第246話
ベイシャマール島の上空に転移すると、雲の上であった。少々高すぎたか。
雲を抜けると、地獄のような天気であった。拳ほどの大きさの雹を巻き込んだ複数の竜巻に加え、数瞬ごとに落雷音も聞こえる。竜巻が島に積もった雪を巻き上げ、視界も悪い。天眼に魔力を込め続けねば、自分の手すら見えぬ。
着地するまでに、三度ほど雷に打たれた。一人で来てよかった。防寒着無しでは、すぐに凍死しているだろう。そうでなくても雹に当たって死ぬ。
天眼で索敵してみると、島には巨大な魔物が数え切れぬほど生息しているようであった。アシル情報では、島の外周は約五十メルタルだそうだ。あまり大きな島とは言えまい。
早く氷を探してすぐに帰りたいが、雪が積もって氷が見えぬ。早くせねば魔物が来るかもしれぬ。
「ナワバリ…キンシ…」
もう遅かったようだ。
象の胴体よりも太い四肢を持つ、体高十メルタ以上の白い巨人が来た。牙を剥き出し、こちらを睨めつけている。
だが、拙いヤマトワ語を話しているところを見ると、話の通じぬ相手ではないのかもしれぬ。氷の在処を聞き出して早く帰ろう。
「縄張りなどどうでも良い。氷がどこにあるか話せ」
俺は武装し、ヤマトワ語で白い巨人に話しかけた。仮に氷が近くにあり、溶けてしまっては意味が無いので、魔法は使わぬ予定だ。
「テシタ…イソゲ…!」
白い巨人はそう言って両拳を振り上げた。そこにちょうど落雷したが、意に介さぬように振り下ろしてきた。
俺は拳を受け止め、制御眼を開いて白い巨人を海まで投げ飛ばした。ここが島の中心部であろうと関係ない。かなりの力を込めて投げたので、百メルタルは飛んでいくだろう。
そう思ったのだが、途中で雷を体に受け、地面に叩きつけられていた。
「多いな」
白い巨人を見ていると、灰色の巨人二十体以上に囲まれていた。白い巨人より小さいので良いが、数が多いな。そう言えば、白い巨人が『手下、急げ』と言っていたな。
「ヤマトワ語を理解する者は平伏せ。そうでない者は脳天を叩き割る」
俺は剣を抜き、ヤマトワ語でそう言った。どうやら理解する者はおらぬらしい。
「では言い方を変えよう。自害せよ。さもなくば殺す」
今度はサヌスト語でそう言ってみた。もしかするとサヌスト語が伝わっているかもしれぬ、と思ったが、まあ通じぬのは当然だ。
俺は剣を灰色の巨人の頭に投げつけ、頭蓋を粉砕した。
その間に弓矢を取り出した。以前より更に強弓になっている。普通の弓なら自壊する程だ。なぜ勝手に強化されているのであろうか。まあ良いか。
「もう一度言う。自害せよ。さもなくば殺す」
俺はそう言うと同時に、三本の矢を番えた。そして全ての灰色の巨人が動くと同時に矢を放ち、三体の巨人の眉間に命中し、頭が破裂した。
竜巻と雹にも耐えうる強度の頭蓋を破裂させる程の威力では、この弓は人間相手には使えぬな。帰ったら普通の弓を用意させよう。
巨人は俺に迫ってくるが、無策で来ても俺には勝てぬ。俺は弓をしまい、制御眼を閉じ、狼化した。
奴らの股下を走り、時たま槍を突き出して殺す。
剣を回収する頃には、五十体以上の死骸が折り重なっていた。増えていたのか。
「テシタ…モット…」
人の姿に戻った俺の背後で、白い巨人がそう言った。まだいるのか。
「氷は自分で探す。自害せよ」
「…テシタ…イソゲ」
「黙れ」
俺は白い巨人の膝を蹴り、逆方向に曲げた。そして崩れ落ちた白い巨人の顔面を全力で殴り、破裂させた。意外と脆いな。
俺は巨人どもの死骸を回収した。何かの役に立つかもしれぬ。
「ラヴィニアよ、氷を探せ」
『拒否します』
俺はラヴィニアを出して探させようと思ったが、拒否された。いくら精霊型と言っても魔導書であるから、湿気には弱いのかもしれぬな。
しばらくすると、また魔物が現れた。今度は巨大な白熊の群れであった。相手にするのは面倒だったので、全て風魔法で切り刻んだ。肉片が竜巻によって舞い上がり、回収は不可能であった。
さらに歩くと、大時化の海が見えてきた。
流氷がぶつかり合い、互いを砕き、その破片が竜巻によって巻き上げられている。なるほど。雹かと思ったが、ただ氷が飛んでいるだけか。
俺は異空間を新たに作り、そこへの入口を開き、確認し得る全ての流氷を回収した。
念の為、飛んでいる氷塊を掴み、齧ってみたが、普通の氷だ。妙な味はせぬし、毒の類も含まれておらぬ。
俺はアシル邸の中庭に転移した。すると、槍が飛来したが、鎧に弾かれた。また罠を踏んだか。それにしても鎧も強化されているようだ。鎧はこのままで良いが、なぜであろうか。まあ良いか。
「戻ったぞ」
俺は縁側で涼んでいる五人にそう言った。冷やした果物を食べているが、俺は冷たいものを触る気にはならぬ。
「おかえり、ジル。血塗れだけど、返り血…だよね?」
「ただいま、レリア。むろん、返り血だ」
「良かった。でも、そんなに危ない感じだったの?」
「天気が悪くてな。血を避ける余裕が無かった」
「危なくなかった?」
「俺は大丈夫であるが…レリアは連れて行けぬ。凍るぞ」
「寒すぎて?」
「ああ。もう一度行きたいとは思わぬな」
「大変そうだね」
レリアはそう言って陽の当たる席を勧めてくれた。俺は武装を解除し、宙を舞っていた氷塊を取り出した。
「これで良いか、ユキ」
「いいけど…ジルさん、水魔法で作れなかったの?」
「……」
完全に忘れていたな。最初から水魔法で氷を作れば、わざわざ地獄のような孤島に行かずに済んだのだ。なぜ思いつかなかったのであろうか。暑さで集中力を欠いていたのか?
「転移してから気づいたけど、なんかごめんなさい」
「アシルがわざわざ氷の為だけに行ったのだ。俺には分からぬが、自然の氷の方が良いということであろう。そうでなければ、アシルの行動に説明がつかぬ」
「だといいけど」
「長い時間をかけて凍った氷の方が良質な氷になるそうです。それに海氷は普通の氷より冷たいそうです。わたくしもよく分かりませんけれど、旦那様はそう言っていました」
ナナさんはそう言ったが、海氷が普通の氷より冷たいとはどういうことであろうか。海の水に冷やされているということであろうか。まあ良いか。覚えていればアシルに聞いてみよう。
「そういえばアシルさんのこと、旦那様って呼んでるよね。お姉ちゃんみたい」
「あたしもそう呼んだ方がいいかな?」
「いや、レリアはそのままでいてくれ」
「ジルがそう言うならいいんだけど…」
ヤマトワではそう呼ぶ文化なのかもしれぬな。他のヤマトワ人を知らぬので何とも言えぬが。
その後、ヤマトワ風の昼食を食べながら氷の保存方法などを聞いていると、フーレスティエから連絡があった。犬人と猫人の代表を屋敷の談話室で待機させている、と。
ナナさんに礼を言って、四人で屋敷に転移した。待たせては悪かろう。
ルチアと出会ったので、ルカとユキに氷を渡して、三人で氷菓を作るように言っておいた。ヤマトワとコンツェンの味が合わされば、何か美味しいものができるかもしれぬ。
談話室に行くと、犬人と猫人の代表が、仲睦まじく茶を飲んでいた。犬人と猫人が馴れ合うとは、珍しいな。
犬人の方がベランジェール、猫人の方がウィルフリードである。
ベランジェールはバローの親族だそうだ。確かバローの母の姉の夫の妹の娘と聞いた。よく分からぬ。
ウィルフリードはシャミナードの師匠に当たる人物だそうで、シャミナードは未だに頭が上がらぬらしい。
「急に呼んですまぬな。個人的な頼みであるが、良いか」
「構いません。我々はジル様の私臣でありますから」
「ジル様は忙しい身ですから、仕方ありませんわ」
「『ニャ』とか『ワン』とか言わないんだね」
「はい。あれは魔王の戯言ですから。本来は敬語でも何でもありません」
「あれは敬語だったのか」
「本人はそのつもりでしょう。何度も注意しましたが、敬語をやめる訳にはいかないニャ、と」
「敬意は同じですわ。前主の戯言に惑わされているか否か、違いはそれだけですわね」
「そうか」
バローとシャミナードからは感じられぬ知性を、この二人からは感じる。語尾の『ワン』や『ニャ』が無いだけで、ここまで変わるものであろうか。
「話が逸れてしまいましたな」
「あ、ごめんね」
「いや、良い。良い事を聞いた」
「ジル様、本題の方へ移ってもよろしいでしょうか」
「ああ。本題であるが、主に四つ。まず屋敷の遮音性を高めてもらいたい。次に門の近くに小屋を建ててもらいたい。それから屋敷の地下に氷室を作って欲しい。最後に屋敷の裏庭を囲むように増築し、中庭にして欲しい。以上だ。質問は?」
「どちらを優先いたしましょうか」
「遮音性向上については九月までに終わらせて欲しい。小屋はなるべく早めにして欲しい。氷室と増築は急がぬ」
欲を言えば、氷室は夏のうちに作って欲しいし、増築はルカが中庭を欲しがっているうちに終わらせて欲しい。だが、あとひと月では、さすがに無理であろう。
「ではベランジュール、犬人が小屋を三日で建てなさい。我々が遮音性の向上工事をしますから、後で合流しましょう」
「分かったわ、ウィルフリード」
俺には、ベランジュールがウィルフリードに色目を使っているように見えるが、そういう関係なのであろうか。だが、犬人と猫人は、相容れない種族と聞いた。その情報が間違っているのであろうか。
「ジル様、早速始めようと思うのですけれど、何の為の小屋ですの?」
「転移魔法陣を設置する。ラポーニヤ城にあったであろう。出掛ける度に門まで歩いていては、疲れてしまう」
「確かにそうですわね。今日も歩いても歩いても、なかなか屋敷に辿り着きませんでしたもの。名案ですわね」
「そうであろう?」
「はい。それでは私は作業に取り掛かりますので、失礼しますわ」
「私も失礼します」
二人はそう言って出ていった。もう始めるのか。明日からで良いと思っていたのだが。
「あっさり終わったね」
「ああ。色々と聞かれるのかと思ったが、どうやら二人は理解したらしい」
「こんなこと言ったら失礼かもだけど、ああいうのを老馬之智って言うのかな?」
「そうであろうな。俺が何を求めているのか、すぐに理解していた」
「あたしもできるようになるかな?」
「レリアはいつも俺がして欲しいと思った事を、言う前にしてくれているだろう」
「そうだっけ?でも、ジルが褒めてくれるならそれでいいや」
レリアはそう言って笑った。
常に思っているが、やはり可愛いな。早く画家を探して肖像画を描かせねばならぬな。今日のレリアとは、今日しか会えぬ。明日になれば、また別の魅力を備えたレリアになっている事だろう。




