキになるのか。豪快なレリアと可愛らしいアキ、それぞれ魅力があるのだろうが…やはりレリアはレリアらしく、アキはアキらしくいるのが、俺にとって心地よい。
「おい、真剣な顔で悩むな。ワタシは同じ夢を何度も見るような質じゃないから、結末は確認できんぞ」
「結末を知りたいわけではない」
「じゃあ何が知りたい?」
「そうなった場合、どちらをレリアとして扱えば良い?」
「両方だな。ワタシも姫みたいな扱いをされたい」
「そうか。覚えておこう」
「嘘だな」
「レリアの前で嘘は言わぬ」
「どうだか。今度出掛けたら、『そうであったか?』と言うぞ。賭けてもいい」
「ならば賭けよう。俺が忘れていれば、二日間に延ばしてやる。逆に覚えていれば、その翌日はレリアと二人で出掛ける。どうだ?」
「何か証明するものを作れ。忘れる時は賭けも一緒に忘れるだろ」
「それもそうだな。証明書でも何でも作って良いぞ。俺が署名しておけば、忘れていた場合の俺も信じる。仮におぬしが忘れても、おぬしの字で書かれた証明書であれば、おぬしも信じる。どうだ?」
「作ってやる」
「そうか」
まあ俺はアキとの賭けに勝っても得はせぬ。レリアと二人で出掛けるのに、わざわざアキの許可などいらぬのだ。これはアキに対する優しさだ。
「そんなことより、姫が起きるまでに一発くらいできるだろ。やってしまおう」
「いや、しかし…」
「その気にさせてやるぞ?」
アキはそう言い、俺の右腕を胸に抱き、指を舐めた。レリアがここにいなければ、アキの言う通りになったかもしれぬが、レリアの傍では、レリア以外から感じる色気は激減する。
しばらくアキの誘惑を受けていると、左耳を甘噛みされた。この感触はレリアだ。レリアが起きたようだな。
「姫、何をしている?」
「…嫉妬」
アキは俺の口を指で塞ぎ、レリアに話しかけた。朝、レリアと最初に会話するのは、俺の特権と思っていたが、そう思っていたのは俺だけか。レリアもアキも、何も思わず会話をしている。
「それはワタシの感情だ。こんなにしてるのに、何にも反応がない」
「でも妬いちゃうものは仕方ないでしょ?」
「言っておくがな、ワタシが姫から旦那様を勝ち取るのは、姫の死んだ後だぞ。姫が生きてる限り、ワタシは姫には勝てん。だが、たぶん姫より先に死ぬのはワタシだ。姫より五歳も歳上だからな」
「そうだったの?」
「歳上から死ぬのは当たり前だ」
「そこじゃなくて、あたしより歳上だったの?」
「言ったはずだぞ。忘れていたのか?」
「初耳だよ。ね?」
レリアがそう言い、アキが俺の口から指を抜いた。赤ん坊になった気分であったが、悪いものではなかった。哺乳瓶でも買って、まずはアキに渡してみるか。
「レリアは初耳であろう。俺はクラヴジック城で聞いた。来月の十五日、二十八歳になるそうだ」
「いや、その後にも言ったぞ。ワタシの婚約を祝うパーティで、皆に向けて言ったはずだ」
「何と?」
「確か…『ヤマトワ代表のアキ二十七歳、ついに人妻になるぞ。独身のアキ様はもうすぐ終わるぞ。今のうちに握手しておけ』と言ったな。誰も握手してくれなかったが」
「もしかして、アキが帰ってきた日のパーティ?」
「そうだぞ。ワタシの婚約披露宴だ」
「それなら、あたしとジルは出掛けてたよ」
「そうであった。アシルに呼び出されたのだ」
「アイツめ。今までの怨み、今から晴らしてくる。止めるなよ、二人とも」
「別に構わぬが…」
「ジル!」
「今日は肖像画の下描きを描いてもらうのだぞ。おぬしは良いのか?」
「あ」
「すっかり忘れてた。準備しなきゃ」
レリアとアキは忘れていたようで、慌ててベッドから出て、慌てて着替え始めた。
やはり、寝起きは頭が回らぬのであろうか。それとも、俺がレリアの傍にいる時のように、レリアの知能も低下するのであろうか。いや、そんなはずはあるまい。レリアは俺の前でも賢い。阿呆になるのは俺だけだ。
「命拾いしたな、とアイツに伝えておけ」
「別に良いが、アシルは陛下の特命で動いている。帰ってきてからだぞ」
「そうだったな」
アキはそう言いながら、髪を結んだ。毎朝思うが、この仕草も良いものだな。髪の短いレリアにはできぬ仕草だ。別にそれでレリアの魅力が減るわけではないので良いのだが。
「あ、ダメだよ。今日くらいはちゃんと梳かさなきゃ。ほら、座って」
着替え途中のレリアがそう言い、アキの髪を梳き始めた。この光景を見ると、アキの方が幼く見える。いや、この光景でなくても、アキの方が幼い。
それにしても、レリアに面倒を見てもらえるなら、俺も髪を伸ばしてみるか。髪など、毛根に栄養と魔力を送れば、すぐに伸びる。明日には床に着くほどには伸びるだろう。しかし、そうなるとレリアの負担が増えるな。それは好ましくない。
「今度は旦那様が妬いてるぞ」
「ジルもやってあげよっか?」
「良いのか?」
「いいよ。ほら、おいで」
レリアがそう言い、アキが立ち上がったので、俺はベッドから出て、急いで椅子に座った。
自分でこう評すのも変なものだが、今の俺は犬のようであったな。『おいで』と言われて駆けつけるなど、よく躾られた犬だ。
「見たか、姫。犬みたいだったぞ」
「そんな事言わないの」
レリアはそう言い、俺の頭を撫でてから、梳かし始めた。
アキは『頭を撫でられて喜んでる。犬と一緒だ』とか『尻尾があったら、姫に尻尾の往復ビンタが当たってるぞ』とか色々と俺を揶揄った。
「はい、終わり」
「ありがとう、レリア」
「お、あ、え、今、『ありがとう』と言ったぞ。聞いたか、姫」
「ジルもお礼くらい言うよ」
「それはそうだが、いつもはこう言うのだ。礼を言うぞ、アキ」
アキは喉を押さえ、声を低くして言った。俺の真似でもしているのであろうか。そうだとしたら、俺はあんな風に見られているのか。
「俺の真似か?」
「似てるだろ?」
「似てないよ。ジルはこうだよ。レリア、おはよう。用意ができたら朝食を食べに行こう」
「そんな事言われたことないぞ。ワタシの旦那様はこうだ。おい、食べさせろ。さもなくば離縁だ」
「嘘はダメだよ。ジルはそんな事言わない」
「正解だ。もし間違えてたら、ワタシが第一夫人になっていたぞ」
「あたしがジルのことで間違えるとしたら、戦いのことだけだよ。ジルがどんな戦法を使うか知らないし、聞いても多分分かんないし、別に知りたいとも思わないからいいんだけどね」
「そっちはワタシに任せろ。ちなみに姫にも分かりやすく、旦那様の戦法を話してやろう。力押しだ。敵が味方より少なければ圧殺するし、多ければ指揮官を狙う。単純だな」
「言うは易し、でしょ?」
「行うも易しだ。旦那様は強いからな」
「二人とも、俺を褒めてくれるのはありがたいが、画家を怒らせてはならぬぞ。あえて不細工に描かれては、俺の末代は恥じるし、画家の末代は俺に呪われる」
「それは大変だ」
「早く準備しなきゃ」
レリアとアキはそう言い、恋話を中断して準備を始めた。
俺は魔法で着替え、身なりを整えるので一瞬だが、二人はそれなりに時間がかかる。レリアはドレスを、アキは鎧を、それぞれの時間がかかる衣装を選んだのだ。
二人の準備を手伝い、ロアナが朝の挨拶に来る頃には完璧に終えていた。
ロアナに先導され、俺達は庭に出た。すると、画家や彫刻家などに加え、楽団も待っていた。
「お待ちしておりました、公爵閣下」
「ああ。早速だが、始めてもらおう。こう立てば良いか?」
「はい。そちらにお願いします」
ウジェーヌはそう言い、椅子を指した。この椅子は黄金や宝石などが使われており、領主館の謁見室にある物だが、今日のために持ってきた。これまで一度も使っておらぬから、新品と言って良い。
俺達は昨日相談した通りに立った。レリアが椅子に座り、俺が右に、アキは左に立つ。俺はレリアの肩に左手を置き、アキは刀を担ぐ。ちなみに俺もアキと同様、鎧を纏っている。
ウジェーヌの助手と思しき者が鏡を設置し、ウジェーヌが描き始めると、楽団の演奏が始まった。俺達を退屈させぬためか、ウジェーヌ達が集中するためか…芸術家というものはよく分からぬな。
その後、休憩を挟みつつ、何度も姿勢や立ち位置を変え、夜までかかった。
一日中見られるというのは、なかなか疲れるものだ。特に疲れたのは、レリアやアキと接吻の体勢にある時だ。レリアの時はアキ、アキの時はレリアの嫉妬の視線を感じたため、精神的に疲れた。




