第194話
俺はウルの部屋に戻り、ウルの近くに座った。ルカも隣に座った。すると、頭の中で鐘の音が鳴り響いた。
『マスター、緊急事態です』
そしてラヴィニアの声が頭の中に響いた。姿を現さずとも、会話ができるのか。
「何だ?」
「え、なに?」
「いや、ファビオに言ったのではない。ラヴィニア、出てくると良い」
『承知しました』
ラヴィニアは俺の左手の甲から出てきた。他に出入口はないのか。
「なにこれ?」
『精霊型妖魔導書ラヴィニアです。以後お見知り置きを、マスターの弟御様』
ファビオが話しかけると、ラヴィニアはそう挨拶した。緊急事態ではなかったのか。
「オレのこと知ってるの?」
『マスターの関係者は全員存じ上げております』
「すげー。じゃあ、ユキのことは?」
『ファビオ様の許嫁であらせられます』
「私のことも知ってるんだ。お姉ちゃんのことは?」
『マスターの補佐官であり、ユキ様の姉上様であらせられます。現在ラポーニヤ山にて修行中です』
「俺のことは?」
『ユキ様の…?ユキ様とアキ様のご姉弟であらせられます』
ファビオがユキのことを聞くと、ユキとカイが興味を持った。だが、ルカは俺の陰に隠れて俺の服を掴んでいる。小さい者が喋っているのが怖いのか?
緊急事態の報告があるとの事であったが、この後で良いか。
「クソッ。これで俺が兄だと分かると思ったら……俺がユキの兄だ。間違うな」
「何言ってるの?私が姉だから」
『登録中…登録中…登録失敗』
どちらがどちらか俺も気になったが、正解は分からぬようだ。そもそもラヴィニアの情報源が分からぬ。
「ルチアはジルさんの何ですかー?」
『コンツェン王国からの亡命者。マスターの侍女見習いにして、自称恋人』
「自称じゃないですよ。ね?」
ルチアが方目を瞑りながらこちらを見て、そう言った。そんな事は聞いたことがないな。
「自称しているのすら聞いたことがない。ラヴィニア、適当なことを言って調子に乗せるな」
『承知しました。抹殺しますか?』
「いや、良い。一度助けた者をこちらから裏切るようなことはせぬ。ところで、緊急事態とは何だ?」
『!申し訳ありません。先程、歪属性を発見しました。まだ幼いようですが、幼いうちに討伐しておきましょう』
歪属性?俺は周りを見回したが、怪しい者はおらぬ。
「おらぬぞ」
『マスターの後ろに…マスターの妹御様です。不覚にもこれほど近づくまで気づきませんでした。申し訳ありません』
ラヴィニアはそう言って、ルカに向けて破裂魔法の砲門を構えた。そして破裂魔法の魔力弾を撃った。
俺は慌てて結界を張り、ラヴィニアを左手の甲に押し込んだ。
「ルカ、大丈夫か?」
「…幼女、怖かった」
「すまぬ。まさか裏切られるとは…適当な所に捨ててくる。安心せよ」
「…ありがとう」
『マスター』
ラヴィニアがまた出てきた。俺はラヴィニアを小さな結界に閉じ込めた。
「我が妹に何をするか」
『よくお聞きください。歪属性は知性を持たない蛮族。天属性を見つけ次第襲うため、悪魔には歪属性の討伐が義務付けられております。妖魔導王様も歪属性の討伐を推奨しております』
「だから何だ?俺やアシル、ルチアなどは天属性であるが、襲われぬ。それにララちゃんも我が妹一人すら見逃せぬ程狭量ではあるまい。これ以上異議を唱えるのであれば、おぬしをララちゃんの所に送り返し、ララちゃんとの縁を切り、今後一切関わらぬぞ。無論、スイやリリーも送り返す」
『ですが、悪魔としての義務です。それは王神様とグル・ウィット・ジャビル様との契約に背くことになり、天界と魔界との全面戦争になる可能性すらあります』
「それがルカを殺す理由か?くだらぬ」
『くだらなくありません。天魔大戦が起これば、この世界やマスター、奥様すら、危険にさらされます。九割以上の確率で死亡します。更に特別死の確率も高いです』
特別死とは、魂が冥府へ送られず、転生できぬ死、という事だ。つまり、永遠の死という事だ。そんな事はさせぬ。
「だから何だ?グルは死んだ。死者との契約違反を口実に魔界に攻め入るほど、王神も短気ではあるまい」
『そういう話ではありません。この件は妖魔導王アリマーダス様に報告させていただきます。最悪の場合、このラヴィニアの没収、呪魔導王と水魔導王の撤退、それに伴って呪魔導王軍・水魔導王軍の撤退も有り得ます。また、妖魔導王軍がヒルデルスカーンに攻め入る可能性があります。それでもその歪属性を庇いますか?』
「ああ。我が命を賭して庇おう」
『承知しました。それでは最後に警告を。その歪属性を殺さなければ、天魔大戦、またそれに誘われて歪属性が参戦すれば、天魔歪大戦が起こり、全ての生命が失われる可能性があります。また、妖魔導王軍とヒルデルスカーンの戦が勃発する可能性があります。それでも庇いますか?』
「ああ。答えは変わらぬ」
『承知しました。それでは失礼致します』
ラヴィニアはそう言って魔界に向かっていった。おそらく俺の魔力を使って。
「…お兄ちゃん、ごめんなさい。幼女、討伐できなくて」
「良い。幼子を殺して止まる程度の戦であれば、俺が両軍を止める」
「…幼女、嬉しい」
ルカを助ける為に大口を叩いたが、本格的に対策をせねばなるまい。妖魔導王軍が相手となれば、こちらも魔法軍を用意せねば太刀打ちできぬ。
「アニキ…オレ達、何すればいい?」
「ルカとウルと一緒にいてくれ。ルチア、行くぞ」
「え?いいんですか?」
「ああ」
相手が妖魔導王軍であれば、相手は魔属性、つまり天属性が有効なのだ。ルチアはシュラルーツァ教の使徒であるため、天属性だ。多少役には立つだろう。
「では、ファビオ、カイ、ユキ、エレーヌ。ここは頼んだ」
「任せて!」
俺はルチアと共にウルの部屋を出た。
「ジル様、少しよろしいでしょうか?」
「レノラか。何だ?」
「これを着れば、ウル様の炎から身を守れます」
「そうか。ではウルを頼んだ。大戦が起こるかもしれぬ。では」
「はい。お任せを」
レノラが例の布で服を作ったようだ。あれで炎の熱さが防げるが、ウルに着せてはダメなのだろうか。まあ今はそんな事を言っている場合ではない。
まずはクラウディウスを呼ぶか。
クラウディウス、すぐに来い。
───承知した───
クラウディウスに念話をすると、すぐに転移してきた。
「スイとリリーには内密に、キアラの軍を集めよ」
「それまたなぜ?」
「可能性の段階ではあるが、妖魔導王軍が攻め入ってくるかもしれぬ」
「ルカ嬢の事を知られたか」
「知っていたのか?」
「ジル様は気付いてなかったのか。魔力でも天力でもない力を持っているではないか。我も久しぶり過ぎて分からんだが、あれは歪力だ」
「そうか…俺に付くか?妖魔導王軍に付くか?」
「キアラ様と我ら七近衛は永遠にジル様のお味方。キアラ様の軍勢を集めて参ろう」
「頼んだ」
クラウディウス達は気付いていたのか。それにも関わらず、見逃してくれていたのだ。もしキアラと七近衛がルカを殺すつもりでいたら、既に俺とルカは無事ではあるまい。
「兄上、妖魔導王軍と戦とは本当か」
アシルが俺の目の前に転移してきた。
「ああ。可能性の段階ではあるが、対策はしておかねば」
「その通りだ。ちなみに戦力は?」
「魔導王が十二名、それぞれに百万以上の配下がいると聞いた。そして準魔導王が百名以上、魔導士が千名以上だ。そして妖魔導王様…いや、妖魔導王本人に直属の配下五百万がいる」
「それぞれの強さは?」
「魔導王は…まあ属性的な事も含めれば、ルチアで三人は受け持てる」
「無理ですよ。ルチア、人なんて殺したことないし、殺したくもないですよ」
「「?」」
ルチアが妙な事を言い出した。コンツェン軍の魔法使いが大虐殺をしてくれたという話であったが…
「もしかして勘違いしてるんですか?ヘザーが殺した人をルチアが傀儡として操る為に、新たに生み出したんですよ。だからルチアは殺してないですよ」
「いや、しかし…」
「あ、その時はロベルトとヘザー両方に操られてたから、ルチアの意思じゃ、一回もやったことないですよ」
「二人に操られていたのか」
「そうですよ。ま、おかげである程度の自我はあったんですけど、やっぱりどっちかが離れると、離れてない方の言う事に逆らえなくなっちゃうんですよね。両方死んでくれて、マジありがたいと思いますよ」
「…そうか」
あまり味方同士で信頼関係が築けていなかったようだ。それもコンツェン軍の敗因の一つかもしれぬな。
「では、連れていく意味が無いな。兄上、これならまだ影狼衆の方が役に立つ」
「いや、連れていく。魔導王の気は引けるはずだ。魔導王達も背中を刺されるかもしれぬ、と思えば本領を発揮できまい。その間に妖魔導王を俺がどうにかする」
「できるか」
「ああ。アシルはオディロンとロドリグ、影狼衆を連れて準魔導王と魔導士をどうにかせよ」
「千以上か。仕方ない、引き受ける」
アシルとオディロン、ロドリグ、影狼衆で準魔導王、魔導士を引き受けてくれれば、かなり楽になる。オディロンとロドリグは天使族の中でも精鋭であるし、アシルも負けておらぬ。属性的な事を考えれば、負けることはあっても、死ぬことはあるまい。
「そう言えば、それ以外の大勢はどうするんですか?百万とか五百万とか」
「雑兵など気にするな。そもそも今回の場合十万もいれば、ほとんどが遊兵となる。無論、妖魔導王軍総動員でヒルデルスカーンの民を虐殺しようと思えば、どうにもならぬ」
「え、ヤバいじゃないですか」
「ああ。だが、そのような事をする人ではあるまい。いや、そう願うしかないと言うべきか」
確率で言えば、かなり低い。だが、もしそうなった場合、俺が妖魔導王をなるべく早く追い詰め、撤退させるしか方法はない。麾下の魔族にサヌスト王国民の護衛を任せても、せいぜい一割護れるかどうかである。
つまり、妖魔導王がルカの生存を認めぬのであれば、どういう策で来られても、俺が妖魔導王本人を倒し、魔界に追い返すしかない。




