第295話
翌朝、というより昼前頃。危険を感じて目を開けると、刀の入った鞘で額を殴られた。少し遅かったようだ。
「もう昼だぞ」
アキが肩に刀を担ぎ、そう言った。どうやら、アキは一人で来たようだ。
「知っている。レリアが気持ち良さそうに眠っているのだ。もう少し良かろう?」
「別にワタシは何でもいい。とりあえず換気するぞ、換気。発情したオスとメスの匂いが篭ってる。ワタシへの当てつけか?」
アキはそう言いながら、窓を鞘で殴って破壊し、換気を始めた。
まさか怒っているのであろうか。確かに、レリアとの幸福の雰囲気を見せつけているようにも思えるが、焚き付けたのはアキ自身だ。それで怒られる筋合いなどはないが…やりたいようにやらせてやるか。
「あ、言い忘れていたが、幸福の芸術とかいう連中が待ってるぞ。旦那様の客だろ?」
「…忘れていた。もう少し待つように伝えてくれ」
「しょうがないな。ワタシに我儘を言っていいのは旦那様だけだぞ。感謝しろよ」
「ああ。礼を言う」
「そうかそうか、礼を言ってくれるか。じゃ、また今度、姫を連れず、二人で出掛けよう。な?」
「レリアを連れず…か………仕方あるまい。付き合おう」
「絶対だぞ。忘れたと言ったら、姫と駆け落ちするぞ」
アキはそう言いながら、廊下を走っていった。
レリアと駆け落ちするとは、どういう意味であろうか。二人はそういう関係ではなかろうに。単にレリアを連れて家出をするというのであろうか。どちらにせよ、断れぬな。
「レリア、起きてはくれまいか」
「起きてるよ」
俺が隣に寝転び、耳元でそう言うと、レリアは微笑みながらそう返した。
「起こしてしまったか」
「アキがね。あんなに暴れてたら、さすがに起きるよ」
「確かにそうであるな。ところで、アキとは駆け落ちするような関係なのか?」
「まさか。駆け落ちするなら、ジルだけだよ。多分、誘拐かなにかと間違えたんじゃない?」
「やはりそうか。安心した」
「それに、アキだってジルと離れたくないだろうから、あれもただの脅しだよ。でも、行ってあげてね」
「ああ」
アキの心配までするとは、やはりレリアは優しいな。
しかし、自分で評すのもおかしなものだが、レリアとアキは俺を奪い合う仲ではなかったのか。現状、レリアはアキを気遣っているし、アキはレリアを尊重している。まあ俺としては、このままの関係が永遠に続けば良いと思うほどには、満足しているのだが。
「言ってきてやったぞ」
刀を担いだアキが戻ってきてそう言った。侍女に任せるべきことであるが、アキの気遣いによって立ち入りを禁じられているらしく、侍女は未だに来ぬ。
「礼を言う」
「さっき聞いた。それより、服を着ろ。何度も言うが、ワタシへの当てつけはやめろ」
「そのつもりは無い」
俺はそう言って魔法で服を着て、レリアの分の服を出した。ベッドは用意してあっても、服は用意していなかったようだ。昨日着ていた服は濡れてしまっているし、匂いもついているので、レリアに着させるわけにはいかぬ。
「で、誰の絵を描いてもらうのだ?」
「決めておらぬが、三人の絵を描いてもらおうと思っている。エントランスに前王の肖像画が飾ってあったのだが、そこに飾る」
「王宮に送っちゃったやつ?」
「ああ。倒したとはいえ、敵であったことには変わりないゆえ」
「おい、そんなの知らないぞ」
「ああ。おぬしが帰る前の出来事だ。知るはずがない」
「アキが来たのは片付いた後だったからね」
「まあいい。そんなことは知らん。早く準備しろ」
「そうだね。あんまり待たせちゃうのも悪いし」
レリアはそう言って服を着始めた。やはりレリアは警戒心が足りぬゆえ、俺が補ってやらねばならぬ。常に天眼で周囲を警戒しよう。
異空間の食事を出し、昼食を摂った後、身なりを整えて外に出た。幸福の芸術の代表ウジェーヌが来ていた。
ウジェーヌは、なぜかトモエにヤマトワ語で絡まれていた。ヒナツもトモエも、サヌスト語を話せるはずであるが、楽をしたいのかヤマトワ語ばかりを話す。そのせいで、ヤマトワ語が分からぬ者とは意思の疎通ができず、今のように相手を困惑させている。
「待たせたな」
「あいやー。公爵の客あるか?」
「ああ。おぬし、暇か?」
「暇ある」
「ならばヒナツに伝言を頼もう。卵は全て使った、と」
「卵、あるか?」
「ああ。それから、愛しのだーりんを裏切るでないぞ、とも言っておけ」
「分かたある。任せるよろし」
トモエはそう言い、嬉しそうに帰って行った。
トモエはヒナツと違い、カイに対する好意を抱いているようであるから、ヒナツが金儲けのため俺に色仕掛けをしたと知れば、しばらくは話し合いが続くだろう。その間、俺はヒナツと出会う心配は無くなる。上手くいけば、トモエはヒナツに対して俺への接触禁止命令を出すかもしれぬ。そうなれば、俺の作戦としては大成功と言っても良い。
「閣下、早速ではございますが…」
「ああ。始めよう」
「その前に、大きさなどを決めなければなりません。いかが致しますか?」
「そうか。そうであるな。ならば来い」
俺はそう言い、ウジェーヌを伴って屋敷に戻った。エントランスでは、レリアとアキが並んで待っていた。
大きさなどを測ったわけではないし、測ったところで芸術で用いる数値など知らぬので、本人に測らせねばならぬ。
「ここだ。以前は別の絵があったのだが、気に食わぬので、とある人物に寄贈した。その代わりを描いてもらいたい」
「気に食わぬ、と」
「ああ。敵であった者の肖像画だ」
「そうですか。この大きさですと、三ヶ月はかかりますな」
「三ヶ月、か。まさか、三ヶ月も動いてはならぬ、という訳ではあるまいな」
「ご安心を。私には、瞬間記憶能力というものが備わっておりまして、一瞬見ただけで、半年は忘れません」
「そうか。ならば安心だ」
「では、構図についてですが…」
「それは考えねばなるまいな」
俺がレリア達の方を見ると、二人はこちらに向かって小走りできた。急ぐ必要などないが、レリアと少しでも近くに少しでも長くいられるなら、どちらでも良いな。
「構図を考えねばならぬ。どうする?」
「いい感じがいいよね」
「もっと具体的に言わねば分からんぞ。そうだな…ワタシと姫の肩を抱いた旦那様、とかどうだ?」
「両手に花というわけか」
「ワタシを花に例えるのはいいがな、そうだな…花に詳しくないから何とも言えんが、強い花がいいな」
「話が逸れてるよ。あ、あたしは可愛い花がいいな」
「レリアは花では例えられぬほどの美しさを備えているのだ。レリアを褒めるつもりで花を挙げても、その花を褒めたことになる」
「別にそれでもいいだろ」
「良くないよ。花は花でいい所があるよ」
「花によるだろ。いい所がない花もあるかもしれんぞ」
「何にでも長所はあるよ。ね?」
「ああ。長所がなければ、淘汰される。そう言ったのはアキ自身だぞ」
「そんな事言ってないぞ」
「では誰が…?」
「別に誰が言った言葉でも、あたしにとってはジルの言葉だよ」
「あの、構図の話は…?」
レリアとアキとの会話に盛り上がり、つい話が逸れてしまった。ウジェーヌを怒らせて妙な絵を描かれては困るから、ちゃんと相談せねばならぬな。
その後、談話室に移り、真面目に話し込んだ。
構図以外にも、絵の正確な大きさや絵の種類、報酬など色々と細かいことを決めた。また、絵画に加え、銅像も発注しておいた。
夜も深くなってしまったので、明日から制作を始めるそうだ。
「それではよろしくお願いいたします」
「ああ。よろしく頼むぞ」
「はい。失礼します」
ウジェーヌが迎賓館に帰った後、侍女を呼んで片付けを始めた。アキが立ち入り禁止令の解除を忘れていたようで、誰も入ってこなかったのだ。
片付けをしている間、談話室で夕食を摂った。
その後、アキが話したいことがあると言い出し、三人で寝室に移動した。
「ふふふ、お待ちかねの夜だぞ」
「別に待ちかねてはおらぬが」
「黙れ。旦那様は大の字で寝ろ。姫は旦那様の左腕を枕にしろ。ワタシは右腕を枕にする」
「アキも一緒に寝るの?」
「ワタシは旦那様の妻だぞ。同衾する権利がある。違うか?」
「違わないけど…」
「じゃあ大丈夫だな」
アキはそう言い、俺を見てベッドを指さした。俺はアキの言う通り、大の字で寝た。
レリアとアキが俺の左右に寝転んだので、二人を抱き寄せ、魔法で灯りを消した。なんと幸せな夜であろうか。




