第275話
モルガンが精鋭四十名を選び終えると、兵士達はすぐにでも発とうとしたが、俺はそれを制し、異空間の食事を振る舞った。アキからの情報では、昨晩は食料が届かず、今朝も何も食べていないそうで、皆が空腹に喘ぎ始める頃だろう、とのことであった。
「閣下がこれ程の食糧を隠し持っておられると知っていれば、食料の手配などしませんでしたのに」
「これは客将様の私物だぞ。屋敷の料理人が作りすぎた料理を、何かあった時のために、と保管してあっただけだ。客将様の好意だぞ」
「それは無礼を言いました。どうかご容赦を」
モルガンの嘆きに対し、凄まじい剣幕でアキが反論した。モルガンも悪気があった訳ではあるまいに。
「どちらにせよ、余り物だ。気にするな」
「そうだぞ。ジル君にとっては端金以下だ。な?」
ローラン殿がモルガンを励ますようにそう言ったが、俺は食材に金銭がどれだけ使われているのか知らぬ。それにそもそも、キトリーが買い物に行ったり、買い物を頼んだりしているという話は聞いたことがない。
「ええ。と言うより、おそらく料理人の自己栽培でしょうな。買い物をしているなど聞いたことがありませぬ」
「そういう事だ。ジル君の財産を舐めるんじゃない。伯爵位くらいなら金銭で手に入れられるぞ」
「おい、客将様。弟に伯爵位を買い与えるくらいなら、姫とワタシに貢げ。ド派手な結婚式を十回して、それから新婚旅行も遠くに行こう。言葉も分からないくらい遠くにな」
「勘違いをするな。ローラン殿は冗談を言っているのだ。爵位など、どこにも売っておらぬ」
「ま、そういうこったな、嬢ちゃん」
ローラン殿の事であるから、冗談ではなく賄賂を指しているのでは、とも思ったが、冗談で良かった。
モルガンを始めとして、そこそこの家柄の武家貴族出身者が少なくとも十名はいるのだ。公家貴族の誤った悪評が拡まってしまえば、体裁を気にする彼らは発生源を突き止め、何らかの制裁を加えるであろう。それは面倒だ。
「嬢ちゃんじゃない。アキ夫人と呼べ。姫の叔父でも、ワタシには関係ないぞ。いいか、アキ夫人だ」
「アキ嬢ちゃん、ひとつだけ明確にしておこう。レリアたんは正妻で、嬢ちゃんは側妻だ」
「分かっている。当たり前だ。それよりアキ夫人はどうした?」
「それが正妻の叔父に対する、側妻の言葉遣いか?」
「ワタシはヤマトワ人だ。サヌスト語が拙くて悪いか」
「悪いな。そもそもヤマトワ人がなぜサヌストにいる?内乱で大変だそうじゃないか」
「旦那様がやって来て、ワタシが惚れた。一緒にサヌストに来るのは当然だろ。それに、内乱はワタシの爺様が主導して起こしたものだ。たぶん制御できてるから大丈夫だ」
「叛乱軍総帥の孫娘か。それなら我が国の叛乱軍も許してやれ、ということにならんのか?」
「ワタシの爺様は叛乱じゃない。成功してるから、革命だ」
「詭弁だな」
「きべん?」
「屁理屈の親類と言えば、ヤマトワの嬢ちゃんにも分かるか?」
「屁理屈か。そうかそうか、勉強になった。……屁理屈などではないっ!」
「はっはっは。ジル君、面白い娘を娶ったな。これなら、万に一つもレリアたんが負けることはない」
ローラン殿はそう言い、大笑いをした。アキと楽しそうに話していたので、二人の相性は良い方かと思ったが、アキが遊ばれているだけであった。アキは感情的になりやすいのだ。
「イブライム、これをアクレシス卿に渡せ。帰る道すがら、食糧輸送の隊を探して、共に撤退せよ」
「承知しました」
俺はローラン殿を無視し、イブライムに命令書を渡した。そろそろ食事が終わる頃である。
「我らはマルク・フェルナンドに潜入する。総督閣下の意に反する行為であるゆえ、提督府や総督閣下の関係者に見つかるな。行くぞ」
俺はそう言い、イブライム達と分かれた。俺の方は合計四十六名で、残りは全て帰らせる。
スタニックの地図に従い、警備の穴となっている裏道を辿った。例の屋敷に直結しているそうだ。
しばらく裏道を行くと、屋敷らしき場所に出た。地図と照合すると、この地であっているようだ。
下級の家人と思しき、小綺麗な男が出てきた。下級の家人であるのに、かなり綺麗にしているな。上級の家人が置いていった物か、屋敷の主がよほど儲かっていたのか…いや、スタニックの手配によるものか。まあ何でも良いか。
「クラヴジック城守ジル・デシャン・クロードだ。スタニック卿に紹介されてきた」
「お待ちしておりました。馬をお預かりします」
「世話になる」
俺は下馬し、馬を預けた。信用できるかどうかは知らぬが、並の人間がヌーヴェルを害せるとは思えぬ。いざとなれば、ヌーヴェルとメトポーロンが中心となり、馬を脱出させるであろう。
俺とアキ、ローラン殿、モルガンは家人に案内され、屋敷の主の執務室に来た。他は広間にて待機している。
見晴らしの良い露台に直通しており、そこからはマルク・フェルナンドの海上はむろんのこと、陸上をも見渡せる。この露台から見えぬ場所があるとすれば、背後に位置する提督府のみだ。まあ反対側にも露台があるようなので、そこから監視すれば良い。
「お好きにお使いください」
「ああ。好きに使わせてもらおう」
「ご入用のものがございましたら、ご気軽にお申し付けください」
「承知した」
家人はそう言うと、引き下がった。なかなか心得ているではないか。
「では東側に十名、西側に五名を配置し、アルフレッド派連合軍の動きを監視する。他はとりあえず待機だ」
「承知しました」
俺の指示に従い、モルガンが手配を進めた。東側、つまり海側さえ見張っておけば、出航する際にはこちらで分かる。
しばらくし、アキと執務室で海を眺めていると、西側を見張る兵士が入室してきた。
「報告します。マルク・フェルナンド提督府よりアルフレッド元王太子が出て参りました。その後、軍と合流し、港へ向かったものと思われます」
「承知した。見逃すでないぞ」
「は」
兵士は報告を終えると、退室した。俺とアキに気を遣ったのであろうか。
俺は天眼を使い、マルク・フェルナンド全域を索敵した。すると、アルフレッド派連合軍を発見した。
「閣下、アルフレッド派連合軍を発見しました。あちらをご覧ください」
露台にいる兵士に呼ばれた。ほぼ同時に発見したようだ。
露台に出ると、アルフレッド派連合軍を肉眼で確認できた。兵士が疲れているのか、隊列は乱れている。と言うより、最初から隊列を組む気が無いようにすら思える。
連合軍は乱れた隊列のまま、港へ行き、船に荷物を載せ始めた。
確か六万騎強はいたはずであるから、今日中には出発できぬであろう。おそらく今日は馬や物資を積むだけで、兵士は港の民家にでも泊まるのであろう。そのために軍港を貸し切ったのか。
「閣下、連合軍の物資が妙に多くありませんか」
「多いな。十万に満たぬはずだが、あれでは三十万の大軍を優に養える」
監視の兵士が報告したが、やはり多いか。
あれでは三十万の軍を二年は維持できる。アルフレッド派連合軍を六万とすると、十年分の食糧がある。むろん、食糧が劣化せぬことが前提であるが、それにしても多すぎる。
食糧の劣化を気にせず十年も戦うつもりか、それとも食糧に見合うだけの兵力を整えられるのか。どちらにせよ、サヌスト王国にとって大敵となる事に変わりはないな。
連合軍と三年間の停戦協定を結んでしまって良かったのか。総力を挙げてでも掃滅すべきであったような気さえする。
いや、三年後ならクィーズス、ノヴァーク、テイルストの三国を併呑しているであろうから、その兵力を当てにしているのか。併呑について、パッセルスは知らぬと思っていたが、知らされていたようだ。
「荷物が多すぎて船が沈んだら、ワタシ達は楽だがな」
「ぜひ、そうあって欲しいものだ」
アキの言う通り、自滅してくれたらありがたい。
そう考えたら、あの量の食糧を全て運ぼうと思ったら、軍船八百隻では足らぬような気がする。商船なら積めるかもしれぬが、純粋な商船は用意しておらぬ。軍船以外にあるのは武装商船であるから、武器が積んである分、荷物は減らさねばならぬ。
アキの言う通り、沈んでくれぬだろうか。




