第193話
俺の部屋に荷物を全て出し、俺達とイリナの荷物を分けた。それから、レリアにイリナを案内してもらうように頼み、ファビオ達を呼び、ウルの事を説明してやった。朝訪ねたら、入ってはならぬと言われ、訳も分からぬまま帰されたらしい。
その後、レノラにウルの抱き方や食事の与え方などを聞くと、人形を持ってきた。そして人形を使っての練習が始まった。
「こうか?」
「いえ、こうです」
「こうではないのか?」
「違います」
厳しいな。赤子を抱くのはこんなに難しいのか、ただ単にレノラが厳しいだけなのか、俺には分からぬが、少々怖いな。このように怒られた事など今までない。いや、あったかもしれぬが、今まで一番怒られているような気がする。
「あ、そうです。完璧です」
「良かった。忘れぬうちに抱きに行こう」
「あ、ダメです。今は昼寝中ですから」
「そうか」
昼寝中か。赤子は寝るのが仕事だと言う。ならばウルが起きるまで抱き方を忘れぬように、このままの体勢でいなければ。
「ジル様、失礼致します」
「何だ?」
セリムとクラウディウスが来た。その後ろから天女の尻を触っているアティソン爺が来た。もう魔導具ができたのか。早いな。
「ジル様、アティソン爺に頼んだ魔導具が完成しました」
「お納めする。ワシお手製の魔導具じゃ。手入れを怠らん限り、三万年は使える。その頃には完璧に制御できるようになっとるじゃろう」
「そうか」
アティソン爺が尻を触っている天女とは別の天女達が、箱をいくつも置いた。
俺は赤子を抱く体勢を解き、箱を順番に開けてみた。骨のような仮面と真紅の布、赤いネックレス、青い魔石が嵌められた腕輪、濃色の魔力を放つ鎖、その他赤子には似合わぬような魔導具が入っていた。
「これをどうせよと?」
「全部、炎の才能者封じの魔導具じゃ。好きな物を使えばええ」
「そうか」
「これは切ってもいいが、切りすぎはやめておけ。切れば切るほど効果が弱まる」
アティソン爺はそう言って真紅の布を手に取った。見本として小さく切ってあるが、十反程あるようだ。
「ま、それぞれ説明書をつけておいた。使うやつに読ませろ。ワシは忙しいからな。アニカちゃん、シーランちゃん、マーレンちゃ〜ん。好きじゃぁ〜」
「あらっ」
「アティソン様ったら〜」
「部屋に帰ってからですよ〜」
アティソン爺はそう言って天女達の肩を抱き、頬に口付けをしながら帰って行った。忙しいとは、天女を愛でる事か。天女達も大変だな。
「申し訳ない。あれでも腕は確かだ」
「良い」
クラウディウスが申し訳なさそうに言った。
「ジル様、我々も失礼致します。アルフレッド捜索の任がありますので」
「ああ。もし見つけたら、生け捕りにせよ。安全を確保した上で陛下に引き渡す」
「御意」
セリム達に頼んだ覚えはないが、まあ良い。
七近衛や呪魔導王軍、水魔導王軍が全力を尽くせば、サヌスト国内からたった一人を見つけ出すのに、二日とかからぬであろう。つまり、もう国外に逃亡したか、どこかで野垂れ死にしたか、見当もつかぬ場所に逃げ隠れたか、この三つだろう。ダークエルフを集めているようなので、二つ目は無いか。
「レノラ、どれなら使えそうだ?」
「そうですね…アクセサリーなどはまだ早いので、こちらを使わせて頂こうかと」
レノラはそう言って真紅の布を取った。説明書が付いていると言っていたが、それぞれに百枚程度が付いている。これを読めと言うのか。まあわざわざ俺が読む必要もあるまい。
「悪いが、説明書を読んで上手く使ってくれ」
「はい。その間だけ、ウル様をお願いします」
「ああ」
元々ウルの面倒は俺が見るつもりだったのだ。俺はレノラを俺の部屋に残して、ウルの部屋に向かった。ファビオとルカ、カイとユキも一緒に来た。心配だったのだろう。
ウルの部屋の前には、未だに見張りのエルフがいる。今まで以上に警護をかためるように言ったのだ。ウルを護るだけでなく、ウルと遊びに来た者も護るのだ。
ウルの部屋に入ると、かなりの暑さを感じた。エレーヌが換気をしてどうにか空気を冷やそうとしているが、ウルの発熱に追いつかぬようだ。
「ウルの様子はどうだ?」
「はい。本人は普段と変わらないようですが、熱が籠って暑いです」
「そうか。まあいざとなれば、俺が冷やそう。発火して火事になったら大変だ」
「それは大丈夫だそうです。ウル様の炎は生物にしか影響が無いそうなので」
「そうなのか?」
「はい。リリー様が診察をしてくださいました」
「そうか」
リリーに知らせたのか。まあ秘密にせよとは言っておらぬし、知られても良いのだが。
それにしてもリリーが医術にも長けているとは驚きだ。医術でどうにかなるかは知らぬが、少なくとも俺達よりは詳しいはずだ。
「アニキ、本当に大丈夫なの?」
「ああ。大丈夫だ。もし何かあれば、俺が全力を尽くして救う」
「じゃあ大丈夫だ。オレにもなんかできることあったら言って。手伝うから」
「ああ」
ファビオもウルを心配している。話では大丈夫と聞いていても、実際に燃えているのを見ると、大丈夫ではなさそうに見える。それにファビオは俺と違ってウルの実兄だ。必要以上に心配するのも無理はあるまい。
「ジルさんが全力を尽くして、周りが巻き込まれないんですか?」
「回復魔法に巻き込まれたところで、元気になるだけだ」
「あ、そうですね」
「!」
誰に話しかけられたかと思って振り向けば、ルチアがいた。キトリーに見放されたのであろうか。
「ルチア、なぜここにいる?」
「なぜって…ジルさんがいる所がルチアの居場所だから、当然じゃないですか」
「そう言えばルチア、コンツェンに忘れ物は無いのか?国境まで送ってやるぞ」
「無いですよ。あんな所に残してきた物なんて、今更いりませんよ」
「そうか」
残念だ。最初は哀れと思って助けてやったが、よく考えてみれば哀れではないな。いや、ここにいるからか。
「小娘!どこに行った?途中で投げ出すことは、食材への冒涜と同じ。すぐさま戻りなさい!」
部屋の外が騒がしくなってきた。キトリーが騒いでいるような気がするが、まさかそんな訳があるまい。
「ジルさん、ほんとに助けて」
ルチアが俺の服を掴んでそう言った。恐怖を感じているのか、少々震えている。
「何から何を助けるのだ?」
「あの包丁女からルチアを、ですよ」
「包丁女?」
「ヤバいですよ、あの人。ちょっとでも間違えたら、包丁持ったままめっちゃ睨んでくるんですよ?ちょっとでも謝るのが遅れたら、ため息つきながらデカめの魚の首を包丁でスパーンって。しかもルチアを睨みながら。何でもするんで、本当に助けてください。お願いします」
ルチアが早口でそう言った。もしかすると、包丁女とはキトリーのことかもしれぬな。いや、しかしキトリーが食材を使って脅すようなことをするか?
「包丁女の名は?」
「キ…キト…?…キトリー?」
本当にキトリーであった。あまり怒らなさそうではあるが、弟子?には厳しいようだ。
「仕方あるまい。二度と料理をせぬと約束せよ」
「そしたら助けてくれるんですか?」
「ああ。料理をせぬならキトリーと関わる必要はあるまい」
「はい!今後一切絶対に料理はしません!」
「分かった」
俺は部屋を出てキトリーを探した。切り落とした牛の頭と剣のような包丁を持ったキトリーがいた。今度は魚ではなく牛を脅しに使い始めたようだ。
「キトリー、話がある」
「あ、これはジル様!」
キトリーは俺に気づくと慌てて牛の頭と包丁をしまった。話しかけるまで気づかなかったのか。
「お見苦しいところを失礼しました。ところで、小娘…ルチアを見ませんでしたか?」
「その事について話がある」
「何でしょう?」
「ルチアに料理を禁じた。ゆえにルチアを探す必要はない」
「それは…なぜですか?」
「おぬしが怖いそうで、助けてくれと鬱陶しい程頼み込んでくる。ならば、ルチアに料理を禁じ、キトリーには料理に専念してもらった方が良い」
「そうですか。分かりました」
キトリーはそう言って帰っていった。良かった。キトリーが駄々を捏ねて料理を作らなくなったら大変な事になる。
俺を含めて数百人分の料理をキトリーひとりで作っているのだ。キトリーが拗ねて魔界に帰ったら、新たに料理人を雇わねばならぬ。それも数百人分の料理を作れるだけの人数を。しかも味は落ちるだろう。
考えれば考えるほど、キトリーが大事に思えてきた。もちろん人材として。




