第232話
俺は王都を出て、ヌーヴェルに乗ってしばらく駆けると、工兵隊に加え、人狼隊、人虎隊と出会った。工兵隊の護衛という名目であるそうだが、実際のところは援軍であろう。
「ブームソン、ヴィルトール、バロー、シャミナード、よく来てくれた」
俺はヌーヴェルから降り、四人を労った。そして、三千五百の将兵と共に、クラヴジック城攻城戦本陣に転移した。既に兵をクラヴジック城に移動させ、ここも片付けたたようだ。
俺はアキに念話を送ってみたが、眠っているようであった。それはエヴラールも同様だ。
クラヴジック城の西門まで来たが、城門は閉まったままだ。俺と気づいておらぬのか。
「当方は客将ジル・デシャン・クロード公爵である!ただちに開門し、叛徒討伐軍総帥パッセルス卿に伝えよ!」
俺がそう叫ぶと、城門が開いた。南側から迂回しても良かったが、まあ良い。
「お待たせ致しまして申し訳ございません、我が君」
アブデラティフが出てきて、俺の前に跪いてそう言った。まだ俺の事を主君と言っているのか。
「いや、おぬしの主は国王陛下だ。俺ではない。それよりもパッセルス卿はどこにおられる?」
「はっ。こちらへどうぞ。お戻りになられた際は、真っ先に案内するよう、仰せつかっております」
「そうか。ではその前に南側の城壁の修理を始めさせてもよろしいか」
「よろしくお願いいたします」
アブデラティフはブームソン達に一礼してから、ヌーヴェルの手綱を引いて俺を案内した。
偽王宮の前に来てヌーヴェルから降り、臨時総帥室に向かった。
臨時総帥室では、パッセルスはどこから持ってきたのか分からぬ安楽椅子で、スタニックは胡牀で、それぞれ眠っていた。パッセルスはともかく、スタニックは良く眠れるな。眠ったら転んでしまいそうなものだが。
「客将閣下…」
スタニックが俺に気づいて目を覚ました。さすがに熟睡はできぬか。
「失礼いたしました」
「いや、良い。それより、パッセルス卿はいつからお寝みに?」
「日の出頃までは起きてらっしゃいました」
「そうか。ならば俺はアキに会ってくる。お起こしするのはその後で良かろう。おぬしらも休憩なされよ。では」
俺はそう言って臨時総帥室を出て、扉を閉めた。こうせねばどこまでもアブデラティフがついてまわるのは明白だ。
アキの居場所は天眼で探せばすぐに分かる。アキの魔力はよく知っているし、クラヴジック城内程度の範囲であれば、すぐに見つかるので案内などいらぬ。
アキの気配を辿って進んだが、偽王宮から出ることは無かった。アキは偽王宮の一室を借り受けているようだ。隣の部屋は臨時客将室と書いてあり、おそらく俺の部屋だ。その正面はエヴラールの部屋となっている。もともとは叛逆貴族の部屋だったのだろう。
アキの部屋には鍵が掛かっていたので、一度自分の部屋に入ってみると、壁に穴が空いていた。それも人が通れるほどの大きさだ。そしてその穴はアキの部屋に通じている。
来い、ということであろうか。そうとしか考えられぬな。
「入るぞ」
俺は念の為、声をかけてからアキの部屋に入った。部屋の中は荒らされており、机の上に宝石が集められていた。物色しているうちに眠くなったのだろう。
アキはベッドではなく、ソファで寝ていた。疲れが残っては支障が出るので、ベッドに移してやった。
「今からやるか」
目を開けたアキがそう言って俺の首の後ろに手を回し、互いの額が触れ合いそうな距離まで俺の顔を引き寄せた。
眠っていたのではないのか。念話で確認した時は眠っていたはずだ。
「起きていたのか」
「ずっと待っていた」
「そうか」
アキがそう言って襦袢を脱ぎ始めた。まさかここで始めようと言うのか。だが、今はそんな事をしている場合ではない。何とか機嫌を損ねずに断らねば。
「待て」
「何だ?」
「そういう気分ではない。すまぬな」
「じゃあ、いつそういう気分になる?」
「家に戻るまで我慢せよ」
「絶対だぞ」
「ああ。絶対だ」
「分かった。ワタシの機嫌を取りたいなら、しばらく言う事を聞け。まず、腕枕だ。ほら、早くしろ」
「あまり急かすでない」
俺は魔法で寝巻きに着替え、アキの隣に寝転んだ。それから腕を差し出してやると、アキは嬉しそうに俺に抱き着き、すぐに眠ってしまった。
レリアの時はそうは思わぬが、アキに抱き着かれると、締め付けられているような気分になる。気持ちの問題か、それとも単純に力の問題か。まあ今のところ不快ではないので良い。
俺も休んでおこう。考えてみれば、昨日の早朝、いや、一昨日の深夜からずっと休んでおらぬな。
昼前頃、エヴラールが部屋の扉を叩いてアキを呼び始めた。俺を起こさねばならぬから早く起きろ、と。だが、アキは反応せぬ。
ちなみにアキとエヴラールは同格の騎士であり、『公私混同をしない』とアキが宣言してから、エヴラールは以前と同じように、俺の妻ではなく僚友としてアキを扱う。もちろん、これはアキが騎士として振る舞う時のみの事であり、それ以外の時は公爵夫人として接している。どちらかに統一すれば良さそうに思えるが、まあ俺がわざわざ口を挟むことではあるまい。
俺はアキに気付かれぬように慎重に腕を抜き、代わりに枕を抱かせて、魔法で着替えて鍵を開け、扉を開けた。
「ジル様!」
「驚いたか」
「は…しかし、ここはアキに宛てがわれた部屋では…?」
「ああ。そして隣は俺の部屋だ。そこを見てみよ」
俺は横に退き、部屋に空いた大穴を見せてやった。エヴラールは俺に断ってから部屋に入り、俺の部屋の方を覗いた。
「見事であろう。俺も驚いた」
「ええ…」
「それより何用か」
「はっ。総帥閣下がお呼びでらっしゃいます」
「そうか。ならば行こう。アキを起こすのは後で良い」
「アキもお呼びです」
「ならば起こさねばならぬな」
俺はベッドに腰掛け、俺の代わりに締め付けられている枕を引き抜いた。すると、アキは新たに抱き着く対象を求めるように動き、座っている俺に気付いて目を開けた。
「起きたか」
「…ずっと起きていた」
「嘘を言うな。それよりパッセルス卿がお呼びだそうだ。着替えて行くぞ」
「エヴラール、出ていけ。人妻であるワタシの身体は旦那様以外に見る権利はない」
エヴラールは俺に一礼して部屋を出た。俺も出ていこうと思ったが、機会を逃した。
「旦那様は存分に見ろ。その気にさせてやる」
「その気にさせたいのであれば、早く着替えることだ。その分だけ早く帰れるぞ」
「そうだな。さっさと殲滅して、さっさと帰って、ゆっくりまぐわって、可愛い娘を産もう」
「ならば早くせよ」
アキは嬉しそうに立ち上がって襦袢を脱ぎ始めた。
アキは服を着ぬまま『娘の名前は何にしようか』などと独り言を言いながら、脱ぎ散らかしていた服を集めた。それから服を着ず、宝石を無造作にかき集め、巾着袋に入れた。それからやっと服を着始めた。
最近はアキの愛せる部分を増やそうとよく観察しているが、結構粗雑な性格をしている。
まず、片付けが下手だ。服は脱ぎ捨てるし、出した物も片付けぬ。それは別に良いが、大切にすべき物、例えば刀や薙刀などの武器や、自ら好んで集めている宝石なども集めて満足し、そのまま放置している。
まあ片付けが下手なのは直さなくても別に良いが、力加減は覚えて欲しい。眠る時に抱き着いてくるのは愛らしいが、力が強い。以前、抱き枕にしていたと思しきものを見つけたが、真ん中あたりが妙にくびれていた。枕を新調した翌々朝である。このまま鍛錬を重ねて力が強くなったとしたら、いつか俺も妙な形にくたびれてしまうかもしれぬ。それだけは避けたい。
長所もいくつか見つけたが、妙な形にくびれてしまう恐怖を思えば、あまり目立たぬな。
「おい、終わったぞ。何を考え込んでいる?」
アキが俺の顔を覗き込んでそう言った。黙って座っていれば、そこそこの美人であることも長所のひとつだな。
「いや、俺もおぬしと同じことを」
「娘の名前か?」
「そんなところだ」
娘と決まった訳ではないのに、アキは娘の名前しか考えておらぬのか。まあ本人は完全な産み分けが出来ると言っているので、信じてみるのも良かろう。
「命名権はやらんぞ。だいたい、母親以外が名付け親になるのが信じられん。母親が命を懸けて子を産んだら、何の苦労もしていない父親が出てきて、この子はナントカだ!と言える意味が分からん。お前は命を懸けたのか、と阿呆な父親を殴り飛ばしたい。ただ、父親が名付け親ならまだマシだ。祖父母とか、叔父とか叔母とか、それ以外にも例えば上官とか、その親子に全く関係がないやつが出しゃばって名前を決めるという文化が少しでもあるのが、人類史上一番の謎だとワタシは思っている。旦那様はどう思う?」
「確かにアキの言う通りだ。命を懸けるのは母親だ」
「だろ?なのに命名権が自分にあると思っている父親が多いのはなぜか。旦那様、答えてみろ」
「人類史上一番の謎を俺に聞くのか。まあ、命を懸けた後、さらに頭を使わせるのは酷と考えたのではないか?」
「産む前に考えておけばいいだろ」
「確かにそうだ。ならば、命を懸けている事に気付いておらぬのではないか?」
「旦那様は良い奴だな」
「いきなり何を…?」
「ヤマトワの男に聞いたら、百人中四十人くらいは『夫の方が偉いから』と答えるぞ。残りの六十人も言語化できんだけで、似たような事を心の奥底で思っている。だが、旦那様はそんな事は言わなかった。だから良い奴だ」
妙に現実的な数字だな。実際に聞いて回ったのであろうか。それとも適当であろうか。十人中四人ではなく、百人中四十人と言うところを見ると、調べたのであろうか。まあヤマトワの記録がサヌストでも通用するとは限らぬ。サヌスト人は別の考え方があるのかもしれぬ。
「夫婦に上下関係など無かろう。俺が偉ければ、同じ分だけレリアとアキも偉い」
「…姫と同格に扱ってくれるのか?」
「なるべくそうしたいと思っている」
「…間違って男児が産まれたら命名権をやる」
「そうか。ならば考えておかねばならぬな」
「必要ない。産み分けは完璧だ。だが、初めてだから本当かは分からん…そうなったらワタシは旦那様とは一緒にいられなくなる」
「これか?」
俺はそう言って誓約書の一枚を出した。これはアキの子が男児だった場合、アキは尼僧になり、その子はタカミツ殿の養子になる、という内容である。
俺は火魔法で小さな火を出し、それを燃やしてしまった。
「あ…」
「俺の子は俺が育てる。その子の母と共に」
「旦那様…」
アキが嬉しそうに俺に抱き着こうとしたところ、扉が叩かれ、エヴラールの催促があった。まだ着替えが終わらぬのか、と。




