第230話
偽王宮の臨時総帥室に戻ると、スタニックが血相を変えて駆け込んできた。
「ご報告します!副総帥アマット卿、戦死。アブデラティフ卿、左腕および右脚切断の重傷。ネルヴィル卿、行方不明。そのほか、南方援護部隊将兵五千名以上が戦死または行方不明、帰還兵もほとんどが重傷です」
「何と…」
行方不明が多いな。魔法で吹き飛ばされたのか、捕虜となったのか。できれば後者が良いが、撤退中の部隊がわざわざ敵を捕らえるとは思えぬ。未帰還兵は死んだと思うべきであろう。
「アブデラティフ卿はどこにいらっしゃる?」
「は。城内に戻り、軍医の治療を受けています。軍議でしたら自分抜きで進めてくれ、との伝言を頼まれております」
「案内せよ。治せるかもしれぬ」
「医術の心得が?」
「いや、回復魔法と言ってな…」
俺は短剣を取り出し、自分の左手の指を全て切り落としてすぐに回復して見せた。痛いだけで大して魔力を消費せぬので別に良い。
「この通り、すぐ治る」
「…こちらへ」
俺はスタニックの案内に従って王宮を出た。アキはついて来たが、エヴラールは指を片付けていた。一本にしておけば良かったな。
スタニックが案内した先は練兵場で、アブデラティフ以外にも、負傷し生死の境を彷徨う将兵が布を敷いただけの地面に大勢寝かされていた。
「全員助ける。俺が行くまで生き長らえよ、と伝えよ」
「はっ」
アブデラティフは虚ろな目をしている。左腕や右脚の切断以外にも、左太腿に刺傷があったり、右目を突かれたり、歯が折れたり、数え切れぬほどの傷を負っている。生きているのが不思議な程だ。
「アブデラティフ卿、今お助けする」
俺はそう言ってアブデラティフに回復魔法をかけた。もちろん全快し、本人の希望があればすぐにでも動ける。ただ、憔悴しきって動けぬだろう。
回復魔法とは生物が持つ回復力を強化するだけで、欠損部位などは治らぬ、というのが人間や魔族の間では常識であるが、魔界で導き出された答えは違う。
生物はどのような傷を負っても数千年あれば全快する。全快しないのは寿命が足りないからだ。人間が指を失った場合、千年もあれば元通りになるが、人間は百年弱で死ぬ。ゆえに人間は指や腕などを失えば治らぬ、と信じ込んでいるという訳だ。
そこで回復力を最大限強化することで、一瞬で欠損部位も治るというわけである。簡単な事だ。回復部位と回復力を数値化し、前者を後者で割れば、おおよその期間が分かる。回復力が大きければ大きいほど、早く治る。
まあそんな事はどうでも良い。早く次の将兵を助けねば。いや、一人ずつ助けては効率が悪いな。飛んで上から回復魔法を乱射し、一気に治してしまおう。幸い、回復魔法を無傷の者が受けても元気になるだけだ。
「スタニック卿、ここにいるので全てか?」
「は。我が軍の負傷兵は全てここに」
「では一気に治す」
俺はそう言って翼を生やし、飛び上がった。魔力を込めれば込めるだけ威力は強くなり範囲は広くなる。俺は練兵場を包み込むように回復魔法を使った。
生きている将兵の傷は全て治り、失った腕や潰れた目すらも治り、全快した。治らぬ者もいるようだが、その者は間に合わなかったか。仕方あるまい。
「傷は治ったが、それだけだ。疲れを感じるようなら休め」
俺はここにいる全将兵にそう告げ、アブデラティフの近くに着地した。精神的に疲れて集中力を欠いた者がいても、あまり意味が無い。それにせっかく救ってやったのだから、なるべく生き残ってもらいたい。
「何と礼を言って良いものか…この戦が終わった後、この命があれば、私は引退し、客将閣下、否、我が君に人生を捧げましょうぞ」
アブデラティフは俺の前に跪いてそう言った。重いな。
「アブデラティフ卿、そのような事を軽々しく仰るな。それより、我らが総帥殿がお呼びだ」
「はっ。ただちに参りましょうぞ」
アブデラティフはそう言って立ち上がり、何度か腕を振り回してからスタニックの案内に従った。
臨時総帥室に戻ると、パッセルスはアブデラティフの無事を喜び、改めて俺に礼を言った。
「さて、本題だが、これを」
パッセルスはそう言って二枚の文書を見せた。書き写させたようだ。
アブデラティフは休戦要請についての文書から読み、次いで魔王の右腕等解放についての文書を読んだ。
「休戦するにせよ、しないにせよ、友軍の救助に向かうべきでしょう。私だけ助かっては、戦友に合わせる顔もない」
アブデラティフはそう言いながら左腕を触った。戦友に合わせる顔もないとはどういう意味であろうか。玉砕するつもりであろうか。
「同感だ。アブデラティフ卿やあそこにいた者は助けられたが、城外で死にかけている将兵も助けたい。もちろんネルヴィル卿も」
「客将閣下、今夜のうちに王都に着けるとの話でしたが、それは今でも変わりは無いのか?」
「ええ」
パッセルス達には説明しておらぬが、王都まで走る訳では無い。転移するのだから、いつ出発しても、出発とほぼ同時に到着する。まあ説明してもその目で見るまでは分かるまい。
「ワタシから提案だ。客将様が王宮に行っている間、ワタシ達で傷兵の回収をするのだ。ダークエルフくらいならワタシでも撃退できる」
「客将閣下、お願いできるだろうか」
「お任せいただきたい。で、王宮には何とお伝えする?」
「その事だが…」
パッセルスはそう言いながら書類を仕上げた。
休戦に持ち込めそうなこと、自軍の被害が甚大であること、叛乱軍が魔王の右腕を解放したと宣言していること、アルフレッドを捕え損ねたこと、ダークエルフが関与していること、副総帥アマットが戦死したこと、が主な内容である。それと例の文書の写しを同封し、詳細は俺の口から伝えることが決まった。
「ではラヴィニアとヨドークを残していく。ダークエルフには負けぬ」
俺は左手からラヴィニア、異空間からヨドークを出した。アキと併せて上手く使えば、ダークエルフなどには負けぬであろう。
「ラヴィニア、俺の魔力を好きなだけ使え」
『承知しました』
「ところで、ヌーヴェルはどうした?」
『マスターの異空間に。魔法的にはマスターとラヴィニアは同一人物ですから』
「そうか」
まあヌーヴェルがいても転移で行くので関係ない。
「客将様、できたらシャミナード達を呼べ。城壁を直してもらった方がいい」
「パッセルス卿、我が私兵隊を呼び寄せてもよろしいか?優秀な工兵だ」
「お願いしたい。客将閣下、くれぐれもよろしく頼む」
「ええ、お任せを。では」
俺は臨時総帥室を出て、偽王宮を出た。説明せずに転移しては驚かせてしまうだろう。ヌーヴェルに乗って見えぬ所まで行ってから転移すべきであろう。
俺は崩壊した南の城壁を通って出発した。五万の軍勢が通れるくらいには大きい穴だが、瓦礫を片付けた訳ではなく、左右に寄せただけで足場が悪い。五万の軍勢が一気に駆け抜けるなどというようなことはできぬだろう。




