第247話
翌朝。朝食後、レリアと食堂で茶を飲んでいると、大変なことをふと思い出した。
「レリア」
「あたしも一緒のこと気づいたかも。今日の準備するの忘れてた」
「ああ。俺も忘れていた。すぐに準備せねば」
レリアも思い出したようだ。ヤマトワ人歓迎式典の準備を完全に忘れていた事を。まずいな。今から準備を始めては、間に合うかどうか分からぬぞ。
「安心しろ、二人とも。ワタシが準備してある。ワタシの家族に恥はかかせられん」
自身の甲冑を鎧ったアキが来てそう言った。アキもレリアのように気が利くな。いや、俺の気が利かぬだけか。
「ほんとに?ありがと」
「礼を言うぞ、アキ。ちなみに俺はどんな服を用意してくれた?」
「旦那様は鎧があるだろ」
「…そうであったな」
「ワタシも甲冑しか用意してない。ワタシだけだったら浮くだろ。それよりも姫、着替えてこい。時間がかかりそうな服を選んでやったからな」
「うん。ありがとね」
レリアはそう言って急いで食堂を出ていった。着易い服を選んでやれば良いものを。いや、こういう機会でないと、レリアは着難い服は着ぬ。今日は貴重なレリアを見れるな。
俺も鎧を纏っておいた。俺が兜を被らずにいると、アキも兜を脱いだ。こだわりはないのであろうか。
「旦那様、違いが分かるか」
「何の話だ?」
「鎧だ。ヨザエモンに手入れをしてもらった」
「そうか。ヤマトワの甲冑師か?」
「知らんのか、旦那様。ヨザエモンは幕府の御抱具足師だぞ。倒幕した時、三龍同盟が安全と引替えに引き抜いたらしい。それでここに来たというわけだ。真っ先にな」
アキの機嫌が良いな。機嫌を損ねぬよう、俺も褒めておいた方が良かろう。レリアの服に対する礼だ。
「なるほど。そう言われてみれば、綺麗な赤であるな」
「さすが旦那様、目が肥えているな。ヤマトワで赤の鎧と言えば、精鋭部隊の象徴だからな。鏖軍にも幕府軍にも、もちろん三龍同盟にも赤備えがいる」
「返り血が目立たぬようにか?」
「いや、それもあるがな、昔は赤の染料が高かったから、金をかけた部隊だぞ、という事が敵に伝わるだろ。それに森の中でも目立つから、逃げも隠れもせんぞ、という覚悟の現れにもなる。ワタシは赤が好きだから、ずっとこの鎧だ」
「そうか。まあアキは我が腹心だ。このまま精鋭であれ」
「弟とどっちが腹心だ?」
難しい質問であるが、答えぬわけにもいくまい。アシルとアキでは、忠義の示し方が違うし、そもそも役目も違う。本人には言えぬが、アキの方が制御は楽だ。
「アシルとおぬしでは分野が違うであろう」
「それもそうだな。アイツは裏でコソコソ情報を集めて、旦那様に攻撃させるか、陰湿な嫌がらせを繰り返すか、そのどちらかだ。もちろんワタシは正々堂々、正面から敵を倒す」
「言い方を考えよ。情報が無ければ戦は勝てぬぞ」
「知っている。百の敵を倒すのに、わざわざ十万の大軍で挑めば大損だ。逆に八万強の賊軍から城塞を取り返すのに、その半数で挑めば苦労する。な?」
「ああ。金貨に埋もれたりするな」
アキはクラヴジック城の奪還戦を言っているのだ。確かにアキは苦労したであろう。俺のいぬ間にダークエルフを相手に大戦果を挙げたそうであるし、俺を金貨の山から掘り出す指揮を執ったのもアキだ。俺に報いきれるであろうか。
「アイツが旦那様の情報係を自負するなら、ちゃんと調べておくべきだった。ワタシなら全兵士の体調から城塞内の小さな傷まで、隅々まで調べるぞ」
「無理を言うな。敵の手にある城塞の内部をどうやって調べる?」
「門番を色仕掛けで買収したり…あとは娼婦か何かに化けて行けばいいだろ」
「俺が許可すると思うか?」
「そうだったな。ワタシは人妻だった。人妻だからな。人妻か。いい響きだ」
「そうか」
アキは嬉しそうに何度も『人妻』と繰り返し言った。
報いきれるかどうか心配であったが、もう報いきれたのではなかろうか。いや、アキがそう思うのは自由だが、俺がそう思ってはならぬな。俺は報い続けねばならぬ。アキ以外の部下に対しても。
「そんなことより旦那様、子作りのことなんだが、いつ頃がいい?」
「そうだな…早くてもクラヴジック城が落ち着いてからだ。産卵であるなら、抱卵期間があるはずだ。その間、アキが動けぬのは少々心許ない」
「何を言っている?」
「いや、卵は温めねばなるまい?」
「旦那様が温めなければ、娘は産まれんぞ。ワタシが温めたら男児が産まれる」
「そうなのか?」
「知らんだのか。父親が温めたら娘が、母親が温めたら男児が産まれる。交代で温めたら、雌雄同体か生殖能力無しか、半々だな。覚えておけ」
「分かった」
龍の子はなかなか便利な生き物だな。
男が少なければ母親が、女が少なければ父親が抱卵するということは、抱卵期間であっても、少ない方が別の個体と子を成せるのか。つまり、男女の比率が凡そ揃うということではないか。
俺は男児が産まれても女児が産まれても、どちらでも嬉しい。両方に良い部分があることを、ファビオとルカの例で知っている。ゆえに俺はどちらが産まれても良いが、アキは可愛い娘が欲しいと言っている。叶えてやるのが夫たる俺の役目であろう。
「それでいつから子作りを始める?」
「言ったではないか。クラヴジック城が落ち着いてからだ、と」
「いつまでに落ち着かせるか聞いているのだ。目標があった方がいいだろ」
「そうだな…来月中には終わらそう」
「じゃあ九月に産むとすると、孵るのは来年の九月だな」
「一年も温めねばならぬのか」
「当たり前だ。孵化した後、だいたい十日で乳を飲まなくなる。つまりだな、人間で言ったら一歳か二歳くらいじゃないか?」
「卵から産まれるのに乳を飲むのか」
「ワタシの胸は何のためにあると思った?」
「それもそうか」
卵生と聞いていたので授乳の必要は無いと思い込んでいたが、必要なようだ。確かに授乳の必要が無ければ、胸の膨らみも必要無いのか。アキも小さいとは言え、膨らみはある。いや、こんなことをわざわざ考えるのは無礼であるな。やめておこう。
アキと話していると、サラが一人の男を食堂に案内してきた。確か領主館の役人であったはずだ。名も役職も知らぬが、顔は知っている。
「公爵閣下、領主代理文官閣下がお呼びでございます。奥様方を伴い、領主館前広場にいらっしゃいますよう、お願い申し上げます」
「分かった。レリアが準備を終えたら行く」
「ジル、お待たせ。ちょっと時間かかっちゃった」
ちょうど着替えたレリアが来た。
水色の美しいドレスがレリアの美しさを最大限に引き出している。所々に散りばめられた宝石が良い具合に光り、やはりレリアの美しさを引き出している。
「レリア、良く似合っているぞ」
「ほんと?」
「ああ。今すぐ肖像画を描かせたい。改めて礼を言うぞ、アキ」
「ワタシも驚いた。怪我で戦に行けなくなったら、姫の衣装選びになろう。才能があるかもしれん」
「いや、レリアの美しさがあってこそだ。レリアでなければ、これほど似合わぬぞ。やはり俺は幸せだ」
「ワタシも幸せだな。見てみろ、宝石たちも喜んでいる」
「ああ。天から美天使が舞い降りたのではなかろうか」
「いや、旦那様、よく見てみろ。美天使が霞んで見えるほどだぞ」
「二人とも褒めすぎだよ。それに美天使って何?」
「いや、つい調子に乗ってしまった」
普段はレリアの容姿をあまり褒めぬようにしているので、つい舞い上がってしまった。レリアの容姿を褒め始めたら、レリアとまともに会話ができなくなる。それにレリアが優れているのは容姿だけではない。性格も容姿と同等以上に俺の好みだ。
「それより呼ばれてるんじゃないの?」
「む。そうであった。待たせたな」
「いえ、こちらにどうぞ」
「ああ。それとおぬしに頼みだ。領主館の方で、画家を募集せよ。公爵が言い値で雇うぞ、と。人数は…三十人もいれば良いが、まあ全員俺に紹介せよ。俺が留守の時は、迎賓館に泊まってもらえ」
「は。ただちに開始いたします」
「ところで、名は何と言う?」
「ガッドと申します」
「ではおぬしにも仲介料を払おう。全ての画家の手付金の一割を、関わった者と分け合え」
「ありがたきご提案でございますが、そのような大金をいただく訳にはまいりません。どうかお考え直しを」
「そうか。まあ欲しくなったら言え。サラ、面倒を頼むぞ」
「お任せ下さい」
そろそろ本気で画家を探さねばならぬ。
俺と近しい者は、全て冗談と受け取ってなかなか探し始めぬが、ガッドとやらに頼んでおけば間違いない。普通に考えれば、領主館の役人が領主たる公爵に逆らうはずがない。これでようやくレリアの絵が手に入る。




