第277話
屋敷を出ると、剣を帯び、弓矢を背負い、松明を持った兵士達の出撃用意ができていた。この松明は灯りの為ではなく、火矢の火種とする為だ。
俺は用意されていたヌーヴェルに飛び乗った。アキはメトポーロンに飛び乗り、薙刀を担いだ。
「船着場に行くぞ」
俺はそう言い、駆け出した。軍船や武装商船は続々と出港しているので、急がねばならぬ。
船着場まで駆け抜ける途中、マルク・フェルナンド提督府の警備兵と幾度かすれ違ったが、止められる前に通り過ぎた。警備兵など歩兵であるから、追いつかれることはない。
船着場に着くと、漁船と思しき小舟が十艘程度、纏まって停まっていた。漁師を含めた民間人は提督府の管理下に置かれ、アルフレッド派連合軍と接触せぬ場に隔離されており、漁船は無断で使うことになるから、壊さぬようにせねばならぬ。
「五名ずつ四班に分かれよ。一班をここに残し、他三班はそれぞれ分乗せよ」
俺は十五人は乗れる舟を一艘、十人程度は乗れる舟を二艘選び、大きい方に乗った。小さい舟であるが、これが我が隊の旗艦となる。まあそれほど仰々しいものではないが。
俺と同じ舟には、アキ、モルガン、兵士五名が乗っている。
「残りの一班は、もしもの時の救護をせよ。舟が転覆し、沈まぬように耐えている者がいれば、必ず助けよ。むろん、連合軍が去った後だ」
「承知しました」
「では出せ。我らの目的は王太子旗の奪還のみだ。無駄な戦闘は避けよ」
俺がそう言うと、錨を上げて船着場を出た。錨も投げれば強そうだ。兵士達は水兵としての経験があるのか、手漕ぎの小舟を最速と思しき速度で操っている。頼もしいな。
俺は先ほど準備しておいた鉤縄を取り出した。大金号に乗り移れば、制圧など簡単だ。二本しか用意できなかったので、俺とアキが乗り移る。その旨をモルガンに説明し、援護の指揮を頼んだ。
「まあ最初は火矢で脅せば良い」
「他の船が救援に来る前に、我らは撤退せねばなりませんな」
「ああ。俺達が乗り移った後は、すぐにでも船首を港へ向けよ。それから、俺が撤退の合図を出せば、俺達が未帰還でも帰港せよ」
「しかし…」
「良い。俺もアキも泳ぎは苦手ではない」
俺は泳ぎなど経験がないが、海底まで沈めば、呼吸の必要が無い俺は歩いて帰れる。アキはなかなか器用であるから、心配はいらぬ。泳げぬ場合は…息を我慢してもらうしかあるまい。
俺は甲冑を鎧い、完全武装で突入する。アキは刀を帯び、薙刀を持って突入する。
普通、水兵は剣や弓矢のみの武装で、鎧は纏わぬ。海に落ちた時に助かる確率を少しでも上げる為だ。
ゆえに完全武装の俺が行けば、海に落としてやろうと群がってくるはずであり、アキが王太子旗の回収を行う。軽武装のアキから倒そうとするなら、俺とアキの役割が入れ替わるだけだ。
大金号が近づくと、他の船もこちらに気づいた。
「占拠軍が来たぞ!」
気付いた水兵がそう叫んだので、俺はその兵士を射殺した。あまり殺しすぎては、停戦の意味が無くなるので、ほどほどにせねばならぬな。
「元王太子アルフレッドに告ぐ。ただちに王太子旗を返却せよ。繰り返す。王太子旗を返却せよ」
俺はそう言い、大金号に矢を放った。目的を伝えておかねば、戦となってしまう。俺達は戦いに来たのではなく、王太子旗の奪還に来たのだ。間違ってはならぬ。
「返して欲しくば、ここまで来てみろ。漁船なんぞで、我が船団に立ち向かうとは、サヌスト軍も地に落ちたな」
「ではそうさせてもらおう」
アルフレッドの返答に対し、アキが鉤縄を二本投げた。投げられた鉤縄は、船縁に引っかかり、アキは既に移動を開始した。
「モルガン卿、頼んだぞ」
「ええ、ご武運を」
「そちらもな。では」
俺はそう言い残し、アキの後を追った。アキは器用に片腕で登っている。どうしても薙刀を使いたいのか。
縄を切られぬように、モルガンは大金号に矢を集中させた。火矢はなるべく使わぬように言ってある。
アキを追い越し、大金号に乗り移ると、既に囲まれていた。まあ当然である。
「我が名はジル・デシャン・クロード。サヌスト軍客将にして、公爵だ。武勲を欲する者は、我が首を討ち取ってみよ」
俺はそう言い、剣と刀を抜いた。軽武装の兵士など、片腕で充分だ。
「アキ、行け」
「任せておけ」
よじ登ってきたアキは薙刀を構え、王太子旗を目指して駆け出した。
俺は左右の兵士を同時に斬り、正面の兵士を蹴り飛ばし、アルフレッドを目掛けて進んだ。
「旗だけと思っていたが、元王太子の首も頂こう」
「アルフレッド陛下をお守りせよ」
水兵が続々と集まってきているが、人間の兵士だけで、ダークエルフやドワーフはおらぬな。
やはり自称サヌスト王国正統政府軍と尊主翼賛軍は別の組織で、利益の一致により、連合を結んでいるだけのようだ。この利益が何か分かれば、尊主翼賛軍をサヌスト軍に組み込めるかもしれぬが…まあ無理だな。
「陛下、こちらへ」
「なぜ逃げねばならんのか。たった二人だ。しかも一人は女だぞ」
「しかし、万一の事を考慮いたしますと…」
アルフレッドは部下に船室に連れて行かれそうになっているが、拒否しているようだ。その部下とはピエリック特別選抜隊のオリヴィエではないか。アルフレッドの護衛をするとは、なかなか出世しているではないか。
「おっ?」
大金号が急旋回し、体が少し浮いた。転んでいる兵士もいる。何事か。
「陛下、操舵室を乗っ取られましたっ!」
「ならば閉じ込めしまえ。俺が他の船に移ったあとで、火をつけてしまえばいい」
「承知しました!」
どうやらアキが操舵室を乗っ取ったようだ。王太子旗はどうしたのであろうか。
大金号は滅茶苦茶な動きをしているが、どうやらモルガン達を潰さぬよう、他の軍船に船首をぶつけようとしているのか。
俺は刀を鞘に収め、剣を甲板に突き立て、振り落とされぬように掴んだ。実際、振り落とされた水兵は二十を超えている。戦闘どころではないのだ。
「やっぱり女を殺して、船を元通りにしろ。酔い殺されるわっ!」
アルフレッドがそう叫ぶと、水兵の幾人かが一方向へ進んだ。俺も操舵室に行くべきか。
そう思い、動き始めると、大金号が別の軍船に衝突し、ハエレスィア教の女神デアの像が砕け散った。異教の神であるが、無礼とは思わぬのか。いや、これをやったのはアキであった。
「客将様、旗だ。受け取れ!」
アキはそう言い、王太子旗をこちらに投げた。左手には操舵輪を持っている。操舵輪が壊れたから、別の船に衝突したのか。
俺は王太子旗を受け取り、剣を抜いた。
「モルガン卿、撤退せよっ!王太子旗は奪還した。撤退せよ!」
俺はそう叫びながらアキの方へ走り、合流した。アキは操舵輪を盾にしているが、そもそもアキは盾を鈍器としか思っておらぬので、操舵輪は血に塗れている。あれでは滑ってしまい、操舵などできぬであろう。
「アキ、無事か」
「ワタシは無事だが、船が死んだ。ルーファンスとやらに謝っておけ」
「安心せよ。既に総督府が買い上げている。それより帰るぞ」
「ワタシが先に行くから、旗を渡せ」
「ああ」
俺は皺ができぬよう丁寧に王太子旗を丸め、投げやすいようにした。さすがに畳まねば邪魔だ。
アキは操舵輪をアルフレッドに投げつけ、漁船を目掛けて飛んだ。アルフレッドはオリヴィエに庇われ、操舵輪はオリヴィエの右目に命中した。
「アキ殿!」
アキは漁船に飛び降りたつもりであるが、漁船と漁船の間に落ち、モルガン達が慌てて引き揚げた。王太子旗を預かっていて良かった。
「客将様、投げろ!」
アキがそう叫んだので、俺は王太子旗をアキ達に向けて投げた。王太子旗はモルガンが受け取り、水に濡れておらぬ。
「俺も行くぞ」
俺はそう言い、船から飛んだ。勢いをつけすぎたせいで、漁船を大きく超え、海に落ちた。アキの気持ちが分かった気がする。
鎧を着ているせいで、どんどん海に沈んでいく。水兵が軽武装である理由を身を以て理解できた気がするな。
俺ら鎧をしまい、海面に向けて泳いだ。泳ぎというのは意外と簡単だな。
「客将様、こっちだ」
海面から顔を出すと、アキが手を伸ばして待っていた。
アキに引かれて漁船に戻ると、全速で撤退を始めた。
「アルフレッドよ、貴様に欠片程度でも勇敢さがあるのであれば、こちらに顔を見せてみよ」
「黙れ、賊め。貴様など、俺にとっては雑兵以下でしかない。残り三年、エジットなんぞに縛られず、楽しんで生きることだな。俺が殺してやる、その日が来るまで死ぬでないぞ」
「では三年後、存分に果たし合おうではないか」
「ふん」
アルフレッドはそう言い、戻っていった。大金号はもう使えぬから、別の船に移るのであろう。
俺達は王太子旗を掲げ、マルク・フェルナンド港へ着岸すべく、全速で向かった。




