第286話
俺達はアシルの特命について話した後、夕食を摂りながら、クラヴジック城攻防戦について話し込んだ。アデレイドのこともジュスト殿に紹介しておいた。
結局、夜遅くまで話し込んでしまったせいで、ジュスト殿と二人きりで話すことはなかったが、まあ良いか。戦の後処理が終わるまでは、俺は王都にいるつもりだ。一度レリアに会ってしまえば、少なくとも半年は離れられぬようになってしまう。
翌朝。目が覚めると、アデレイドや僅かな侍女の気配が屋敷から消えていた。
アキを起こさぬようにベッドから出て、着替えてから庭に出ると、門の前に土嚢が積まれ、出入りが拒まれていた。裏門に回ってみても、それは同様であった。
再び表門に行き、土嚢の山によじ登ってみた。すると、外にも土嚢が積んであり、そこに張り紙があった。
張り紙には拙いサヌスト語が書いてあり、要約して普通のサヌスト語に直すと、『魔法実験中。魔法知識無き者は、命が惜しくば、立ち入るべからず』とあった。綴字を間違っていたり、使うべきではない類義語が使われていたり、ヤマトワ文字でサヌスト語の発音が書かれていたりするので、おそらくアキの書いたものであろう。
振り返って屋敷に戻ろうとすると、庭園が掘り返されているのに気付いた。岩や植物などが様式美に基づいて配置されていたはずだが、それらがあった場所には穴があるだけだ。賊であれば嗜好の変わった賊であるし、そうでないならもっと奇妙だ。
とりあえず落ち着こうと、食堂に行くと、置き手紙があった。ヤマトワ語で、『庭の物はワタシが使わせてもらった。門のことは気にするな。大広間は立ち入り禁止だから、扉に触るな。朝食は適当に食べろ』と書いてあった。
大広間に何かあるのか。とりあえず食べながら考えるか。
考えながら食べたが、やはり意味が分からぬな。大広間に行ってみるか。
大広間に向かう途中、いくつも『大広間は立ち入り禁止』と書いた張り紙があったが、それらを無視し、進んだ。
大広間の扉の前に着くと、厳重に施錠されていた。アキ自身も開けるのが大変ではないのだろうか。まあ良いか。
俺は剣を抜き、火魔法で熱した。そして鎖やら鍵やらを焼き切った。
扉を開けようと、押してみたが、動かぬ。引いてもみたが、やはり動かぬ。
俺はしばらく考えた末、扉を蹴破った。後で直せば良い。
「これは…」
庭にあったと思しき岩や植物が集められ、生き物の巣のようになっている。床には土が敷き詰められており、部屋の隅の方に毛布が一枚置いてある。何の魔法実験であろうか。
巣穴を覗いてみると、牧草が敷き詰められ、その上に毛布が置いてあった。毛布の近くには、水を張った桶や干し肉などが置いてあり、さらに混乱を深める結果となった。意味が分からぬな。
「おい、忠告したはずだぞ」
巣穴を覗いていると、背後からアキの声がした。忠告とは張り紙のことであろうか。
「すまぬ。しかし、これは何だ?」
「秘密だ。今は言えない。絶対に言えない」
「いつになれば言える?」
「夕食後だな。それまでは庭にいろ」
「いや、意味が分からぬ。なぜ庭に?」
「いいから。絶対に損はさせん」
「だが…」
「愛しの娘に会えなくなってもいいのか?」
「…は?」
愛しの娘とは誰のことであろうか。俺に子はおらぬ。万が一、俺がクラヴジック城にいる間に、レリアの妊娠が発覚したとしても、娘とは分からぬはずだ。
とすると…アデレイドのことを指しているのであろうか。しかし、愛しの、と付いているので、アデレイドでは…いや、アキには婚約した時の状況を説明していなかったか…?いや、したはずだ。では、ますます意味が分からぬ。
俺が会えなくなって困ると判断され、それでいて、愛しの娘と称されるような者は…思いつかぬな。
「ま、旦那様には分からんだろうな。だが、ワタシの言う事に従わなければ、絶対に後悔するぞ」
「そうか…では従おう」
俺はそう言い、大広間から出た。それから創造魔法で扉を直し、その場を去った。
屋敷から庭園に出ると、まずは安楽椅子を設置し、日除け傘を近くに立てた。何か暇を潰せるような物があれば良いが…
俺はとりあえず、レリアについて、書き纏めることにした。
俺は机を創り、筆記具を出して、表紙に『レリア記』と書いてから開いた。
まずは短所を考えてみるか。長所を考え始めると、おそらく短所を書く隙間が無くなるし、短所を考える方が難しそうである。
結局、いくら考えても、レリアの短所は『レリアの事を考えていると、俺の知能が著しく低下する』の一つだけだ。やはり、この短所のせいで思いつかぬのであろうか。それとも、今は俺の知能が低下しておらず、レリアの短所は無いという結論で良いのであろうか。まあ考えても分からぬな。
次は長所か。いや、その前にレリアの人物月旦でも書くか。無いとは思うが、俺が記憶喪失せぬとは言い切れぬ。記憶を失っても、もう一度レリアに恋をすると思うが、まあ良い。
生年月日は、アンドレアス暦四百八十年九月二十七日。
生家は第四将軍格家。父はジスラン様、母はナタリア様。長兄にリアン殿、次兄はリノ殿、長弟はジェレミ。長妹にイリナがおり、次妹はイリス。イリスとジェレミは双子で、レリアとは異母姉弟。
あとは…父方のみであるが、叔父にアラン殿、ローラン殿、伯母にクララ殿、叔母にヴェラ殿、継母にカーラ殿。
これだけ書いておけば、記憶を失ったとしても、レリアの情報としては十分であろう。他はレリアと接するうちに知れば良い。
本題の長所を書き始めようとしたところ、日が暮れたため、蝋燭に火をつけた。
「おい、何を書いているかと思えば、姫の事じゃないか」
「ああ。俺が記憶を失わぬとは言い切れぬからな。その時のために備えている」
「ちょっと貸してみろ」
「待て。まだ完成しておらぬ」
「知ってる。貸せ」
アキはそう言い、俺の膝に座ってレリア記を最初から読み始めた。許可を取るべきは、レリア記についてではなく、俺の膝に座ることについてであろうに。
ちなみに、アキはサヌスト語を読むことはできる。書けぬだけで読めるのだ。
「おい、ここ間違えてるぞ」
「どこだ?」
「姫の短所だ。これは姫の短所じゃなくて、旦那様の短所だ」
「………確かにそうだな。訂正しておこう」
俺はそう言い、『レリアの短所』から『レリアと関わった場合に被る損害』と書き直した。損害というほどでもないが、記憶を失った俺に対する警告文である。知能が下がるぞ、と。逆に言えば、知能が下がったとしても、愛すべき存在であるということが、記憶を失った俺に伝われば良いが。
「おい、ここに解放暦も書いておけ。異国で記憶を失うかもしれんからな」
「それもそうか」
俺はそう言い、人物月旦の生年、アンドレアス暦の近くに注釈を書いておいた。
解放暦とは、サヌスト以外で使われている暦で、年月日はアンドレアス暦と同じだ。サヌストに依存せぬように、という理由で使われている。アンドレアス王はサヌスト国王であり、サヌスト以外の国王ではない。アンドレアス王の名が民衆に浸透せず、解放王の名で浸透している国もあるほどだ。
「で、長所は?」
「全てだ。短所が無いなら、全て長所だ。短所があったとしても、長所に含めよう」
「甘いな。ちなみにワタシの短所は?」
「短気であること。アシルと仲良くできぬこと。自分本位であること、悪酔いするくせに酒を飲むこと、露出癖が…」
「…もういい。悲しくなってきた」
「いや、短所があるのは普通だ。俺も自分では分からぬが、短所があるはずだ。レリアが特別なだけであるぞ」
「違うな。恋は盲目、つまり旦那様が馬鹿になってるだけだ。それから、ワタシも旦那様の欠点が思いつかんから、同じ症状だ」
「そうか」
俺に欠点がない可能性も捨て切れぬが、おそらくアキの指摘通りであろう。レリア記にも書いた通り、俺の知能が著しく低下しているだけだ。
「違う違う。ワタシはそんな話をしに来たんじゃない。夕食を持ってくる」
「外で食べるのか?」
「ダメか?」
「たまには良かろう」
アキは嬉しそうに屋敷に戻っていった。
俺はその間にレリア記をしまっておいた。レリアに関するものを汚してはならぬ。たとえレリア本人が知らぬものでも。
アキは鍋を抱えて戻ってきた。鍋が好きだな。
「待たせたな。ワタシの椅子も出せ」
「ああ」
俺が椅子を創ってやると、アキは鍋を机に置いてから座った。昨日とは具材が違うようだ。
「ワタシ特製の鍋だ」
「ああ。なかなか楽しみだ」
「存分に食え」
アキはそう言い、器に取り分けてくれた。野菜が多いな。大豆やらルセルリやら茸やら、色々と入っている。南瓜の種まで入っているな。
一口食べてみると、葫の風味がした。牡蠣の匂いもある。食べ進めると、肝臓のような物がいくつも入っている。それも牛だけではないな。豚や羊、鶏や魚の肝臓まで入っているぞ。
「肝臓の鍋か」
「正確に言ってやろうか。ん?」
「正確に言ってみよ」
「性欲増強に効くものしか入れてない」
「…性欲?」
「今夜は子作りだ。ワタシに子種を寄越せ。少なくとも、今夜中に十回は寄越せ。とびっきり可愛い娘が産まれるような卵を産んでやる」
「…なるほど」
朝言っていた、愛しの娘とは、俺とアキとの間に産まれるはずの娘のことか。理解できた。理解……できた。
「分かったなら、さっさと食べろ。ワタシはそんなもの無くても、我慢の限界だ」
「急かすな」
俺はそう言いながらも急いで食べ終えた。
不思議な感覚であるが、アキがいつもより魅力的に見える。いや、いつもこうであったか…?
アキは服を脱ぎ捨てながら、俺の手を引き、大広間に走った。あの毛布はそういう毛布か。
「ようやくだな」
アキはそう言い、俺を押し倒した。




