第175話
王都旅行の前にサッパリしようと、お風呂の準備はしていたのでちょっど良かった。
俺とレリアは服を脱ぎ、浴室への扉を開けた。ミミルが送ってくれていた入浴剤と言う温泉を再現する物の良い匂いがしている。
俺とレリアは入浴剤を入れてない方の湯船に浸かった。
「んーー。やっぱりいいね」
レリアは伸びをしながらそう言った。
「ああ。疲れが一気に取れた気がする」
「良かった。疲れてたら王都旅行も楽しめないもんね」
「ああ。任せっきりにしてしまって悪かったが、準備はどれくらいできた?後は俺がやっておこうと思うのだが」
「まだだよ。だってジルを見送って部屋を出ようとしたら、もう戻って来たんだもん」
「…そんなに早かったか」
まさかレリアが部屋から出る前に帰ってくるとは思わなかった。準備をして休憩し、準備を再開するくらいかと思っていたのだが、一瞬であったようだ。
「うん。忘れ物でもしたのかと思ったもん」
「そうか。時間の流れが違うのか…いや、時間を止めていたのか…まあどちらでも良いか」
「ねえ、向こうで何やってたの?」
「まず、とある王に挨拶して…クラウディウスがキアラの仇敵を倒して、それから別の王に師事した」
俺はそれからレリアに魔界での出来事を語った。もちろん妖魔導王様やパトリシアなど名は出しておらぬ。
グルの事なども言っておらぬので、俺は実力で妖魔導王様やパトリシアに気に入られたと思っている。まあ変な誤解を与えてしまうのも悪いし、レリアと妖魔導王様達が会うことはないので良かろう。
「そろそろ温まったし、匂いを落としてあげる。座って」
「ああ、頼む」
魔界での出来事を話し終えた頃、湯船から出てレリアが俺の体を洗い始めてくれた。ミミルがヤマトワから送ってきた石鹸で、よく泡立つ。
「すごいね、ヤマトワって」
「ああ。まあヤマトワは魔王の襲撃を受けておらぬからな。むしろ千五百年ほど前までは魔王の支配領域だったのだ。その保護を受け、発展したのだろう」
「あたしはいいけど、あんまり人前で魔王の事は言わない方がいいよ。名前を言っただけで復活しちゃうって騒ぐ人もいるから」
馬鹿な者がいるようだ。名を言っただけで復活するのであれば、遺族は故人の名を唱え続けるであろう。
それにしても泡が凄いな。レリアが上手なのか、石鹸の性質かは知らぬが、全身泡だらけだ。まあ気持ち良いので良いが。
「そうなのか?」
「うん。あたしも旅してる時に何回か怒鳴られたもん。『復活したら責任取れるのか!まずはお前が生贄になれ!』って。その時は近くにいた人が助けてくれたけど」
「これからはあまり危険なことはしないでくれ。レリアの身に何かあるのではないか、と思うと心配で心配でたまらぬ」
「それはジルも一緒だよ。勝ち戦しかしちゃダメだよ。負ける可能性が少しでもあったら勝てるまで戦っちゃダメだよ。絶対ね」
「もちろんだ。レリアの為にも必ず生還する」
「生還だけじゃダメ。病気もせず無傷で帰ってきて。約束だよ。もし破ったらあたしも同じ怪我をするからね」
「いや、それは…」
もし俺が今回のように、俺が腕を切られたらレリアも腕を切り、俺が目を潰されたらレリアも目を潰すということか。いや、そんな事あってはならぬ。レリアは俺と違って新しく腕が生えてこないのだ。仮に生えてきたとしてもレリアにあの痛みを味わって欲しくない。
「それくらいの覚悟で約束して?分かった?」
「ああ。レリアを人質にされては従うほかあるまい」
「人質ってそんな物騒な感じじゃないけど…破っちゃダメだからね」
「ああ。レリアとの約束だ。破るわけにはいかぬ」
「ジルさーん、ここですかー?」
レリアと楽しく談笑していると突然、扉が開いてルチアが入ってきた。使用中の札をしてあるはずだが。
「何やってるんですか?羊の毛刈りショーみたいになってますね。そんなの見た事ないけど」
「いや、何をやっているのか聞くのは俺だ。何をやっているのだ?」
「やだなー、味見じゃないですか、味見」
ルチアはそう言って背中に隠し持っていた肉叉を俺に見せつけた。芋のようなものが刺さっているが、黒焦げだ。
「一旦出ていけ。それから料理はキトリーに習え」
「そうだよ。真っ黒じゃん」
「こーゆー料理じゃないですかー。ルチアも料理くらいできるから安心して待っててくださーい。あ、媚薬とか入れちゃってもいいんですか?」
「俺は知らぬ。キトリーに聞け」
「あの人めっちゃ怖いじゃないですかー。ちょっとふざけて砂糖一杯のとこに塩五杯入れただけでブチ切れられたんですけど。部下の教育がなってないですよ!なんちゃって」
「…コンツェンに送り返してやろうか」
「ムリムリムリ!冗談じゃないですか。ジルさんは大船の船長になったつもりで待っててくださーい。キトリーさんに聞きながらやるんで、ほっぺどころか恋に落ちちゃわないように気をつけてくださいね。なんちゃって」
「分かったから行け」
「はーい」
ルチアは黒焦げの芋が刺さった肉叉を置いて出ていった。置いて行ってもあんなもの食えぬぞ。俺は人間の食べ物しか食べぬ。
「大船の船長だって。大変そうだね」
「本当だ。ルチアと話していると疲れる」
「でも連れてきたのはジルでしょ?」
「ああ。最大の失敗だ。王都にでも置いて来れば良かった」
「それはそれで面倒な事になりそうだけどね」
「確かに王宮に魔法を撃たれたら終わりだ。アシルが防がなければ、サヌストが終わる」
ルチアはシュラルーツァ教の使徒、つまり天属性なので、魔属性である人間や魔族がルチアの魔法を防ごうと思うと、魔界に行く前のクラウディウスが一・五人ほど必要だ。まあクラウディウスであれば、魔法を躱して術者を斬ってしまうであろうが、王都に置いてきた場合、防がねばならぬ。
「あ、そういう意味じゃなかったんだけど、そっちもあるね」
「と言うと?」
「ジルを探して王都を出て、迷子になっちゃうでしょ、多分。そうなったらジルは探しに行かなきゃだから、面倒な事になるよねって思ったんだけど」
「確かにそうだ。思いつかなかった」
「え、ほんと?あ、流すよ」
「ああ」
レリアが俺に頭からお湯をかけると、泡が全て流れた。ヤマトワ産の石鹸は不思議だ。お湯が行き届いていない場所の泡も流れた。
レリアは俺の泡を流すと、顔を近づけて匂いを嗅いだ。
「取れてる。すごいね、この石鹸」
「この石鹸と言い、入浴剤と言い、ヤマトワ産のものは不思議なものばかりだ」
「ね。この石鹸は分からないけど、入浴剤は温泉の成分をギュッとした感じなんだって」
「ギュッと?」
「うん。凝縮って言うのかな?アキが言ってたんだけど、よく分からなかった」
「レリアに分からぬのであれば、俺にも分からぬな。まあ作り方などは今は良い。存分に楽しもうではないか」
「そうだね。作り方なんて作り手が知ってればいいよね」
俺とレリアは入浴剤を入れてある湯船に浸かった。
ただのお湯と違い、体の芯まで温まる。この湯は体にも良いらしい。
「夕食までこのままでもいいかもね」
「ああ。ヤマトワでは風呂に入ったまま食事をする事もあるそうだ。夕食までとは言わず、夕食もここで食べても良かろう」
「それ、露天風呂の話でしょ。しかも体に良くないみたいだよ」
「ならばやめておこう。健康が一番だ」
「だね。お互いに長生きしなきゃだからね」
「ああ。二人でなら死も乗り越えれそうな気がしないでもないが…」
「意外といけそうだよね」
レリアとであれば、俺は何千年でも生きるし、何度でも生まれ変わって恋に落ちる。例え、性別が入れ替わろうと。
「千年後にも同じ事を言っているような気がする。『もう千年くらい生きれるのではないか』と」
「いいね、それ。それにしても千年かぁ」
「子孫も増えるであろうな。子、孫、曾孫、玄孫、来孫…あとは何であったか…」
「昆孫、仍孫、雲孫だね。それ以降は無いらしいよ」
「まあ確かにそんなに数えようとは思わぬか」
「雲孫に会えたら伝説だよ。全員が二十歳で子どもを産んだとしても…百六十歳?くらいだもん」
「ならば雲孫と会う事を目標にしよう。それまでは死んではならぬぞ」
「お互いにね」
どんなに頑張っても雲孫は無理かもしれぬが、明確な目標があった方が長生きできるような気がする。まあ子孫が絶えてしまったら、どんなに長く生きても会えぬが。
それから互いに危険を冒さぬように念を押し合い、風呂を出た。冷えた茶が置いてあったので、二人で乾杯し飲み干した。




