第179話
礼服屋を出た頃にはもう昼過ぎであった。
昼食を食べようと思ったが、ガイドブックに書いてあった店は潰れてしまっていた。エジット陛下と前王の戦いに巻き込まれることを恐れて別の地に逃げていったらしい。まあ気持ちは分からぬでもない。
「来る時にいい匂いの店があったよ」
「ならばそこにしよう」
「こっちだよ。行こっ」
「ああ」
レリアはそう言うと、俺の手を引いて走り出した。
それにしても良く覚えていたな。俺は周りの匂いなどあまり気にせぬし、覚えてもおらぬ。さすがはレリアだ。
しばらく行くと、レリアが言っていた店が見えてきた。
「コンツェン料理か」
「そうそう。一回食べてみたかったんだよね」
「言ってくれれば用意したぞ」
「わざわざ用意しなくていいの。偶然食べれたらいいなって感じだから」
「そうか。ならば行こう」
「うん」
確かコンツェン料理は辛いと聞いた。まあサヌストでやっているのでサヌスト人が食べれるくらいの辛さにはしているであろう。
店に入り、適当な席に案内された。入口近くでは香辛料も売っているようだ。
コンツェン料理で思い出したが、コンツェンの王弟リヒャルドはまだジュスト殿が預かっているそうだ。どうやら国王派の者に妨害され、身代金の支払いが遅れているそうだ。
リヒャルドは王位の簒奪を狙っているそうで、シュラルーツァ教のお告げが無ければ兄王を暗殺するのではないか、と言われているそうだ。それゆえ、国王派の者には嫌われている。また、幼い別の王族を擁する別の派閥もあるそうで、ややこしい事になっているそうだ。
まあとにかく色々あって、身代金が払われておらぬので、リヒャルドの身柄はジュスト殿が預かっている。
嫌な事を思い出してしまったが、今はレリアとの食事を楽しもう。
「オ客サン、何食ベル?」
「レリア、どうする?」
「ジルに任せるよ。あたしは名前聞いてもどんな料理か分かんないから」
「では全品一つずつ貰おう」
「オ客サン、正気?多イヨ。料理残ス、コレ大変ナ罪ニナル」
「ああ。俺はこう見えてよく食べる」
「料理残ッタラ罰金ダカラネ。コレ、ウチノるーる」
「分かった」
売子はそう言うと、厨房に戻って行った。長年やっているように見えるが、片言のサヌスト語であった。
「全部頼むのって、何か凄いね」
「そうか?」
「うん。子どもの頃はみんな憧れるよ、全部ちょうだいって言うの。お金持ちみたいじゃん」
「確かにある程度金が無ければ出来ぬな」
「でしょ?」
「ああ」
街中の料理屋だ。さすがに金貨を出せば足りるだろう。まあ金貨などこんな所では使わぬ方が良いが。
「お客さん、大量の注文、嬉しいが、多い。食い逃げされたら普段より困る」
売子とは別の者が出てきた。おそらく店主だろう。
「だから何だ?」
「先払いしてもらいたい」
「分かった。いくらだ?」
「これだけでいい」
店主がそう言って札を見せた。銀貨九十七枚であった。他の店よりは高いようだが、払えぬ額ではない。
俺は懐に手を入れ、異空間から銀貨百枚が入った皮袋を取り出し、懐から取り出した。
「銀貨百枚が入っているはずだ。釣りは要らぬ」
「だいたいありそうだ。奥で数えさせてもらうが、サービスには期待してもらっていい」
「ああ。追加分があれば後で払うが、良いな?」
「お客さん、意外と金持ちだったから、それでいい」
店主はそう言うと奥に戻って行った。俺は金持ちには見えぬか。
しばらくすると、料理が少しずつ運ばれてきた。全体的に赤いな。
「では食べよう。好きな物を食べてくれ」
「いいの?」
「ああ。王都で店をやるくらいだ。不味いことはあるまい」
「そうだね」
レリアはそう言って羊肉のスープを手に取った。俺は赤い鶏肉を取って食べた。
辛いが美味しいな。ルチアはこういう料理を作ろうとして香辛料を全て使ったのかもしれぬが、素人が手を出すものではない。玄人が作らねばただの辛い料理だ。そこに美味しさはない。
「オ客サン、蜂蜜ドウ?サヌスト人、辛イノ苦手」
「貰っておこう」
「マイド」
売子はそう言って蜂蜜を置いていった。蜂蜜はそこそこ高級品と聞いたが、この店では簡単に出すようだ。いや、もしかすると先程のお釣りのつもりかもしれぬ。良い店だ。王都に来た時はまた来よう。
その後も料理は運ばれ続け、全てが揃った。机も他の席から追加された。
料理が全て揃った後、売子が近くに立っている。食べ終えた皿を回収してくれるのでありがたいが、レリアとの会話を聞かれているようで、少々気に食わぬ。まあ文句を言って面倒な事になるのは嫌なので、何も言わぬが。
「あたしはこれとこれとこれ貰うね。あとは食べていいよ」
「本当に良いのか?」
「うん。朝ご飯がちょっと多かったみたい」
「ならば貰おう」
レリアは三品を選んで、それ以外はいらぬと言った。まあ礼服屋で茶菓子を食べていたので、あまりお腹が減っておらぬのかもしれぬな。
「それにしても、結構汗かくね」
「大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。ジルは汗かいてないね」
「ああ。俺は体が熱くなっても大丈夫だそうだから、汗はかかぬそうだ。まあ出そうと思えば出せるそうだが」
「本当に大丈夫なの?体温が上がりすぎると死んじゃうって聞いたことがあるけど」
「ああ、大丈夫だ。腕を治すついでに体をイジられたからな」
「それならいいんだけど。無理はしないでね」
「ああ。もちろんだ」
妖魔導王様が体を改造した時に説明してくれたが、体が熱くなっても大丈夫というのは本当のようだ。
妖魔導王様が言うには、食事や睡眠もいらぬそうだ。だが、空腹や眠気は感じるので食べたり眠ったりする。俺にとって食事や睡眠は一種の娯楽だ。他にも必要が無くなったことが色々とあるそうだが、まあ今は良い。
「オ客サン、料理ガ辛イニハ理由アル」
「何でなの?」
「辛イト汗カク。汗カクト体涼シイ。ダカラ辛イ」
とうとう売子が会話に入ってきた。まあレリアが拒まぬのなら、俺も拒まぬ。適当に相手をしてやろう。
「体を冷やすためか」
「ソウ。コンツェンハ暑イカラ、コンツェン人、考エタ」
「ちゃんと考えられてるんだね」
「ソリャソウ。何事ニモ理由アル。コレ絶対」
辛いのが好きだから辛いという訳ではないのか。
コンツェンに比べたらサヌストは涼しいので、サヌストでわざわざ辛くする必要はない。コンツェン人の好みなのだろう。
いや、コンツェン料理屋ならコンツェンの料理をそのまま出すのは当然か。
その後も売子の話を聞きながら料理を食べた。
コンツェンでも金持ちは辛くしすぎた時や味に飽きた時に蜂蜜を使って味の調整をするらしいので、俺も後半は蜂蜜を使って味を変えた。それはそれで美味しかった。
「お客さん、追加分、払ってもらよ」
再び店主が出てきた。他の客は売子に払っているが、俺には店主が請求に来る。まあ別に良いか。
店主に渡された札を見ると、銀貨百二十三枚であった。料理の追加もしたし、蜂蜜も大量に使った。これくらいはするか。
「金貨もあるが、どちらが良い?」
「銀貨がいい。金貨は使いにくい」
「それもそうだ」
俺は銀貨百枚が入った皮袋を二つ取り出して、机の上に置いた。懐から取り出したので、店主は驚いていた。確かに懐に銀貨三百枚を入れるなど、普通は重すぎて出来ぬ。
「釣りは要らぬ。良い話を聞けたと売子に伝えてくれ」
「話し代という訳ですな。毎度あり」
「ああ。レリア、行こう」
「うん。次は本屋さんだね」
「ああ」
俺とレリアは店を出て、本屋に向かった。




