第188話
燕尾服の予算を聞かれたので金貨百枚ほど、と答えておいた。相場を知らぬので、それ以上でも以下でも良いが、金貨百枚もあれば買えるだろう。
ちなみにレリアのウエディングドレスの時は、俺があの姿で完璧だと言ったので、装飾の変更などはしなかったらしい。
金貨百枚を売子に渡し、レリアの所へ戻った。イリナの姿が見えぬ。
「待たせてすまぬな」
「待ってないよ。一組目はイリナが決めたいんだって。ほら、戻ってきた」
「これにしましょう!」
イリナが手に持っているのは、『畜生の右目』と背中に大きく魔王語、つまりはヤマトワ語で書かれた服と、『畜生の左目』と背中に大きく魔王語で書かれた服だ。
そして胸辺りには、畜生の目とその周囲と思しき絵が描かれている。二人が並べば、畜生の顔になりそうだ。おそらく畜生とは、豚か猪のことであろう。鼻が特徴的だ。
俺はどんな服でも着ると思っていたが、これはさすがに着れぬな。俺の趣味と外れるとは、レリアとは大違いだ。姉妹の好みは似るという訳ではないのか。
「お義兄さん、お姉ちゃんとのお揃っチは、とびっきりダサいのにしてください。私からのせめてもの抵抗です」
「……ジル、どうする?」
「…レリア、二人のことは二人で決めよう。互いの家族であろうと、干渉はさせぬ。今回のように大切な事であれば、尚更だ」
「そうだね。うん。それがいいよ。イリナ、それ戻しておいで」
レリアも気に入らなかったようだ。安心した。
「え〜お義兄さ〜ん、買ってくださいよ〜。あ、兄様に送りましょうよ。恋人とこれを着て王都を一周したら許してやるって」
「リノ殿に恋人がいるのか?」
「そうなんですか?」
「いや、先に言ったのはイリナだろう」
「いるんじゃないですか?さすがに」
「そうか。だが、その恋人に罪は無かろう」
「お姉ちゃん、聞いた?兄様にはあるんだって」
誘導尋問であったか。口が上手いな。まあリノ殿に罪が無いとは思わぬが。
「当たり前でしょ。あたし達の旅行を邪魔したんだから。ジルがもっとキッチリしてる人だったら、今頃投獄されてるよ」
「…もしかして私も邪魔だったりする?」
「イリナはいいよ。あたし達についてきてるだけだから。でも兄さんはあたし達の邪魔しかしてないからね」
「お義兄さんもいいですか?」
「ああ。害は無い上、レリアも良いと言っているのだ」
「二人とも聖人だぁ。聖人様ならこの服も…?」
どれだけこの服を着せたいのかは知らぬが、イリナはこの服を気に入ったようだ。売子の目もあるので、ハッキリとは言えぬが、この服を着ようとは思わぬ。
「イリナ、気に入ったのであれば、それは買ってやろう」
「いらないですよ」
イリナがそう言ったのと同時に売子が出てきた。聞かれたか。
「あの、その服は処分しておきますので…」
「いや、良い。買い手が決まった」
「その…言いにくいのですが、悪酔いした時に店の道具と材料を使って作ったようでして…店主にもったいないから売れ、と言われたので並べているだけでして…その、やめてください、その服で出歩くのは。恥ずかしいです」
「酔ってる時に作ったんですか?センスはともかく、技術は凄いじゃないですか」
レリアが食いついた。俺は手芸などせぬので分からぬが、凄いことなのであろうか、いや、レリアが凄いと言うなら凄いのであろう。そのような逸材が普通の店にいるとは、王都は凄いな。
「センスが大事なんですよ。それに私が作ったのか、それとも違うのか、ハッキリ覚えてないですし」
「そんなこと、言わないでくださいよ。あ、今度王都に来た時に、習いに来てもいいですか?」
「構いませんが…」
「あたし、レリアです。よろしく」
「マリナです」
レリアは売子の手を握った。マリナはどういうことか分からず、戸惑っているようだ。
「あの、お揃いのものを買いに来たのでは…?」
「そうだよ。ジル、見に行こ」
「ああ」
レリアはマリナの手を離して俺の手を握って歩き出した。後ろでイリナがマリナに話しかけている。なぜか謝っていた。
俺が燕尾服の着替えに行っている間に店内を見ていたのか、レリアは迷わずお揃いのものを集めた場所に来た。
「ジル、これとかどう?」
レリアが取ったのは、色違いの寝巻きだ。胸の辺りにうさぎの顔が描いてある。
「レリアには似合うであろうが、俺はどうだ?」
「似合うと思うよ。なんて言うんだろ?ギャップ?見たいな?」
「なるほど。では買おう」
「マリナさーん」
レリアが呼ぶと、マリナはイリナとの会話を中断してこちらに走ってきた。
「これ買うね」
「ありがとうございます」
レリアは今持っていた寝巻きをマリナに渡し、別の服を見始めた。
それから、しばらく見ていると、二十組以上になってしまった。それに加え、お揃いの装飾品などもいくつか買った。イリナが今日の記念に、と俺達とお揃いのものを強請ったので買ってやった。
金貨三百六十枚程度であったので、金貨三百九十一枚を渡した。余った分はマリナに渡した。
これからは中途半端に払わず、ちゃんと金貨百枚単位で払おう。いや、ちゃんとするのであれば、ピッタリ出さねばならぬな。まあ面倒なので良いか。
指定の場所まで無料で届けてくれるそうなので、王都の屋敷に届けるように頼んだ。
マリナはレリアに自宅の場所を教えていた。ヘレナと二人暮らしだそうだ。大金が手に入ったので、二人で商売でも始めたいそうだ。なので、近いうちにこの店を辞めるかもしれぬ、と。俺の燕尾服やレリアのウエディングドレスを納品してから、と言っていたのでその点は安心だ。
ちゃんとレリアに手芸を教えるつもりのようで良かった。
店を出ると、暗くなっていた。日が沈んでしまったようだ。まあかなりの時間をペンタァーで過ごしたので仕方あるまい。いや、リノ殿に時間を取られなければ、もう少し早く終わったかもしれぬな。
夕食はイリナの希望でホテル・ド・エスプリットで食べた。
イリナは夕食を終えてひと休みしたら帰るそうで、今はそのひと休み中だ。ひと休みと言っていたが、かなり長い。まあ別に良いのだが。
もう遅いのでレリアと二人で送っていくことにした。影狼衆がついているので必要ないが、イリナを囮に使うように見えてしまうので、送っていくことにした。
「その、お義兄さんの実弟?の人の家に泊まっていいんですか?」
「ああ。今、王都で二番目に安全だ」
「一番はどこですか?」
「ここでしょ。ジルが一番強いんだから」
「その通りだ」
「じゃあ、お義兄さん、私の護衛に雇われてくれませんか?報酬は父様への報告をお義兄さん寄りにすること。お義兄さんの事を良く報告して、兄様の事を悪く報告する、みたいな」
「いや、護衛は既についている。俺が新たに加わっては彼女らに失礼だ。それに虚偽の報告をしたところで、一緒に過ごすうちに気付かれる。そうなれば、悪い印象を抱かれる」
「ジルは虚偽の報告なんてしてもらわなくても、正確な報告がされたら、絶対に認められるよ。イリナ、残念だけど、明日からのジルはあたしが独占しちゃうから」
「分かりましたよ。ところで実弟さんに許可は取ったんですか?」
「取っておらぬが、嫌なら既に連絡が来ているはずだ。影狼衆が俺達の会話を聞き、アシルに報告しているであろうからな」
「連携が凄いんですね…」
アシルは俺に関するほとんどの情報を集めている。おそらくこの話も聞いているであろう。
それからイリナは酒を飲み、眠ってしまったので、俺が背負ってアシルの屋敷まで届けた。予想通りアシルは快諾してくれた。




