第221話
朝食を終えると、アキは『エヴラールが来たら呼んでくれ。すぐに行く』と言い残して自室に篭ってしまった。
俺がレリアの部屋の前でレリアを待っていると、ローラン殿に呼び出された。ローラン殿は東館に住んでいるようだが、これは本人の意思ではなく、レリアとイリナの意思だ。イリナは西館に住むと言ったので、なるべく良い部屋をあてがった。
今は庭の池の舟に二人きりで乗っている。密談でもすると言うのか。
「今日は何です?」
池の中心部に近づいた頃、俺はそう尋ねた。ローラン殿が漕いでくれているが、なかなか難しそうなものだ。
「あれが例の嬢ちゃんか」
「例の嬢ちゃん?」
「覚えてないのか。ヤマトワとか言う国の嬢ちゃんだ。第二夫人にするとかなんとか言っていただろ」
「言っていましたな」
「本気か」
「ええ」
「レリアたんを捨てたら…分かるな?俺はお前を殺すために生きる。炎の中に逃げても、水の中に逃げても、地獄に逃げても、どこに逃げても追いかけてその首をレリアたんに捧げるからな」
「肝に銘じておきましょう」
わざわざそんなことを言うために呼びつけたのか。いや、違うか。何か本題があろう。
「とまあ、そんなことは置いといて、だ。気になるか、本題が」
「ええ」
「教えてやろう。ヤマトワの将軍を討ったそうだ。これにより、幕府は倒れ、戦国時代が訪れた。ヤマトワ人が続々とこの街に来るだろう、と。お前の弟からだ」
「そうですか。それは良かった」
アシルが持ってきた情報とはこの事であったか。
ヤマトワの将軍を討ち取ったのは誰か知らぬが、これからヤマトワには動乱の時代が訪れる。そしてヤマトワから避難民が聖都アンセルムに訪れる。ルイス卿には面倒をかけるかもしれぬが、仕方あるまい。
「本題は終わりだ。そんな真面目くさった話は置いておこう」
「ローラン殿が言い始めたのでは?」
「伝えろと言われたからな。そんなことより、だ。貴様、奇妙なことを教えてやろう。受け取りようによっては気色悪いと感じるかもしれないな」
「何です?」
「ジェレミとイリス、それからカーラについて、だ」
「カーラ?聞いたことがありませぬな」
「ジェレミ達の母親だ」
「そうでしたか。失礼いたしました」
ジェレミとイリスはレリアの腹違いの弟妹である。つまりカーラ殿は、レリアの継母となる。
「たぶん、いや、絶対に勘違いをしていると思うが、ひとつ教えてやろう。ジェレミとイリスは、俺の弟と妹だ。四十歳離れた、な」
「…つまりジスラン様の…?」
「そういうことだ。母上が死んだ時、父上が奴隷に手を出して、その奴隷が孕んだ。さすがに人聞きが悪いだろ。だから、父上は兄と結婚させ、子を産ませた」
「なんと…」
驚いたな。ということはつまり、ジェレミとイリスはレリアの叔父母ということになるのか。叔父母でありながら、義姉弟ということか?ややこしいな。
血縁的にはカーラ殿はレリアにとって義理の祖母ということになるが、法的には義理の母親ということになるのか…?いや、義理の継母か…?義理の継母はおかしいな。
よく分からぬが、とにかくジェレミとイリスはレリアの弟妹ではないということだ。
「ですが、レリアからは二人は弟妹と聞いておりますぞ」
「秘密にしてたからな。知っているのは、俺と兄二人、父上と…あとはナタリアだ。ああ、もちろんカーラも知っている。他には…リアンとリノも薄々気づいてるかもしれないな。もともと兄は一途だったからな」
「そうですか…なぜ私に?」
「いや、兄と父上は重婚に反対する権利が無いということだ。少しは気が楽になったろ」
「ナタリア様はどうでしょう?話を聞く限り、恨まれそうなものですが」
ジスラン様は一途であったという。俺もレリアに対して一途であったと断言しても良いくらい尽くしている。もちろん俺が喜んでやっていることだ。
レリアとナタリア様は同一人物ではないが、境遇が似ている。少しは参考になるだろう。
「いや、恨んでないな。強いていえば、父上を恨んでいるかもしれない。いや、母上を恨んでいるかもしれないな。なぜ父より母が先に死んだのか、と」
「レリアを傷つけてしまわぬでしょうか」
「傷つかない恋はない、と、とある賢者が言った」
「そうは言いますが…」
「兄の実例を出してやろう。兄とナタリアは夫婦であると同時に恋人同士だった。だが、カーラは違う。ただの夫婦だ。だからこそ、ある程度の円満家庭を築きえたのだろう」
「俺もそうなりますか?」
「ジル君次第だな。だが、少しでもレリアたんを悲しませたら、屋敷に火をつけて、レリアたんと逃げる。例え使徒様でも公爵閣下でも客将でも領主でも、レリアたんを悲しませるなら火刑に処す。いいな?」
「肝に銘じておきます」
例えローラン殿の脅しが無くとも、レリアを悲しませたりはしたくない。
「おい、部下が呼んでるぞ」
「あれは…エヴラールですな。岸に近づけてください」
「魔法で行け。俺はここで昼寝でもしている」
「では失礼します」
「おっと。今の話は誰にも言うなよ。我が家の名誉に関わる。レリアたんにも、だ」
「承知しました」
俺はローラン殿にそう告げてエヴラールのもとに転移した。鎧を纏っている。武官は正式の場では鎧を纏うのがサヌストの仕来りだ。まあ武官として参列する時の話であるが、基本武官は武官で、文官は文官だ。兼ねることはない。俺は聖職者を兼ねているようだが。
「もう行くのか?」
「はい。話の途中のようでしたが、よろしかったので?」
「ああ。ただの人生相談だ。それにもう終わった」
「終わった…私でよろしければ、相談に乗りますが」
エヴラールも冗談を言うようになったのか。しばらく会わぬだけでこうも砕けた性格になるとは。いや、あえてそう努めているだけかもしれぬ。
「誰が人生が終わったと言った?人生相談が終わったと言っているのだ。縁起でもない冗談は止さぬか」
「失礼しました。出発の用意は出来ておりましょうか?」
「ああ。ヌーヴェルを喚んで、鎧を着るだけだ。それよりアキを呼んできてくれ。俺は正門前で待っている」
「御意」
俺はエヴラールを見送り、ローラン殿の方に一礼してからヌーヴェルを喚んだ。そして正門前まで駆けた。馬ならすぐだ。
正門前にはエヴラールの一角獣が繋いであった。
これまでアキは幼い竜に乗っていた。移動用にアキにも一角獣を贈るか。
俺は主がいない一角獣を喚び、馬装を整えてやった。
鎧を纏ったアキとエヴラールが歩いてきた。アキの機嫌は相変わらず良さそうだ。
「待たせたな、旦那様」
「いや、良い。それよりもアキ、一角獣をやろう。移動に使うと良い」
「いいのか?!ワタシはまだ何もしてないぞ」
「気にするな」
「名前は?ワタシがつけていいのか?」
「まだ名無しだ。おぬしがつけよ」
「そうだな…メトポーロンにしよう。よろしくな、メトポーロン」
アキは大して悩まず、すぐに決めた。意味は知らぬが良い名だ。メトポーロンはアキに撫でられると、アキに擦り寄っていた。相性は良さそうだ。
「では行こう」
俺はヌーヴェルに乗って門を出た。
聖都アンセルムの道は広い。馬車がすれ違っても大丈夫だ。もちろん主要な道のみで、路地や裏路地は狭いそうだ。俺はまだ行ったことがない。
街の設計は前王時代にされていたようなので、エジット陛下の気遣いではない。前王の節約かもしれぬな。なるべく家を少なくしながらも、なるべく街が大きく見えるように。まあ思惑などどうでも良い。俺は気に入っている。
俺に気づいた民に手を振って応えながら街を出た。さすがに街中で駆ける訳にもいくまい。
街を出ると、駆け出した。やはり気持ちがいい。
「旦那様!ワタシのが速いぞ!」
「ヌーヴェル、速度を上げよ」
アキが俺を追い抜かして煽ってきたので、ヌーヴェルに速度を上げるように指示を出した。ヌーヴェルとメトポーロンでは格が違う。すぐに追い越した。
「アキよ、一角獣乗りとしては、俺に一日の長があるぞ。勝負をするにはまだ早い」
「ズルいぞ」
「お二方、お待ちを」
エヴラールをかなり引き離してしまったので速度を落としてエヴラールを待った。ここからはゆっくり行こう。
「エヴラール、まだ気遣うな。だが、いずれ気遣え」
アキはエヴラールの横に並んでそう言った。
確かアキとエヴラールはそれなりに仲が良かったはずである。そもそもアキは俺の部下とはそれなりに仲が良い。アシルだけは無理なようだが、何が違うのであろうか。本人に聞けば、互いに相手が悪いと主張するであろうが、そもそも相性が悪いのかもしれぬ。
王都が見えてきた。甕城は完成しているようである。
門番は俺達に気付くと作業を止め、槍を直立させて敬礼した。ちなみにリノ殿はラポーニヤ城副城主をするにあたって、衛兵を辞めている。
「ご苦労。王宮に行く。案内を頼もう」
「ははっ」
衛兵のひとりが俺達の前に進み出て、先導した。
王宮の場所は分かっているが、王都は人が多い。先導無しでは進めぬ。馬から降りれば良い話であるが、馬車を持ってきていない以上、仕方ないことである。公爵を歩かせたとあっては、後々面倒なことになるそうだ。ゆえに先導を頼む。




