第240話
屋敷の門を出ると、既にヤマトワ人の集団はいなくなっていた。門番に聞いてみると、話が弾んでヤマトワ街に飲みに行ったらしい。荷車は敷地内に停めてあった。
とりあえずヤマトワ街に行ってみることにした。門番によると、三十人以上が一緒に飲みに行ったそうなので、ある程度目立っているはずだ。それに天眼を使えばすぐに見つかる。
ヤマトワ街に入ってすぐの酒場でヤマトワ人の集団が騒いでいた。アキも中心の方で楽しそうにしている。
それにしても三十人などではないぞ。少なく見積っても五十人はいる。店に入り切らぬのか、道に机を置いている。周りに迷惑をかけておらねば良いが。
「失礼するぞ」
「あいやー。おまえ、盲目あるか。ここ、わたし達貸し切ったある」
トモエと同じ雰囲気を纏った大男が俺の前に立ち塞がってヤマトワ語でそう言った。方言や服装から察するに、トモエと同郷、同族のようだ。
ここに集まっているヤマトワ人のうち、半数程度が黒い旗袍を着ている。男の旗袍は黒と決まっているのか?
「チカシゲ、さっき言った旦那様だ。強そうだろ」
「失礼いたした。私、土石龍ムグラ様配下の重鎮竜、チカシゲと申す者。吾ら三龍同盟庇護下の避難民の受け入れを承諾して頂き、誠にありがたく思いまする。先程の御無礼、謹んでお詫び申し上げまする」
「いや、こちらこそ失礼した。ご存知と思うが、改めて名乗らせていただく。サヌスト王国軍客将ジル・デシャン・クロード公爵だ。タカミツ殿の盟友として、我が領にて貴殿らを迎え入れよう」
俺はそう返し、握手を求めると、チカシゲは俺の手を固く握った。俺も固く握り返した。なかなか力が強いな。林檎程度であれば潰れるほどの強さだ。
「…二人とも堅くなりすぎだ。ほら、飲め飲め」
アキはそう言って俺とチカシゲに酒杯を手渡した。俺の方はアキの飲みかけだ。これは酔っているな。吐息も酒の匂いがする。まあ良いか。
「アキ殿…」
「遠慮するな。飲め飲め」
「あっ」
アキはそう言ってチカシゲの近くの椅子の上に立ち、断わろうとしていたチカシゲの口にヤマトワ酒を注ぎ込んだ。
チカシゲに酒を飲ませて満足したのか、アキは机に座った。いや、座った途端に崩れ落ちた。この机は重い物を載せてはならぬ設計のようで、普段のアキであれば大丈夫であろうが、酔ったアキは支えられぬようであった。
「旦那様、なぜ助けなかった。ワタシは助けてやったのに。ワタシが姫なら…」
「レリアはそんな事はせぬ。すまぬな、チカシゲ殿…?」
「あいやー…」
アキを助け起こしてから、振り返ってチカシゲに謝ろうとしたところ、白目を剥いたチカシゲがひとこと言って後ろに倒れた。大男が倒れたことで、周囲の三名を巻き込み、さらに料理が載った机も巻き込んで倒れた。派手に倒れたな。
「チカシゲ殿、どうなされた?」
「大変だ。チカシゲさんが飲んじまった。水だ、水。水を持ってこい」
巻き込まれて倒れた男がそう言うと、一気に騒ぎになった。
水を持ってこい、それは酒ではないか、飲ませたのは誰だ、酔った姐さんだ、なら仕方ない、などとヤマトワ語で言いながら騒いでいる。そして、店主が出てきてようやくチカシゲに水を飲ませ始めた。
「おい、どうなっている?」
「俺達シューシンカン族は全員下戸なんです」
「それは大変だ」
「もし酒を飲んじまったら、水を飲みまくって酒精を薄めて、後は本人の体力次第なんです」
「それは…すまぬことをした。我が屋敷に医者がいる。名医と言って良い」
「閣下、医者にはどうにも出来やせん」
「そうか」
「ですが、寝場所はお借りしたいです」
「承知した」
シューシンカン族の男と話していると、店主達は水を飲ませるのを止めた。充分飲ませたのだろう。
「ではチカシゲ殿をお運びする。誰かアキを頼む」
「ワタシは歩ける…」
「ならば来い」
「行ってやる」
アキはそう言って俺の肩に噛み付いた。今回の酔い方は酷いな。まあいつものように暴力的になるよりは良いか。
「おぬし、名は?」
「ヒサツナです」
「ではヒサツナ殿、店主殿にこれを渡してくれ。迷惑料だ。余ったら食事代にでもしてくれ。では」
「へい」
俺はヒサツナに金貨百枚が入った皮袋を渡し、チカシゲを背負った。なかなか重いな。レリア二人分以上ありそうだ。その上、アキが俺の左半身にしがみついている。なぜ俺がこんな目に合わねばならぬのだ。
「アキ、自分で歩け」
「…今ワタシは子守熊の気分だ。知っているか、子守熊を」
「有毒の葉を食べ、半日以上眠っている動物であろう」
「知っているのか。それより旦那様、子守熊を知っているか」
「…もう喋るな」
「分かった。旦那様、子守熊を知っているか」
「……」
中途半端に酔ったアキは面倒だな。もっと酔えば、元気になるはずだが、よく分からぬな。まあアキは酔った時の事は覚えておらぬ事が大半であるし、無視をしても良かろう。
ヤマトワ街を出て屋敷までの間、かなり目立った。つまり俺を見つけるのは容易いということだ。
「見つけたわ、ジル・デシャン・クロード。決闘よ」
俺を探していたと思われるヒナツは、そう言って俺に果し状と手袋を投げつけた。ヤマトワでは果し状を、大陸では手袋を、相手に渡すのが決闘の申し込みとなる。二度戦え、ということであるのか?
「なぜ戦わねばならぬのか。俺は急いでいるのだ」
「乙女を辱めておいて、よくもそんな事が言えるわね。もうお嫁に行けないじゃない!」
「……嫁ぎに来たのではないのか。これ以上どこに嫁ぐのだ?」
「…」
ヒナツは膝から崩れ落ち、蹲ってしまった。カイのことを忘れていたのか。
「カイに失礼であるぞ」
「……」
「俺は行くぞ。チカシゲ殿を寝かせねばならぬ」
俺はヒナツを置いて屋敷に向かった。
アキも途中から黙ってしまったので、楽であった。普段のアキなら良いが、やはり酔ってしまったアキの相手は面倒だ。
屋敷に着き、チカシゲを寝かせ、念の為にテクジュペリを呼んだ。テクジュペリにチカシゲを任せ、アキをソファに寝かせて、レリアの部屋に向かった。アシルにはヤマトワ人の対応と言ってきたが、俺の目的はレリアに会うことだ。
レリアは眠っていた。
やはり綺麗な寝顔をしている。画家を呼んで描かせるか…いや、俺以外の者にレリアの寝顔は出来るだけ見せたくないな。となると、俺が画家になるか…いや、画家は大変と聞く。
悩みどころではあるが、やはりレリアの寝顔を絵画にするのはやめておこう。そもそもレリアが恥ずかしがるであろうし、レリアの寝顔を見て良いのは俺の特権だ。絵画などにして見せびらかすものではない。
昼時も過ぎ、ファビオ達が庭で遊び始めた頃、レリアは目を覚ました。
「レリア、飲むか」
「…うん」
俺はレリアに水を一杯渡し、レリアはそれを一気に飲み干した。
「おはよう、ジル」
「ああ、おはよう、レリア。よく休めたか」
「うん、もう完璧だよ。お腹は減ったけどね」
「ならば昼食にしよう」
俺はそう言い、レリアの着替えを待った。
レリアが着替えると、食堂に向かった。ドウセツとチカシゲが果物を食べ、果実水を飲みながら話していた。大男二人が可愛らしいものを食べているな。まあ別に良いが。
無下には出来ぬが、二人には退いて欲しいな。今はレリアと二人で話したい。
「チカシゲ殿、もう大丈夫か」
「ええ。お蔭をもちまして、酒精も抜けました」
「ならば良かった。アキがすまぬことをした」
「いえ、アキ殿も好意でしょうし、私の不注意もありました」
「そうか」
何と切り出したものであろうか。察してくれたら良いのだが、察する気配がない。何か用を頼むか。
「それはそうと、お二方。少し頼まれてくれぬか」
「は、何でしょう?」
「ルイス卿とアズラ卿と、それぞれ話し合っていただきたい。ルイス卿は領主代理文官、アズラ卿は領主代理武官だ」
「そうですな。式典の事もありますし、話し合わねばなりませんな。ドウセツ殿、行こう」
「うむ。我らはこれで失礼する」
二人はそう言うと出ていった。片手に果物、もう片手に果実水を持って。
これでようやく二人になった。今回は帰ってきてから幾度も邪魔が入った。
「すまぬな」
「別にいいけど…式典とか言ってなかった?」
「…今すぐではあるまい。それにルイス卿にお任せすれば良い」
「ならいいんだけど」
レリアは二人との仲が悪化せぬように心配してくれているのか。やはりレリアといると落ち着くな。
席に着き、料理を運んできたサラが退出したのを確認してから、俺は切り出した。レリアには言わねばならぬ事が二つある。
「レリア、言っておかねばならぬ事があるのだが…」
「アキと正式に婚姻を結んだんでしょ?」
「ああ。早く報告せねばならぬと思っていたのだが、帰る暇が無くて、伝えられなかった。いや、レリアが否と言うなら、すぐにでも破棄する」
「破棄しなくていいよ。あたしね、考えたんだけど、ジルの奥さんが増えるってことは、ジルの子どもも増えるんだよね。じゃあ、何も悪いことはないよ」
「そう言ってくれるとありがたい」
「ひとついい?」
「何なりと」
「もうしちゃったの?」
「いや、断じてしておらぬ。そんな事をする為に戦場に行ったのではないし、第一、レリアに隠れてそのような事はしたくない」
「なら良かった」
何が良かったのかは分からぬが、レリアが良かったのであれば俺も良かった。
それにしても、否と言われたらどうしようかと思った。アキはヤマトワに帰ると言っていたし、何より俺もアキを気に入った。レリアの為でなければ、手放そうとは思わぬ。
「もうひとつ言わねばならぬ事が…」
「いいよ、聞いちゃう。ジルが帰ってきて嬉しいから、よっぽどの事じゃなかったらいいよ」
「…三日後にはもう一度行かねばならぬ」
「……え?」
「すまぬ。あまり話さぬほうが良いのだが、とある大問題が発生したのだ。しばらく戻らぬかもしれぬ」
「大問題ってそんなにまずいの?」
「ああ。聞かぬほうが良いとは思うが、レリアが知りたいなら話そう」
魔王の封印が半分以上解けたなどと言ったら、レリアを必要以上に怖がらせてしまう。それは好ましくない。
「話さなくていいよ。ジルが言わなくていいって思うなら、あたしは聞かなくてもいいから。そこは信じてるから」
「ありがたい。隙があれば戻ろうと思う」
「分かった。あ、ひとつだけ聞かせて。負けてないよね、勝ってるよね?」
「ああ。叛乱軍は撃退した。盗まれた物と前城主の置き土産が、陛下が宰相ヴァーノン卿を派遣なさるほどの大問題なのだ」
「あたしは何とも言えないけど、頑張ってね。あたしに出来ることがあったら手伝うから。何にも無いかもしれないけど」
「ありがたい。本当にありがたい」
レリアは専門的な事は何も出来ぬかもしれぬが、俺を癒すのはレリアにしかできぬ。癒されたい時は帰ってこよう。影武者でも用意すれば良い。隙がなければ作れば良いだけだ。




