第217話
将軍格家当主を継ぎ、さらにヤマトワ人部隊が出立してから幾日か過ぎ、七月十日になった。七月に入ってから少しずつ書類仕事をこなし、とうとう聖都アンセルムに引っ越す準備ができた。
聖都アンセルムを中心に、四つの都市と三十程度の村を我が公爵領とし、その領主に就任するわけである。偶然ではあるが、王家の直轄地(元々前宰相一派の子爵の領地であったが、現在は領地は没収され、子爵自身は降爵されて男爵となっている)を挟んで第四将軍格家領と隣接していたので、旧子爵領も我が公爵領となった。陛下の気遣いである。
我が公爵領の広さは、第四将軍格家の約一・五倍となっており、一気に二・五倍である。
場所としては、王都の南方で、将軍格家領を含めると王都の南西の一帯が俺の領地である。
式典を終え、荷物を新たな屋敷に運び込んだ。屋敷は王都のものより広い。
まず、敷地内に小川が流れており、小舟が浮かんだ池もある。狭いが畑や牧場もあり、自給自足ができるようになっている。また、ファビオ達の為か、狭いが森もあり、その中にも家があった。
正門から屋敷までの間には石畳の道があり、歩くのには少し億劫な距離がある。
建物は主に三つあり、本館、東館、西館となっている。
本館の一階は食堂、厨房、居間、書斎、客間などがあり、パーティ用の部屋もあったりする。エントランスに巨大な前王の肖像画が飾ってあったので、王宮に寄贈した。代わりに画家を探させ、同じ大きさの俺とレリアの肖像画を依頼することにした。
本館の二階は個室が並んでいた。十室以上あったので、当面は俺、レリア、ファビオ、ルカ、アキ、ユキ、カイの部屋となるだろう。また、個室とは別に寝室が二部屋あった。俺とレリアの分であろうが、片方はとりあえず空室にしておこう。その他にも用途の分からぬ部屋がいくつかあった。
また、廊下には名も知らぬ者の肖像画や良く分からぬ壺など芸術品が飾られていた。
西館は使用人用の寮で、かなりの人数が住み込める。
東館は客人が泊まる為の建物で、三十人程度であれば対応できそうだ。
俺の屋敷の近くに領主館があり、そこは俺の屋敷より広い。公爵領の政務の中心であるから当然だ。ルイス殿下とアズラ殿下はここに住む。
アシルの屋敷も俺の屋敷の近くにあり、俺の屋敷まではいかぬが、なかなか豪華で広い屋敷であった。
むろん、部下達にも家を与えた。
俺に近しい者ほど俺の屋敷に近くなるようにした。エヴラールにも家を与えたが、俺の屋敷の寮に住むそうだ。
基本的に人間と魔族で区画を分けておらぬが、ヤマトワ人はヤマトワ人で密集させた。その方が気楽であろう。
ラポーニヤ城はリアン殿に城主を、リノ殿に副城主を任せてきた。ラポーニヤ城に住んでいた者はほとんどアンセルムに移ったので、新たに将兵などを連れ込んでいた。
魔法関係の技術者として百人程度、その長としてカルヴィンを置いてきた。ドリュケール城から俺に付き従っている者の大半は置いてきた。
ラポーニヤ城は聖都の南西に転移させ、隣領(ロシュディという伯爵の領地。ロシュディ卿は式典にも呼んだが、体調不良を理由に代理人を送ってきた。おそらくもうすぐ死ぬ老人)との境界線近くに配置してある。
陛下が集めていた住民にも家を与えたが、それでも未だ四割弱は空き家だ。全ての家に人が住むと、約八十万人が聖都アンセルムの人口となる。サヌストの都市の中では決して大きい方とは言えぬが、出来たばかりの都市にしては大きかろう。
教会勢力も大神殿、大聖堂、聖堂騎士団の本部など重要な拠点を聖都に移し、いずれは聖都を総本山とする計画があるそうだ。実行するか否かは別として、その話だけでも人が集まりそうなものである。
ルイス殿下とアズラ殿下の身元についてだが、アンドレアス王の実子と公表するわけにもいかぬので、正体不明の天才兄妹としておいた。
また『アンドレアス王の生まれ変わり』だとか『使徒に仕える為、秘密裏に王宮で教育された』だとか『ヴォクラー神が使徒の補佐として新たに送り込んできた』だとか『前王の隠し子で、現王の腹心』だとか『使徒が辺境で拾った天才兄妹』だとか、確かめようのないような噂を流しておいた。
敬称についてだが、殿下と言うと王族疑惑が有力になるので、互いに卿と呼び合うことにした。
アキはまだ山篭りをしている。レンカを経由して、七月十五日に呼び出されているので、それまでは待ってみるつもりだ。アキの荷物はユキの指示で運び入れたので、文句は言われまい。
そして七月十五日、ついにアキの帰還の日だ。アキに指定されたラポーニヤ山内の小さな山小屋に、レリアと赴いた。なぜか、カイとユキを呼ばず、俺とレリアが呼ばれたのだ。
山小屋の中で茶を飲んで待っていると、アキが来た。山篭りしていたとは思えぬほど小綺麗な格好をしている。キアラも入ってきたが、まあこちらはいつも通りの服装だ。
「主殿、姫、久しいな」
「久しぶり。元気だった?」
「ワタシはずっと元気だった。爺様からの手紙が来るまでな」
シン達はアキを訪ねたのか。ならば贈り物とやらも本人に渡せば良かったのではなかろうか。それとも何か事情でもあるのか。
「何かあったか」
「主殿は気にするな。すぐに解決する」
「そうか」
「その為に協力してくれるな?」
「ああ。俺に出来ることであれば」
「姫は?」
「あたしだって協力するよ」
「じゃあ、これにサインしろ」
アキが差し出した紙を見ると、誓約書と書かれていた。
内容はアキの恋に関して絶対に否定せぬこと、であった。レリアの方も見たが、アキの恋路を邪魔せぬこと、であった。これを破った場合、もしくはアキの恋が叶わなかった場合、アキは腹を切って死に、俺とレリアの一族を数代にわたって祟る、との事であった。それは断った場合も同様だ、とも書いてある。断れぬではないか。
「つまりは応援せよ、と?」
「そう思ってもらって結構だ。ワタシはこの一ヶ月、その恋の為に花嫁修行をしていたのだ」
「………今、何と?」
「そう思ってもらって結構だ、と言っただけだ」
「いや、その後の事なのだが…」
「ワタシはこの一ヶ月、その恋の為に花嫁修行をしていたのだ」
「…そうか」
花嫁修行をしていたのか。てっきり武者修行をしているのかと思っていたが、確かに修行としか言っておらぬ。だが、山篭りの修行と聞いて、誰が花嫁修行と思うのであろうか。
「で、サインは?」
「してやろう。これまで尽くしてくれた礼だ。部下の恋くらい応援してやろう」
「あたしも応援してるからね」
俺とレリアはそう言って誓約書にサインした。わざわざアキが頼んできたのだ。断る理由も無いし、断ればアキが死に、俺達は祟られる。応援くらいしてやる。
「これで良し。キアラ」
「妾が証人になるわ。ジル様、破ったら魔界で笑いものよ」
「誰も破らぬ」
「神に誓えるかしら?」
「ああ。ヴォクラー神に誓おう」
「姫も?」
「うん。あたしもヴォクラー神に誓うよ」
「そう。良かったわね、アキ。あとは三人で頑張りなさいな」
キアラはそう言うと、レンカを連れて出ていった。三人で頑張らねばならぬほどの相手なのか。
「主殿、ワタシは今から求婚する。いいな?」
「今から?策を練る必要はないのか?」
「策なら練った。もう万全だ」
「そうか。ならば良い」
「姫は?」
「あたしも応援してるって、さっきから言ってるじゃん。今更反対しないよ」
「二言は許さんぞ」
アキはそう言うと、深呼吸をして俺の前に跪いた。何をする気か知らぬが、緊張がこちらまで伝わってくる。練習か?
「主殿、ワタシの亭主になってくれ。ワタシは二番目でいい。なんなら最初は情婦でいい」
「…待て待て、タカミツ殿の願いなら…」
「爺様は関係ない。変なタイミングで変な事が起こったが、それとは関係なしに、ワタシは主殿に求婚する。全てワタシの意思だ」
「……………」
アキは真剣な顔でそう言い切った。もはや、練習か?などとは言えぬ。レリアもどうするのか、と問い掛けるような顔をしている。
どうすべきか…
「…断れぬではないか」
「という事は?」
「ああ。だが、レリア以外を愛すなど俺に出来るかどうか…」
「主殿、ワタシを愛せ、とは言わん。主殿の愛は姫だけのものだ。それは承知している。だが、ワタシが妻となったからには、ワタシの魅力に気づかせて、愛させてみせる。姫、ワタシにチャンスをくれ。主殿をワタシに惚れさせるチャンスを」
「チャンスだけだよ?」
「姫っ!主殿の選んだだけあって、いいヤツだ!」
「そんなこと…あっちゃったりするかもね。へへへ」
レリアとアキは合意したように笑い始めた。良かった。二人の仲はそれなりに良かったので、険悪にでもなったら俺は悪くなくても申し訳ない。レリアの広量さには頭が上がらぬな。
「成功したみたいね。良かったじゃない、アキ」
「ああ。キアラのおかげだ。今度、旦那様とワタシから、何か礼をする」
「楽しみにしてるわ。それじゃ、ジル様、妾と新妻に新居を案内しなさいな」
「ああ。皆に紹介もせねばならぬ」
俺はそう言って山小屋を出た。アキが妻になるなど、山小屋に入る時には想像すらしていなかった。
しかし、有能な部下がこの論法を用いれば、大抵の事は否定出来ぬぞ。どうにか拡がらぬようにせねば。まあアキほど有能で、しかも俺を脅すほどの度胸がある部下はおらぬであろう。




