第279話
アデレイド保護の作戦をいくつか立て、海月亭に戻った。ローラン殿には打算がありそうだが、まあ打算によって助けられる者がいるなら悪くない。
「待たせたな。とりあえず婚約ということで話がついた。今月中に結納金を持って来させるから、準備をしといてくれ」
「よろしく頼む、アデレイド」
ジャンリュックに対しては、ローラン殿の説明で充分だ。アデレイドも満足そうに俺の握手に応じたし、万事上手く運ぶであろう。
「ではこちらと致しましても準備がありますから、失礼します」
「俺はここに残るから、何かあったら俺を頼ればいい。可愛い可愛い姪っ子に土産を買っていこうと思ってな。ジル君、荷物運びに何人か貸せ」
「そうですな…パッセルス閣下、人虎隊から十名ほど、手配していただけませんかな?」
「承知した。と言うより、客将閣下の私兵に対する指揮権など、元々持ち合わせておらんからね。閣下の命令をそのまま伝えよう」
「そういえばそうでしたな。では失礼」
俺はそう言い、店を出た。
最後に振り返ると、ジャンリュックがさじに盛られた塩を食べ、蜂蜜で流し込んで幸せそうな顔をしていた。狂人だな。
ちなみにアデレイドは、それを気色悪いものを見るように、一瞬だけ見てすぐに目を逸らした。やはりアデレイドは正常な味覚を持つらしい。
店を出てしばらく行くと、アキ達と会った。どうやら俺を迎えに来ていたようだ。
「終わったのか?」
「ああ。提督の娘を貰うことになった。それからローラン殿はマルク・フェルナンドでレリアに土産を買うそうだから、おいていく」
「提督の娘を貰ってどうする?」
「婚約ということで話がついた」
「おいおいおいおい。ワタシの時は随分と時間をかけさせたくせに、お偉方の娘だったら早いもんだな。そんな俗物とは思わんだ。そいつが醜女だったら、ワタシはヤマトワに帰るぞ」
「待て待て。早とちりをするな。年齢は聞いておらぬが、おそらく十歳にも見たぬ幼子であるぞ。妬くでない」
まさかアキが怒るとは思わなかったが、よくよく考えてみれば、レリアにすら相談せずに決めてしまって良かったであろうか。いや、良くないな。
まあアデレイド保護作戦が終了する頃には、成功であっても、失敗であっても、婚約どころの話ではなくなる。心苦しいが、レリアには婚約云々は話さずとも良い。
「閣下、現マルク・フェルナンド提督ジャンリュック卿の末の娘御は八歳です。提督には子が二十四人おり、そのうち十八名が女児であったと聞いています」
「二十四人の子…」
「本人が認知し、養っている者だけです。そうでない者も含めれば、百人に上るとの事です。あくまで噂ですが」
「百人…すると、妻や情婦なども多いわけだ」
「そうなります。正妻でさえ、五度は替わっていると聞きます」
「なるほど」
モルガンによる情報を踏まえると、アデレイドの母の死因を覚えておらぬのも無理はない…か?いやいや、子を産ませる程の仲である事を考えれば、薄情であるか。一人あたり二人産んだとして、情婦や側妻を含めた妻は五十人だ。そもそもが不誠実であるから、薄情か否か以前の問題だ。
俺は二人の妻がいるが、それでもレリアに対して多少の罪悪感を抱いている。ジャンリュックには、そもそも不誠実とかいう概念が無いのかもしれぬ。俺とは正反対の人物と思って良かろう。
「なに悩んでいる?帰るぞ」
「ああ。すまぬ」
アキは俺にヌーヴェルの手網を渡し、先に駆けていった。やはりどうにか機嫌取りをせねばならぬな。
勘違いであることを説明してしまうのも一つのてであるが、作戦内容が漏洩した場合、俺はかなりの痛手を被る。アデレイド保護作戦の内容は法に反することであるから、再起不能であろう。
「モルガン卿、私事に巻き込んですまぬな。いずれ報いよう」
「ありがたきお言葉ですが、閣下のご命令は即ち陛下のご命令。王家に尽くす事こそ騎士の誉れなれば、報いなど必要ございません」
「そうか」
俺はそう言い、出発した。
今は昼過ぎであるから、明日の日没までにはクラヴジック城に帰還できるはずだ。
精鋭を選りすぐっただけあって、夕食後も移動を希望し、クラヴジック城には二十六日早朝に到着した。
早朝であったが、見張りの兵士などはいるので開門を乞うた。それによりヴァーノン卿やアクレシスにも報せがいった。
兵士達は休ませ、モルガンのみを連れてヴァーノン卿、アクレシスの待つ会議室に向かった。アキはいつの間にか機嫌を直し、俺の右に出たり左に出たり、ふざけていたのが災いし、疲れて寝込んだ。
「アルフレッド派連合軍がマルク・フェルナンド港より出航したことを確認し、帰還した」
「僭越ながら閣下の報告を補足しますと、アルフレッド派連合軍とは海上で一戦を交え、大型武装商船一隻を撃破、王太子旗を奪還しました」
俺とモルガンはヴァーノン卿とアクレシスにそう報告した。報告書は文官が代筆し、後の確認だけで良いとヴァーノン卿が言ったのだ。そのため、口頭で報告し、俺達は休む。
「それでは三日後、中央軍と文官は王都に帰り、代わりに辺境軍の派兵を要請しましょう。二人はそのつもりで休憩なされよ」
ヴァーノン卿がそう言い、俺とモルガンは退室した。
その後、モルガンと別れ、私室に戻った。既にアキがベッドに大の字で、それも全裸で寝ている。鎧や衣服は脱ぎ捨てられ、刀とローラン殿に貰った宝石を枕元に置き、幸せそうな寝顔をしている。
「やっと帰ってきたな」
俺がアキの服を集めていると、アキが大の字のままそう言った。目が覚めたのであれば、起き上がってから話せば良いものを。
「起こしたか?」
「いや、起きてた。ずっとな」
「そうか。三日後に帰るそうだ。俺は片付けをしておくから、好きに寝ていよ」
「嫌だ。ここに寝ろ」
アキはそう言い、自らの横を叩いた。俺に寝ている時間など無いというのが分からぬのであろうか。そもそもアキが他人に片付けさせたくないと言ったから、俺が片付けているのだ。
「いや、しかし…」
「おい、そんなに提督の娘が良かったのか?」
「いや、そうではない。おぬしが散らかした物を片付けるのは今しかないのだ。起きた後は色々と忙しかろう」
「なら起きた後に一緒に片付ければいいだろ。そんな事より早く来い。じゃないと不機嫌になるぞ」
「…仕方あるまいな」
俺はそう言い、寝間着に着替えてアキの隣に寝転んだ。すると、アキは俺の頭を抱きしめ、湿った胸に押し当てた。おそらく、これは汗だな。汗の匂いがする。
「体は拭いたか?」
「拭いてない。不快か?」
「そうは言っておらぬが…まあ良いか」
どうせ言っても直らぬ癖であるし、妻として認めた以上気にせぬ。いや、気にはなるが、無視できる程度だ。
「じゃあ最初から気にするな。それより何も思わんのか」
「どういう意味だ?」
「裸の妻に抱きしめられて何も思わんのか、と聞いているのだ」
「考えぬようにしていたことを言うな。来月までは禁欲する、と約束したではないか。あと五日だ。耐えよ」
「あと五日か…そういえば、旦那様は明日が誕生日だな」
アキはそう言い、俺を解放した。俺の顔も汗にまみれてしまった。
そういえば明日が表向きの誕生日で、レリアの誕生日のちょうど一か月前に、と決めたのであった。俺の本当の誕生日は一月一日であるが、その日は『お告げ』を賜ったり、それを周知したり、とにかく忙しくなる見通しであるから、レリアの勧めで偽の誕生日を定めたのだ。
「表向きはそうなっている。レリアと決めたのだ」
「本当の誕生日はいつだ?」
「一月一日だ。覚えやすかろう?」
「日付くらい覚えられる。それより、表向きの誕生日には何が欲しい?」
レリアやアキは、表向きの誕生日に物を贈ったからといって、本当の誕生日に何も贈らぬような性格ではない。だが、俺だけ誕生日の贈物を二度も貰うのは不公平であるから、断り文句を考えてあったのだ。
「より一層、深い愛を」
「…何もいらんのか」
「ああ。今の俺はこう見えても、かなり幸福だ。これ以上の幸福など思いつかぬほどだ」
「ならもっと幸せにしてやろうか」
「いや、今のままで充分だ。これ以上幸福になったら、反動が怖い。おそらく死以上の不幸に襲われる。それは望まぬ」
「旦那様がそれでいいならワタシもいいが…」
「そんな事と言っては無礼だが、そんな事より眠っておいた方が良いぞ。俺は今から眠る」
「あ、おい、待て。先に寝るな」
アキはそう言い、強く目を閉じて、俺の腕に抱きついた。
仮にレリアが同じ寝方をした場合、俺は両手に花という状態になる。やはり、今以上の幸福は望まぬ方が良かろう。




