第262話
純真たるレリアを誑かした憎き仔猫を、どう罰してくれようか、熟考していると、ブームソンから念話が来た。
───パッセルス閣下の回答です。『人狼隊、人虎隊で捕虜の護送をせよ。客将隊は引き続き、作戦を続行されたし』と───
承知した。場所は分かるか?
───凡そは。凡そが分かれば、我らの嗅覚で探し当てられます───
そうか。では待っている。
───はっ───
ブームソンはそう言って念話を終えた。あの二隊を出陣させるとは、パッセルスも思い切ったな。ヴァーノン卿や文官達を気遣って、最精鋭たる二隊は防衛から外さぬと思ったが。
「百騎長は集合せよ!繰り返す。百騎長は集合せよ!」
俺がそう叫ぶと、百騎長が走って集まった。なかなか早いな。
「パッセルス閣下から、返答があった。捕虜を護送部隊に引き渡し、我らは作戦を続行する。が、今日はもう戦わぬと兵士に伝えよ」
「は。すると、引き渡し後は、補給拠点に向かうということで、よろしいでしょうか」
「ああ。兵士が狩りを望むなら、狩りをしても良いが、望まぬであろう?」
「そうでしょうな。ひとまずは、休憩を欲するでしょう」
「では補給をした後、睡眠をとる。夕暮れ頃には眠れるであろう。夜半の出撃も視野に入れておけ」
「は」
「では解散だ。間違っても友軍を攻撃せぬよう、徹底させよ」
「はっ」
セクーが代表で挨拶し、他の百騎長は一礼して去っていった。もしかすると、セクーを気に入っていると思われたか。まあ別に良いか。
「敵襲!敵襲!東方面より、約二百騎!」
周囲に敵はおらぬと思ったが、見落としていたか。天眼で確認すると、確かに東から二百騎が攻めてきている。
数はこちらが倍以上だ。騎兵であっても、捕虜奪還が目的であれば、こちらに不利はない。
「迎え撃て!捕虜を奪還させてはならぬぞ」
俺はヌーヴェルに飛び乗り、東に駆けた。先に動いていた兵士が十騎程度、討ち取られている。
俺は仇討ちの為、槍を取り出して、先頭を駆ける敵兵士に近づいた。
「む。おぬし…」
先頭の敵兵の心臓を槍で貫く寸前、サヌスト正規軍の兵装をした兵士であることに気づいた。アルフレッド軍の兵士は、サヌスト正規軍の兵装をしておらず、統一された兵装はないはずだ。貴族の私兵として、傭兵として、各々が自由な兵装だ。
すれ違いざま、俺の槍が標的となった兵士の胴をかすめ、その兵士は落馬した。受身を上手にとったようで、見た感じ怪我はないようだ。
「攻撃を止めよ!同士討ちだ!」
俺の声で皆が相手を確認した。互いに顔見知りの兵士もいたようである。敵か味方か確認せずに攻撃されるとは、考えもしなかった。
確かに、アルフレッド軍の陣地に、サヌスト正規軍がそのまま留まっているとは思わぬか。
「部隊長を出せ。誰の隊か」
「おい、隊長をお呼びしろ!」
俺が襲撃してきた兵士にそう言うと、後ろに向かって叫んだ。
俺は部隊長を待つ間、下馬し、落馬させた兵士を助け起こした。怪我はしておらぬようで良かった。
「お待たせしました。第二十三隊、部隊長アクレンです」
駆け付けた部隊長はすぐに下馬し、俺に跪いた。俺が烈しい性格であれば、この場で斬り捨てられても文句は言えまい。
「客将ジル・デシャン・クロードだ」
「何卒、寛大な処置を」
「俺はおぬしを裁く立場にない。ゆえに、戦死した兵士の遺体をクラヴジック城に運ぶよう手配するだけだ。パッセルス閣下か宰相閣下か…とにかく、おぬしは作戦を続行せよ」
「は。無礼を承知で質問させていただきますが、閣下はここで何を?」
「六百名程、捕縛した。城からの護送部隊を待っている。その隊に遺体を運ばせ、報告もさせる。罪が重くならぬよう、上申しておこう」
「は。この度はまことに申し訳ありませんでした」
「二度とするでないぞ、と言うべきであるが、萎縮するでないぞ、と言っておこう」
「肝に銘じておきます」
「うむ。では」
俺はアクレンにそう告げ、撤退させた。
両隊合わせて、十八騎が戦死した。同士討ちは恥ずべき失態であるが、大きな損害が出る前に止められて良かった。どちらかが全滅しては、アルフレッド軍の良い笑いものだ。
俺は応戦に来ていた兵士に遺体を回収させ、撤収した。
陣に戻ると、幕舎に通された。いらぬ気遣いであるが、俺が休まねば他の者も休めぬであろうから、遠慮せずに休むことにした。
「ジル様!」
しばらくすると、興奮したブームソンがそう言いながら、幕舎に飛び込んできた。落ち着いたビュルガーも一緒に入ってきた。
ブームソンは尻尾を振って、かなり興奮しているようだ。二人が返り血を浴びているところを見ると、どこかで戦ったのか。
「その血はどうした?」
「直線上にあった賊軍の陣地を踏み荒らしてきました。人狼隊の暴走を防げず、申し訳ありません」
ビュルガーがそう言いながら、虎化を解いた。ルブーフは外で捕虜を確認している。
「それは良いが、ヴィルトールはどうした?」
「は。隊長は連絡係として、パッセルス閣下のお傍にあります。本当はブームソン様がその任を命じられたのですが、ブームソン様が人狼隊を連れて真っ先に突撃してしまったので、隊長は私に隊を預け、連絡係として留まりました」
「そうか。まあ良い」
「では失礼します」
「ああ。あ、いや、少し待て」
「何でしょう?」
俺はビュルガーを連れて外に出た。ブームソンはアキに撫でられて、さらに尻尾を振っていた。あれほど犬のような性格であったか…?
「実は、同士討ちがあったのだ。『第二十三隊アクレン隊が我が第一隊をアルフレッド軍と誤認し、襲撃してきた。それで十八名が死んだ。アクレン卿を必要以上に責めぬように、上申致す』と、パッセルス閣下と宰相閣下にお伝えせよ。俺の言葉をそのまま伝えれば良い。それと、遺体を丁重に運べ」
「承知しました」
「帰還するぞ!ジル様、失礼します」
幕舎から出てきたブームソンがそう言い、人狼隊と人虎隊は帰って行った。落ち着いたようだな。
「愛いやつだ。旦那様、忠犬の卵を温め始めろ。旦那様くらい魔力が多ければ、異空間に放置でいいだろ。三ヶ月後には孵化するだろうな」
「卵はどこに置いた?」
「ワタシの部屋だ。ベッドの横に積んである。取りに行ってくれるのか?」
「ああ。すぐに戻る。何かあれば連絡せよ」
「腹を壊したことにしておくぞ」
「…なるべく早く戻る」
俺は人目のない場所まで移動し、アキの部屋に転移した。
早く帰らねば、排泄など必要ない体であるのに腹痛だと思われる。そのために変に気を遣われては面倒だ。
「あ」
アキの部屋の掃除に来ていた侍女に叫ばれそうになったので、慌てて侍女の口を押さえた。名は確か…
「おぬしは…マノンと言ったか。アキの忘れ物を取りに来ただけだ。俺が来た事は誰にも言うな。レリアに会えば、戻りたくなくなる」
マノンは何も言わず、何度も頷いた。驚かせてしまったか。
俺はベッドの横に置いてある木箱を回収し、元の場所に戻った。長居しては、レリアの気配を感じて戻りたくなくなる。
「どうだった?」
「回収してきた。見るか?」
「いいのか?」
「ああ」
俺は異空間への穴を開け、アキを招き入れた。新たに作った異空間で、卵の他には何も無い。
しばらくすると、不満げなアキが出てきた。
「濃いめの魔力をもっと充満させろ」
「なぜだ?」
「魔力を与え続けるのが、抱卵というものだぞ。鶏が腹の下に卵を隠すのは、効率良く魔力を与え続けるためだぞ」
「温めているのではないのか?」
「なんだ、旦那様は意外と無知だな」
アキはそう言いながらも説明してくれた。
魔力というものは、特別な属性を帯びておらぬ限り、魔力濃度が高ければ高いほど、熱くなるそうだ。
例えば、雷や火山などが高温であるのは、魔力を多く含む為で、逆に空や雪山などが寒いのは、魔力が薄い為であるそうだ。どちらも人間の活動が困難であるのは、極端な魔力濃度は害となるからであるそうだ。
ここから本題であるが、抱卵とは自らの魔力を子に分け与え、生命を与える行為を指す。これは妊娠も同じようなものだそうだ。魔力以外の栄養を、少しずつ与えるか、一度に与えるか、この違いだけらしい。
まあアキの事なので、詳細などは省いているのであろうが、詳細を知ったところで、今の俺の役には立たぬ。
「つまり、だ。なるべく濃い魔力を与え続ければ、強い個体が産まれるのだ。多分」
「今の説明と繋がっておらぬような気がするが?」
「繋がってるだろ。いや、繋がっていないのか?…どっちでもいいが、とにかく濃い魔力を大量に与え続けた方がいいのだ。分かったな?」
「ああ」
俺は抱卵専用異空間の魔力濃度を、外気の約百倍にした。魔力というものは魔法使いの制御下になければ、半日で魔素に還元されるから、外気の魔力濃度はかなり低い。つまり外気の百倍でも、俺の体内の百分の一以下であり、魔法的に大した負担にはならぬ。




