第220話
屋敷に戻り、パーティを終えると、レリアとアシルが俺の部屋に来た。
そしてアシルは俺への非礼を詫びると、アキに会う前に帰っていった。アキも俺とレリアの前で喧嘩したことは謝ったが、アシルに謝ることは無い。いつものことである。
俺へ詫びて、互いに謝らぬ。これが二人の停戦の意思表示だ。
夜、アキがレリアに頼み込み、俺と同じベッドで寝ることになった。二十日までの五日間、俺はアキと寝るのである。レリアと離れる夜はいつぶりであろうか。ジスラン様達に挨拶しに行った時以来だ。
「旦那様、まぐわいは最後の夜だ」
「そうか。もう寝よ。明日はエヴラールを連れて王宮に行く。おぬしも行くのであろう?」
「まあな。ワタシは考えたのだ。ワタシにできて、姫にできないことは何か、とな。分かるか?」
「レリアは何でも熟すであろう」
レリアに出来ぬことなど無かろう。料理も美味しいし、裁縫も上手だと言うし、子供の相手も上手だし、乗馬もできるし、覚えも良いし、優しいし、可愛いし、美しいし、俺の癒しになっているし、他にも挙げ始めたら数え切れまい。
「戦もか?」
「……レリアは後方支援が得意であろう。サヌスト軍の最高戦力の士気を高めるのが得意だ。その分サヌスト軍は強くなる」
「応援か。ワタシは戦に関しては姫よりもっと分かりやすく役に立つぞ。だからな、旦那様、明日はいいとして、予定がない日は戦闘訓練に付き合ってやろう」
「俺の圧勝で終わる。やめておいた方がよかろう」
「魔法戦ならな。魔法無しの近接戦闘だ。カイに聞いたぞ。姫の叔父に負けたんだろ?」
「ああ。まあアキがそこまで言うなら、戦闘訓練をやるのも良かろう。明日も早起きしてやっても良いぞ」
確か非魔法戦のアキは俺より少し弱いくらいであったはずだ。キアラを連れ込んで鍛えたのであれば、逆転しているかもしれぬ。
「決まりだな。起きたら起こせ」
「分かった」
「もう寝る。おやすみ」
「ああ」
アキは俺に抱き着くとすぐに眠ってしまった。眠っているとは思えぬほど力強い。夢の中で絞め技でもしているのかもしれぬな。気が早いことだ。
翌朝。眠れなかったので、日の出と共に起こしてやった。
レリアと違ってすぐに飛び起き、支度を始めた。どちらが良いと言う訳ではないが、アキの方が戦場ではありがたい。むろん、レリアを戦場になど連れ出さぬが。
「旦那様、ワタシの旦那様だな?」
ヤマトワ風の鎧を着込んだアキがそう言い始めた。認めて良いものなのだろうか。
今日の鎧はいつもと違うな。コンツェン戦で壊れていたような気がするが、直したのであろうか。まあ良いか。
「どうであろうな。求婚を受け、一応否定はしなかったが」
「良かった。旦那様の腕の中で起きて、あれが夢だったらどうしようかと思った」
「…行くぞ。朝食前の運動にはなるであろう」
「ああ、そうだな!」
アキは嬉しそうに頷き、俺の腕を引いて歩き始めた。朝から機嫌が良いな。
庭に出ると、キアラが待っていた。
「アキ、例の武器よ。妾はもうひと仕事あるから、もう行くわ」
「キアラ、今度何か礼をする」
キアラが木剣などの大量の武器を置いてどこかに転移しようとしたところをアキに呼び止められた。
「いいわよ。ジル様からたっぷりもらう予定だから」
家のことであろうか。そうでなければ何を要求されるのか。渡せるものであれば良いが。
「おい、まだ暗躍するのか」
「何よ。魔界からキングスレイだとか、アティソンだとかを呼んだのはジル様でしょ?結界魔王まで呼んで…妾の身にもなってみなさいな。せっかく死を偽装してきたのに、全て水泡に帰したわ。ジル様もジル様で大変なんでしょうけどね、自分だけが大変とは思わないことね。ジル様にとっては解決策のつもりかもしれないけど、妾にとっては新しい仕事を押し付けられたようなものよ」
「おい、朝から説教か。眠れぬ夜の次は説教の朝か。休まらぬ一日だ」
「もういいわよ。しばらく休暇をもらうわ。正当な権利よ」
「好きにせよ」
キアラは文句を言いながらどこかに転移して行った。
「旦那様、ワタシにときめいて眠れなかったのか?それなら申し訳ないことをした」
「気にするな。健康上の問題は無い」
「ほんとか。ならいい」
健康上の問題が無いとはいえ、精神的には疲れる。俺にはもう食事も睡眠も必要ないが、それでも両方行うのは、言ってしまえば趣味のようなものだ。
「それよりこれは何だ?」
「これはな、強めの回復魔法とか諸々を付与した木剣だ。当たっても痛いだけで、骨は折れないし、アザもできない。使用者の魔力を使うから、いい感じに疲れる」
「鎧が壊れるぞ」
「安心しろ。これも訓練用だ。キアラに頼んで、その木剣では壊れないようにしてもらった。他の剣なら壊れるがな」
「そうか。ならば安心だ」
「旦那様もここから選べ。ちなみにこれが旦那様の剣と全く同じだ。長さも重さも雰囲気も」
アキはそう言って俺の剣と似たような木剣を俺に渡した。確かに持った感じは同じだ。
「それとな、キアラに習った魔界の古武術も教えてやろう。魔闘法と言ってな、魔力を体に纏うと、身体能力の向上が期待される。武器に纏えば、強くなる」
「それはもう習得した。レリアの叔父上に教わった」
「なら大丈夫だな。やるか」
「ああ、いつでも良いぞ」
俺はそう言って魔法で鎧を纏い、木剣を構えた。
アキも木刀を帯び、木製の薙刀を構えた。
「旦那様、覚悟!」
アキはいつものように薙刀を振りかぶって走ってきた。俺は薙刀術など知らぬが、あっているのであろうか。まあ術などに拘って動けぬようでは、すぐに討ち取られる。
俺は魔力を纏った木剣で薙刀を受け止め、数合打交わした後、薙刀を弾き飛ばした。
「やるな」
アキは木刀を抜き、距離を取った。
一気に距離を詰めたかと思うと、今度は突いてきた。それも連続で、である。俺は木刀の軌道を逸らしながら後退したが、ついに眉間を突かれた。
「参った。俺でなければ討死だ」
「次は徒手格闘、つまり殴り合いだな。これを着れば痛いだけだ。バテるまでやろう」
アキはそう言ってヤマトワ風の道着を拾った。タオルか何かだと思っていたが、道着であったか。その他にも篭手もある。これも回復魔法が付与されているようだ。
アキは躊躇なく鎧を脱ぎ、服を脱いで着替えた。俺は魔法で着替えた。
「アキよ。俺の妻となりたいのであれば、少しは恥じらいを持て」
「脱ぐ前にその言葉が欲しかった。無駄な恥をかいたじゃないか」
「安心せよ。誰も見ておらぬ。だが、次から気をつけよ」
「旦那様がな。そんなことよりやろう」
「ああ。いつでも良いぞ」
「行くぞ」
アキはそう言うといきなり蹴ってきた。
その後、距離を詰めて殴り合いに移った。互いに人間相手であれば致命傷となるほどの威力がある。魔闘法を使っているからでもあるが、使わずとも内臓に少なからぬ損傷を与える程の打撃は可能であろう。
俺はアキの顔を避けて攻撃を加えたが、アキは容赦なく顔面を狙ってきた。
しばらく殴り合い、俺がアキを蹴り飛ばすと、アキは転がって小川に落ちた。俺は後を追って小川に飛び込んだ。
「朝から水遊びか。兄上、子守りも大変だな」
アシルが呆れたようにこちらを見ていた。いつの間に来たのであろうか。
「アシルか」
「朝っぱらから何をしに来た!さっさと出ていけ、下郎め」
「情報を持ってきてやったのだが…敬愛なるお姉様の仰せとあらば、出ていくしかないな。兄上に迷惑をかけるなよ、下女め」
アシルはそう言うと帰ってしまった。情報とは何であったのだろうか。まあ本当に大事な情報であれば、機嫌を損ねたくらいでは帰らぬであろう。
「アキ、続きをやろうではないか」
「待て。いいのか、追わなくて?」
「ああ。大事な情報であれば、いずれ伝わる。そうでなければ、まあわざわざ知る必要も無いということであろう」
「それもそうだな。行くぞ」
アキはそう言うと俺の顔面を殴った。これが再開の合図であった。
それから、池の方まで移動し、水中戦を経て、寝技に移り、最後は俺が絞め技を受けていたところを、朝食に呼びに来たロアナに止められ、終了した。
「なかなか有意義であった」
「旦那様、ワタシを妻にするなら、毎朝付き合ってやってもいいぞ」
「それだけでも一考の価値はある。億分の一のさらに億分の一程度の価値はあろう」
「少ないな」
「冗談だ。本音を言えば、あとひと押しかふた押しで認めてやっても良いと思っている」
「なら良かった。惚れ惚れ大作戦はあと五個ある」
「そうか。まあ楽しみにしておこう。それよりまずは朝食だ」
「そうだな。叛徒の討伐なら、満腹になっておいた方がいい」
「…今日戦うわけではあるまい」
アキは一度部屋に戻って着替えるそうで、俺はロアナと武器を回収し、食堂に向かった。
食堂には先客はおらず、皆まだ寝ているそうだ。レリアすら起きて来ていない。起こしに行くべきか…まあ良いか。朝食後でも遅くはあるまい。いや、やはり気になるな。
「ロアナ、レリアはまだ起きぬのか」
「はい。内緒にしておけって言われたので、理由は教えませんけど、ぐっすり眠ってますよ」
「おぬしの主は誰だ?俺ではなかったか?言ってみよ」
「え、ですが…」
「安心せよ。言ったことをレリアに言わぬし、悟られもせぬ」
「ほんとに内緒にしてくださいね。『アキがまぐわうって連呼してたから、何もしないか聞いてるの。結婚は許しちゃったけど、やっぱりあたしの知らないところでは、そういうことはしないで欲しいんだ。あ、ジルには秘密だよ?あたしがそんなこと言ったら、アキと別れちゃうから。あたしだけを愛して欲しいけど、アキにも幸せになって欲しいの。あたしが気持ちを整理したらいいだけだから、気にしないでね。おやすみ』と言ってました」
「…そうか。礼を言う。俺が頼むのもおかしいかもしれぬが、レリアを気遣ってやってくれ」
「もちろんです。任せてください」
難しい問題だ。俺がアキを妻に迎えれば、レリアが妬いてしまう。アキの求婚を断れば、アキは幸せになれず、レリアが悲しむ。
レリアが妬いてくれるのは良いが、それが原因で体調を崩しては申し訳が立たぬ。
正解が分からぬが、レリアに頼るしかあるまい。レリアが気持ちを整理してくれたら、解決する。俺としてはレリアに頼りすぎてしまって申し訳がない。多少であれば良いかもしれぬが、今回は多少とは言えぬであろう。
「おい、旦那様、真剣そうな顔をしてどうした。旦那様なら解決できるだろ。権力的にも武力的にも、この街で旦那様に勝てるのは、姫くらいだ」
普段着に着替えたアキが食堂に来た。
「その通りだ。悩むのは止めて、朝食にしよう」
俺は考えるのをやめて、朝食を食べた。
結局、レリアは起きてこなかった。




