第288話
俺は王宮から屋敷の前まで転移した。既に土嚢は片付けられており、中の土は庭の穴を埋めるのに使ったようだ。
屋敷に入ると、使用人達が忙しそうに走り回っている。
「おい、何かあったのか?」
俺は侍女の一人を呼び止め、話しかけた。何もなければ良いが、何もなければこれほど忙しそうにせぬだろう。
「おかえりなさいませ、旦那様。こちらへお越しください」
侍女はそう言い、俺を案内した。俺の質問には答えぬのか。
侍女に案内され、大広間に来ると、例の巣が崩れていた。岩を退かそうと、使用人達が縄を結んで引いていた。
「おい、中には誰もおるまいな?」
「いえ、奥方様が…アキ様が閉じ込められておいでです」
「退け」
俺はそう言い、岩に近づいた。天眼を使って確認すると、中にはアキと孅い生命の反応があった。あれが我が娘か。
俺は岩を持ち上げ、異空間にしまった。
「無事か、アキ」
中には卵を庇い、両足を負傷したアキがいた。卵は十二個あり、そのうち二つが割れ、中身がこぼれている。十二人の娘が生まれるのか…?いや、生命の反応は一つのはずだ。
「旦那様か。悪い、卵が割れた」
「いや、その前におぬしだ。足を治そう」
俺はそう言い、アキの両足に回復魔法を使った。おそらく岩が足の上に落ち、骨や健を傷つけていたのだろう。
「他に怪我はないか?」
「ない」
「良かった。それで、卵が割れたと?」
「無精卵が割れた。有精卵の方は守ったから大丈夫だ」
「……無精卵も産むのか?」
「囮だ。産卵後の弱っている時に襲われた場合、これを差し出す。栄養も魔力も豊富だし、何より美味しい。それに媚薬みたいな効果もあるから、襲ってきた奴が群れなら交尾を始めるし、単体なら相手を探してどっかに行く」
「なるほど」
産卵後に弱ってしまうのは、無精卵を十一個も産むからのような気もするが、まあ良いか。今まで淘汰されずに生き残っているからには、それなりに有効な策なのだろう。
それにしても、鴕の卵とほぼ同じ大きさの卵を十二個も産むとは、なかなか命懸けであるな。考えれば考えるほど、報いる方法が分からぬ。
「アキ、礼を言うぞ」
「なんだ、いきなり」
「命を懸けて産んで、命名権だけで良いのか。もっと他に何かないか?」
「気にするな。旦那様が抱卵して、娘が産まれる。これが最大の見返りだ。命名権だけでいい」
「ならば良いのだが…」
「いい。それより早く抱卵しろ。専用の異空間に入れておくだけでいいから」
アキはそう言い、抱えていた卵を俺に渡した。
俺は魔力濃度を高めた異空間を新たに作り、卵を丁寧に入れた。これで娘が生まれるそうだ。
「で、残った囮の無精卵はどうするのだ?」
「姫にあげる。娘とはいえ、旦那様の第一子を産む権利は、第二夫人のワタシにはない。だから、ワタシの娘が孵化する前に、姫が旦那様の子を産んで欲しい。人間はだいたい十ヶ月と言ってたから、二ヶ月以内に、えーと…孕んで欲しい」
「それで媚薬を?」
「旦那様と姫なら、媚薬などなくても、毎夜のように求め合うと思うが、この卵はただの媚薬じゃない。孕む確率が、卵を食べてない時の、だいたい五倍だ」
「そうか」
朝は機嫌が悪かったが、もう直ったようで良かった。わざわざヒナツやトモエに相談せねばならぬのは面倒であるし、俺はあの二人が苦手だ。特にヒナツとは気が合わぬ。
その後、囮の無精卵を異空間にしまい、アキと食堂に向かった。使用人達には、アキが動かした庭の岩などを元の位置に戻すため、徹夜の肉体労働が待っている。
食堂に着くと、かなりの量の料理が用意されていた。数十人程度の規模のパーティであれば、余裕で開ける。
「好きに食べよ。残しても文句は言わぬし、足りぬなら追加で作らせれば良い」
「楽しみだな。栄養豊富と頼んだからと言って、味を疎かにするようなら、ワタシが許さんぞ」
「安心せよ。そのような阿呆はおらぬはずだ」
俺はそう言ったが、そもそも王都の使用人は俺が雇った訳ではない。前王に属した貴族のうち、屋敷と使用人を捨て私領に逃げ帰った者の屋敷を全て俺が引き継いだだけで、その者達が阿呆を雇い、王都に残していったのであれば、阿呆を雇っていることになる。
まあそんな事は気にする必要はない。アキが不味いと言えば、産卵に際して味覚が変わったということにすれば良い。人間でも妊娠や出産を経て、味覚が変わるということは間々ある。
アキは食事を始め、満足そうに頬張った。考えてみれば、アキは昨日の夕食も食べておらぬし、今日の朝も昼も食べておらぬだろうし、かなり腹が減っていたのではなかろうか。俺は昼食にそれなりに良い物を食べたから、悪いことをしてしまったような気がするな。
その後、アキに今日あった事を報告しつつ、食事を終え、今夜はベッドで寝た。
翌朝。今日は遅刻せぬよう、早朝に起きた。アキはしばらく休ませたいので、置き手紙を残して王宮に向かった。ちなみに今日は絹服を着ていく。俺は武装も許されているが、文官の視線が不快だ。
王宮に着き、客将室でエヴラールと合流した後、会談の間に向かった。この部屋は、公式の御前会議であったり、異国の王族やそれに準ずる外交官との会談など、他の会議室とは一線を画す風格を有する部屋だ。
既に数名の文官が来ており、その中には侯爵や伯爵などもいる。
上座の方から、エジット陛下、ヴァーノン卿、ジェローム卿、俺、ジュスト殿、と席が用意されており、俺は着席して待った。エヴラールは俺の背後に立っている。各人一人まで、従者を召連れることが許されている。
ちなみにジェローム卿の職名は『全軍総帥』と言い、サヌスト全軍を指揮する立場にある。かつての五つの将軍の権限を全て有する。それに次ぐのはジュスト殿で、『辺境軍総帥』となっており、これは全ての辺境軍を統括する。
俺の職名についてであるが、客将の正式名称は客将軍といい、これは国王直属にあり、国王以外の何者にも属さぬ、という武官職だ。本来、サヌストの武官にはならぬ者に与えられる。例えば、公家貴族であったり、異国出身の将軍はこの称号が与えられる。俺は前者だ。
しばらくすると、皆が集まってきた。ジュスト殿が来る頃にはほとんどの席が埋まっていた。
「失礼なことだが、ひとついいか?」
「俺が礼を失した時も許してくれるのであれば、構わぬ」
「じゃあ聞くが、昨日言ってた産卵ってのは、鶏とかと一緒の感じなのか?」
「いや、どうであろうか…俺は見ておらぬからな」
「大きさは?」
「鴕の卵と同程度だ。それを無精卵含めて十二個産んだ。二個は割れたようだが」
「無精卵も産むのか…」
「ああ。有精卵は一つだけらしい。有精卵の殻は石のように硬いらしいが、無精卵は鶏卵より少し硬いくらいだ。と言っていた」
「なるほどな…」
「気になるなら、妻の祖父を紹介しよう。ヤマトワで内乱をしているところだ」
「いや、それは結構だ」
「それもそうか」
ジュスト殿は俺に対してであるから、気軽に聞いているのであって、わざわざ仲良くもないアキの祖父にまで聞こうとは思わぬか。
その後、しばらく待っていると、ジェローム卿とヴァーノン卿が並んで入室した。二人が席に到着すると、陛下が入室した。
俺達は立ち上がり、頭を下げて陛下を迎えた。
「顔を上げて座るといい」
陛下が着席してからそう言ったので、俺達もそれに続いた。一気に緊張感が走ったな。
「これより、予に対する忖度の一切を許さぬものと心得よ。その上で始めよう」
陛下はそう言い、片手を上げた。ヴァーノン卿がそれに応じ、家名制度について説明を始めた。ここに呼ばれる程の者であれば、家名制度など承知の上であろうが、念の為である。
その後、ドーヴェルニュ家やフランツ王についても説明された。
「以上で家名制度について説明を終えます」
「では諸君に問おう。家名制度復活について賛成か否か」
陛下がそう言い、投票が始まった。
文官が箱を持ち、下座の者から投票用紙を回収し始めた。匿名のように思えるが、ちゃんと記名している。




