第278話
船着場に近づくと、パッセルスの姿が見えた。スタニックやアブデラティフなど、他の将もいる。やはり咎められるか。
舟が桟橋に着くと、俺は王太子旗を持ち、上陸した。言い包める機があるとすれば、王太子旗という戦果のみだ。
「総督閣下御自らお出迎えとは、光栄なことですな」
「客将閣下、我が尻拭いをしてもらって、感謝する。王太子旗の奪還など、考えも及ばなかった」
パッセルスは意外と気にしておらぬのか。いや、まだ分からぬな。俺を油断させた上で、軍令に反した罪の自白を誘っているのかもしれぬ。
ここは敢えて下手に出てみるか。自白してやっても良い。罰するなら罰すれば良いのだ。あまり褒められた考え方ではないが、たとえ投獄されようとも、陛下に伝われば解放して下さるだろう。最初から恐れることなどなかったのだ。
「いえ、誉められるような事はしておりませぬ。閣下のご命令を軽んじ、マルク・フェルナンドに潜伏、そして無断で交戦。如何様にもご処罰ください」
「王太子旗の奪還が無ければ投獄も考えたが、無事奪還した。ただちにクラヴジック城に戻り、軍務を全うなされよ」
「ありがたき仰せにございます。では、我が隊は撤退します」
「いや、提督も話があるそうで、食事でもどうだね?撤退もその後で良い」
「それではお言葉に甘え、ご一緒させていただきます」
どうやらパッセルスは本気で俺を罰するつもりは無いようだ。ならば下手に出る必要もあるまい。パッセルスは俺にとって上官にあたるから、あまり上手に出過ぎてもならぬが。
「貴殿が客将軍閣下か。噂によると、使徒様でもあられるとか。先程の活躍を見る限り、客将軍の地位は実力で手に入れたと推察する。まことに恐れ入った。公爵の地位はどう手に入れたのか存ぜぬが、政治手腕も優れておるのでしょうな。いやはや、まことに恐れ入った。今後ともぜひご懇意に。おっと、名乗り遅れましたな。私はマルク・フェルナンド提督ジャンリュックと申す」
舌に油が塗ってあるかのような喋り具合で、肥太ったジャンリュックが手を差し出した。握手を求めているのか。
「閣下もご存知かと思われるが、客将ジル・デシャン・クロード公爵だ。今はクラヴジック城守をしている」
俺はそう言い、手を握ってやった。手汗がすごいな。油を塗っているのは手の方であったか。いや、手と舌の両方か。両方に質の悪い油が塗ってあるような男だ。あまり懇意にする必要もなかろう。
「では閣下、私は隊を纏めて撤退の準備をします」
「ワタシはどうする?同席してやってもいいぞ」
「いや、良い。モルガン卿を手伝え」
「分かった。任せておけ」
アキ達が舟から降り、漁船が放置されていたので、それぞれに金貨を投げ入れておいた。この程度の舟であれば、銀貨数枚で買えるであろうし、そもそも傷ひとつ付いておらぬので元あった場所に戻しておけば良いのだが、まあただの気まぐれだ。
その後、ジャンリュックの話を聞きながら向かったのは、海月亭という店だ。ジャンリュックの情婦の妹の夫のパゴァガパ人が経営しているそうだ。
パゴァガパとは、大陸の西海岸から八千メルタルを隔てた大海の果てにある島国で、独自の文化を築いているそうだ。魔王の影響も全くなく、五千年続く王朝すら存在するそうだ。
俺とパッセルスとジャンリュックだけで会食することになった。俺の指揮下の者は例の豪商邸へ、パッセルス指揮下の者は提督府へ、ジャンリュック指揮下の者も同じく提督府へ帰った。
機密に関すること、として最低限の者のみで会談するそうだ。妙な話でないと良いが。
海月亭の料理は、長所のみを評価して下の中といったところだ。無駄に高級志向で、高級食材ばかりを取り扱っており、素材の味が微かにするので、下の中だ。それが無ければ、下の下未満だ。
鳥の巣や魚の内臓、店の名前にもなっているクラゲなど、高級食材ではあるそうだが、俺の好みではない。キトリーが調理をすれば話は別であろうが、キトリーに調理をさせるなら野生動物でも狩ってくる。苦手な食材として、脳裏に焼き付いた。
美味しくもない料理を二人は無言で食べ続けたので、沈黙の会食となった。パッセルスは俺と同じようだが、ジャンリュックは美味しくて無言になっているようで、味覚が人によって違うことを見せつけられた。
「いやぁ、美味かった美味かった。腕を上げたな、イェッセルファース」
「クスィーシャラの食材、ぜんぶ面白いから、楽しみがあるよ」
「ならば自慢のデザートを貰おうか。いつものやつで頼むよ」
「お任せ。タイス、デザートご要望よ」
イェッセルファースと呼ばれた店主が奥にいる妻タイスにそう告げた。まだ地獄は終わっておらぬのか。
ちなみにクスィーシャラとは、大陸の名前で、本来この大陸はクスィーシャラ大陸と言う。他に大陸が発見されておらぬから、一般には大陸と言うし、公文書などでも大陸と記す。俺も最近知ったばかりだ。
「お待たせしたね、提督」
「タイスちゃん、この二人はツィリーナル地方総督とクラヴジック城守だよ。媚びを売るなら今だよ」
「やっだぁ。提督だけで充分さね。さ、不味くなる前にお食べ」
タイスとやらはそう言ったが、どう見ても美味しそうには見えぬ。額から上が無い猿の首が器になっており、中には猿の脳とクラゲを混ぜ合わせたような、目を背けたくなるような物が入っていた。
「これは…」
「客将軍閣下は初めてですかな。猿頭という料理で、こうして……こうですな。うん、美味い!」
ジャンリュックは俺の『これは…』の続きを勝手に予想し、実演して見せた。閉じられていた猿の口に口付けをし、中身を吸い取ったのである。心の弱い者であれば、既に何度も卒倒しているであろう。
ちなみに俺の『これは…』の続きは、『本当に食べ物か』である。
俺は仕方なくジャンリュックに倣い、猿頭を食べきった。苦味と辛味に同時に襲われ、気合いで飲み込んだ後は、なぜか強烈な甘味のみが残った。意味の分からぬ食べ物であるし、そもそもこんなものはデザートではない。
パッセルスも猿頭を啜り飲み、静かに悶えた。
「口直しもした事だし、もう一周頼もうか」
「提督閣下、お待ちを。我らはもう満腹だ。大変美味な料理なれど、量は食えぬ。それより話とは何か」
「客将軍閣下は少食と見える。総督閣下はいかがですかな?」
言外に不味いとにおわしているのが分からぬのか。まあ確かに量だけは満足であるが。いや、不味いからそう思っただけか?
「…辛口の白葡萄酒を一杯。それで満足です」
パッセルスは辛口の白葡萄酒で猿頭の味を打ち消そうとしているようだ。俺はもうこの店を信用しておらぬので、何も頼まぬ。
「承知しました。提督は?」
「私はそうだな…猿頭を三つと、蜂蜜を二杯、それから砂糖と塩をさじ二杯ずつ。麝香猫果もあれば最高だ」
「最っ高の麝香猫果が入ってるよ」
「そりゃ楽しみだ」
「ちょっとお待ちよ」
タイスはそう言うと奥へ行った。ジャンリュックの注文を聞いて確信したが、味覚は人それぞれであるものの、ジャンリュックの味覚は狂っている。いや、海月亭の店主夫妻の味覚も狂っているのだ。そう思わねば、今までの人生を否定されたような気がする。
「それで提督閣下、話とは?」
「そうであったそうであった。娘はいらんかね?」
「…………閣下のご息女が…何と?」
「いやぁ、アデレイドは、あ、娘はアデレイドと言いましてな、親の贔屓目を抜きにしても美人でありましてな。母親はノヴァーク人で、確か海賊に喧嘩を売って死んでいったんだったか…とにかくアデレイドの方は品もいいし、気遣いもできる。欠点があるとすれば、少し偏食な所くらいか。で、どうだね?」
ジャンリュックが偏食と評するなら、相当の偏食家であろう。いや、逆にまともな味覚をしているのかもしれぬな。
「結構な話ではありますが、私は既に二人の妻がおります。今さら会ったこともないような方を娶ろうとは思いませぬ」
「会ったこともない、か。アデレイド、出ておいで」
小麦色の肌をした少女が、ジャンリュックの注文品を持って来た。見たところ、まだ十歳にも見たぬのではなかろうか。
「お待たせしました、お父様」
「うんうん、可愛いねぇ」
ジャンリュックはアデレイドに頬擦りをしているが、アデレイドは明らかに嫌がっている。
「で、どうだね?」
「そうですな…本人の意思が大切でしょう」
「アデレイド、この方は客将軍ジル・デシャン・クロード公爵で、今はクラヴジック城守をしているんだ。アデレイドが良かったら、お嫁さんにしてくれるそうだけれど、どうだい?」
「…そうなったら、ここにいられなくなる?」
「仕方ないけど、お別れだね。ま、そのうち会えるさ」
「じゃあ、お嫁さんにしてください」
「いや、しかし…」
断られることを期待して言ったが、逆効果であった。どうにか空気を悪くせず断れぬものか…
パッセルスに助けを求める視線を送ったが、パッセルスは白葡萄酒で口の中を洗うのに夢中で、こちらの話を全く聞いておらぬ。
「話は聞いたぞ、ジル君」
そう言ってローラン殿が入ってきた。パッセルスは驚いて、白葡萄酒を吹き出した。汚いな。
「第四の放蕩息子じゃないかっ!」
「第一の爺さん…」
どうやらローラン殿とパッセルスは知り合いであるようだ。まあ将軍格家同士、それなりの付き合いがあってもおかしくはないか。
「それよりジル君、アデレイドちゃんは連れ帰れ。今なら自分好みに育てられるぞ」
「人聞きの悪い事を仰るな」
「おいおい、叔父に対してそんな事を言うか?ちょっと来い」
ローラン殿は俺の肩に腕を回し、店外へ連れ出した。二名の部下も一緒にいるようだ。
「とりあえず最後まで黙って聞けよ。あのジャンリュックとかいう奴はダメだ。妻が死んだというのに、死因もあやふやだ。それから、理由は色々あるが、たぶん奴隷並みにつらい生活をしているぞ、あの娘」
「何と…!」
「だから婚約という名目で連れ出して保護しろ。どうせ正式な婚姻は十五になるまで無理だ。その間にジャンリュックをどうにかしろ。いいな?」
「承知しました…が、何か別の理由もおありで?」
「気にするな」
ローラン殿はそう言い、小声で説明を続けた。
確かに好きでもないのに猿頭のような料理を、毎日毎日食べさせられたら、立派な虐待と言えよう。保護してやるか。




