第190話
アシルの屋敷に着き、門番にアシルを呼ぶように言った。門番は俺の事を知っていたらしく、俺とレリアを屋敷に案内してくれた。
アシルは俺とレリアが訪ねてくることを知っていたらしく、屋敷の扉を開けたら立っていた。
「兄上、義姉殿、イリナは無事だ」
「それは知っている。話を聞きに来ただけだ」
「ちょっと話だけでもさせてくれない?」
「俺は今から出掛ける。好きにするといい」
こんな朝から仕事か。まあアシルは体力もあるので、その分仕事を引き受けているのだろう。いや、もしかすると俺が抜けた穴が意外と大きかったのかもしれぬ。
「忙しいのか?」
「まあな。あと三日以内に全て終わらせねばならん」
「そうか。まあ適当に休んでおいた方が良いぞ。おぬしが倒れたら、陛下が困るぞ」
「そうだな。兄上の療養中は、兄上の分も働いている。常人なら既に過労死だ」
「それはすまぬな。まあ何かあれば、リリーかスイに言えば、多少の手伝いはしてくれるだろう」
「魔界から連れてきた悪魔か。各地をうろついていると、報告が入っている。妖魔導王の配下の呪魔導王と水魔導王と、その配下約二百万を連れてきたそうだな」
「ああ。俺に何かあると困るらしい」
「それは俺もだ。とにかく、俺の仕事は増やすな。では行ってくる」
「ああ。気をつけよ」
アシルは出掛けて言った。俺には護衛をつけろというくせに、自分は一人で行った。まあ良いか。アシル自身は公爵家当主ではないのだ。
「おはようございますっ!」
「あ、おはよう。大丈夫だった?」
「起きるまで気付かなかったくらい大丈夫だったよ」
イリナが来た。どうやらここでも侍女をやっているようだ。アシルの指示ではないであろうが、誰の指示であろうか。
「イリナ、ジルの城に匿ってもらう?」
「ちょっと待って。立ち話もなんだから、入ってよ。お義兄さんもどうぞ」
「ああ」
イリナは俺とレリアを客間に案内した。
この屋敷にはしばらく来ていなかったが、かなり改造されているようだ。絵画に魔法陣が仕込まれていたり、壁の一部が魔導具になったり、罠が色々と仕掛けられている。全てアシルの管理下にあるようで、アシルの意思のみで動くようだ。
「で、何て?」
「だから、ジルの城で匿ってもらったら?」
「そんな特別扱い…いいんですか、お義兄さん?」
イリナはわざわざ俺の方に向き直って俺に聞いてきた。
「ああ。狙われているのは俺だ。イリナが巻き込まれて何かあれば、レリアとイリナのお父上に申し訳が立たぬ」
「父様に申し訳が立たない…お姉ちゃんとの結婚の為ですか?」
「それもあるが、それだけではない。一緒にいたのは半日であったが、俺はイリナをある程度気に入った。ゆえに護る」
「ということは、つまり?」
「ああ。俺の城に来ても良い」
「あ、分かりました。じゃあ、二人が帰る時に一緒に連れていってください。知り合いが一人もいない所に一人で行くのって、結構キツイんですよ」
アシルの屋敷に一人で匿っておいたのを恨んでいるのかもしれぬ。いや、そもそもそういう事が多いだけで、今回の事は関係ないかもしれぬ。
「そうか」
「はい。あ、アシルさんに聞いたんですけど、明日は予定が入ってないんですよね?私の荷物を取りに行きたいんですけど、一緒に行ってくれますか?」
「帰りに寄れば良い」
「あ、そういう事なら、よろしくお願いします」
「ああ」
街中で出会ってそのままアシルの屋敷に届けたのでは、荷物が無いのは当然だ。全く気が付かなかった。
「それともうひとつ。ここで働く必要はない。食べたら寝るを繰り返していても良いぞ。誰も怒らぬ」
「泊めてもらってる上に護衛までしてくれてるので、ちょっとだけ恩返ししてるんです」
「そうか。だが、疲れることはするな。いざという時に困る」
「分かってますよ」
「そうか。ならば良い」
どのような刺客が来ようと、アシルや影狼衆には勝てぬとは思うが、俺ならアシルと影狼衆に勝てる。まあ俺も無事では済まぬと思うが、アシルと影狼衆を躱しながら、侍女一人くらいは殺せる。
つまり、敵側に俺のような者がいるかもしれぬので、いざという時はイリナ自身が逃げねばならぬ。
「じゃあ、行こっか。イリナ、また明日ね」
「うん。お姉ちゃん、気をつけて。お義兄さん、お姉ちゃんをよろしくお願いします。お義兄さんだけが頼りなんですから」
「いや、頼るのは俺の方だ。ではな」
「はい!」
イリナはそう言ってお辞儀をした。客間からは出て来ぬようだ。門まで見送ってくれるかと思ったが、そこまで好かれていないようだ。少々自惚れていたか。
「ねえ、こういう場合って、あたしはどっち側なの?」
「どっち側と言うと?」
「護衛を頼む側か、頼まれる側か、どっちなのかなって思って」
「俺も良く分からぬが、俺とレリアは仲介であろう」
「そうなんだ。そうだよね」
「いきなりどうしたのだ?」
「どっちの立場で話せばいいか分からなくなっちゃって。仲介があったね」
レリアが黙っていると思ったら、そんな事を考えていたのだ。レリアはレリアとしているだけで良いが、本人はちゃんと悩んでいるのだ。それでは納得できぬであろう。
「行こっ!」
「ああ」
レリアはアシルの屋敷の門を出たところで、俺の手を引いて走り出した。
「走って良いのか?」
「うん。今からいっぱい食べるから!」
「それもそうだ」
「あとね、今言うことじゃないかもしれないけど、住む家が決まったら、毎朝ちょっと走ろうと思うんだ」
住む家が決まったら、か。まだまだ先になりそうだが、まあ良いか。いや、早く『聖都アンセルム』を頂けるようにせねば。
聞いた話によると、王都にあるヴォクラー教関連の施設は支部を残して、全て聖都に移すらしい。規模が大きくなるが、その分時間もかかる。なので、なるべく早く引っ越せるようにアシルに頼んでおかねば。まあそんな事は後で良い。
「では俺も行こう。俺も運動せねば体が鈍ってしまうかもしれぬ」
「一緒に来てくれるのは嬉しいけど、ジルは大丈夫でしょ。体が鈍っても魔法があるんだから」
「いや、魔法だけでは勝てぬ時もあるかもしれぬ。ゆえにいつでも絶好調にしておかねばならぬのだ。まあレリアの顔を見れば、いつでも絶好調になるのだが」
「あたしもジルの顔を見たら気持ちは絶好調になるけど、気持ちだけじゃ走れないからね」
「そういうことだ」
やはりレリアとの会話は落ち着くな。イリナとの会話も楽しいは楽しいが、落ち着くという訳ではない。やはり俺にはレリアだけだ。
しばらく走ると、レリアは立ち止まった。どうやら疲れたらしい。まだ貴族街ではあるが、ここからゆっくり歩けば良かろう。
出店が集まっている所に着いた。食べ歩き用に作られた料理が多く売っている。
俺とレリアは適当な店に寄り、持てるだけ買った。次に良い店を見つけるまでに食べ、そしてまた持てるだけ買う。
その繰り返しで、夕方になった。後半はレリアも満腹になったようで、気になったものを一口だけ食べたり、食べ物以外を買ったりしていた。
夜になり、ホテル・ド・エスプリットに帰った。明日には出ていかねばならぬので、ある程度綺麗にしておいた。と言っても、それほど散らかっていた訳ではない。気持ちの問題だ。
俺とレリアは酒を少し飲み、そのまま眠った。




