第174話
体を揺さぶられて目を開けると、リンカが覗き込んででいた。
「水魔導王様、呪魔導王様がいらっしゃいました」
「そうか。俺はどれくらい寝ていた?」
「ジル様に分かりやすく言うと、四日半だ」
「クラウディウスか」
体を起こすとクラウディウスがいた。セリムとヨルク、リリーとスイもいる。
それにしても四日半も寝ていたのか。俺も疲れていたようだ。
「帰る準備は出来ているか?」
「完璧だ。我の異空間にアティソン爺と天女、それからジル様の気に入りそうなものと、キアラ様への供え物を入れた。呪魔導王軍と水魔導王軍はリリー殿とスイ殿の異空間に」
「そうか。ならば帰るか」
俺は立ち上がって淹れてくれていた茶を飲んだ。妖魔導王様に貰った茶と違い、レンカなどが淹れてくれる茶と同じようだ。冷めてしまっているが。
「ジル様の準備がまだだ。体を洗われよ」
「いや、俺は…」
「リンカ」
「はい。ジル様、こちらです」
「いや、俺は…」
「失礼します」
リンカは俺の手を引いて部屋を出た。そんなに汚くはないと思うが、まあ仕方あるまい。
リンカは『妾以外立ち入り禁止』と書かれた扉を開けて、中に入った。おそらく妾とはキアラを指し、その後継なので俺も入っても良いという事だろう。侍女はそもそも数えぬようだ。まあキアラらしいと言えばそれまでだが。
「失礼します」
「いや、自分で脱げる」
部屋に入るとリンカが服を脱がそうとしてきたので、断って自分で脱いだ。
「赤子ではないのだ。体くらい一人で洗える」
「そうですか。では何かあれば遠慮なくお呼びください」
「ああ」
俺は更に扉を開けて奥の部屋に入った。既に湯の用意はしてあったようだ。だが、サヌストの様式とは違い、全く使い方が分からぬ。リンカを呼ぶか。
「リンカ!」
「はい、何でしょう?」
リンカは呼ぶと同時に出てきた。すぐに呼ばれると思い、待ち構えていたのだろう。
「使い方が分からぬ」
「そうでしょう。キアラ様の特注品ですから」
「そうか」
俺はそれからリンカに体を洗ってもらった。
湯や石鹸などからキアラの部屋の匂いがした。この匂いを落とす為かと思ったが、更に匂いを付けるのか。
湯浴みを終え、服を着せてもらい、手を引かれて部屋に戻った。子供みたいに扱われているな。
部屋に戻るとソファに座らされ、髪を乾かして貰った。髪を乾かしている間、冷たい茶を飲んだ。
「あの、私もお供してはいけませんか?」
髪を乾かし終えるとリンカがそう言った。ここまでやってもらって願いを断るのも悪かろう。
「俺は良いが…どうだ、クラウディウス」
「ジル様が許可するなら我は止めんが…姉に会いたくなったか?」
「はい。皆様以外の七近衛はジル様の留守を守っていると聞きました。肉壁として使い捨てて頂いて結構ですので…」
リンカは七近衛に姉がいるようだ。姉ということであれば、レンカかキトリー、ジュスティーヌの三人の誰かだろう。魔界とは文化も違うようなので、もしかするとグレンかもしれぬが。
「相手は魔法を知らぬ人間だ。肉壁となる必要はあるまい。だが、途中で帰らせぬし、秘密は守ってもらうぞ」
「もちろんでございます」
「では俺の異空間に入ると良い。姉が誰か知らぬが、驚かせてやれ」
「姉はレンカです。それでは失礼します」
俺の異空間への穴を開けると、リンカは入っていった。荷物などは無いのだろうか。まあ良いか。
姉はレンカであったか。まあ確かに名は似ているような気がする。
「行くか」
俺がそう言うと、セリムとヨルクが先導し、俺達は後に続いた。
それにしてもリリーとスイの魔力量はすごいな。呪魔導王軍と水魔導王軍はそれぞれ百万以上いると聞いた。異空間に生物を入れる場合、その生物の異空間の中にあるものの分も魔力を使う。つまり、リリーとスイの異空間には百万の悪魔とその荷物が入っており、その負担を背負っているというわけだ。魔法戦ではかなりの枷となるであろう。
セリムは大きな扉の前で止まった。まだ城を出ておらぬので、忘れ物でもしたのであろうか。
「行きましょう」
「ここか?」
「はい。結界魔王様がジル様の為に作ってくださいました。魔界から出るだけでヒルデルスカーンには繋がってませんが、私がいるので大丈夫です」
「そうか」
パトリシアが俺の為にこんなことをするものか?いや、何か企みがあるのかもしれぬ。例えば、この扉を通って魔界を出ると、その者の居場所が分かったりするのかもしれぬ。いや、そうに違いない。
まあパトリシアにどんな企みがあろうと、俺には関係あるまい。俺を追ってきたら、追い返せば良いのだ。
「行きます」
「ジル様、我らから離れるな」
「ああ。来る時も聞いた」
「リリー殿とスイ殿も慣れんだろうから我らから離れるでないぞ」
「は、はい」
「承知した」
セリムが扉を通ったので俺達も続いた。最後にヨルクが通り、扉を閉めたようだ。
魔界に来る時も思ったが、重圧が凄い。だが、前よりは酷くない。目も開けていられる。魔力が増えたからであろうか。
特に何事もなく出口が見えてきた。魔界に来る時は目を瞑っていたので見えなかったが、出入口のようなものがあるようだ。
「ジル様、そろそろ人間の姿に戻られた方が良いぞ」
「分かった」
ずっと悪魔の姿であったので違和感を無くしていたが、俺は普段は人間の姿で暮らしているのだ。出た途端にレリアと出会って驚かせてしまうのも悪い。
「リリー、スイ。今更だが、俺の事は名で呼べ。間違っても準妖魔導王とは呼ぶな。それと妖魔導王様の存在を人間には悟られるな」
「なぜです?」
「話すと長くなる。後で説明してやるから黙って従え」
「はい」
「は」
準妖魔導王などと呼ばれ、変な誤解をされると困る。一国に王は二人必要ない、例え称号だけのものだとしても許さぬ、という者はいるだろう。
「出ます」
セリムがそう言った瞬間、俺の部屋に出た。レリアが部屋から出ていくところであった。
「レリアっ!」
俺は思わず後ろからレリアに抱きついた。ひと月程は会っていないのだ。これくらいは良かろう。
「ジル…!早かったね」
「ああ」
「ちゃんと腕も治ってるね」
「ああ」
「向こうでどれくらい過ごしたの?」
「ひと月程だ」
「そんなに…長かったね」
「ああ」
「…王都旅行の準備しなきゃ」
「すまぬ。こう言うのもなんだが、寂しかったのだ」
そう言って俺はレリアを離した。自分でも気付かなかったが精神的に疲れていたようだ。気分が楽になった。
「あたしと会えなかったから?」
「ああ。考える暇ができる度にレリアの事を考えていた。考えれば考えるほど会いたくなってしまった結果がこれだ。格好悪いところを見せてすまぬ」
「いいよ。ジルはジルだもん」
「そう言ってくれるとありがたい」
「うん。ひとついい?」
「何だ?」
「人、増えてない?」
レリアは俺の後ろで目を丸くしていたリリーとスイを指差した。
「ああ。紹介しよう。俺の愛しの妻レリアだ。フードを被った女がリリーで、下半身が魚の方がスイと言う」
「よろしくね」
「私奴の事など、頭の片隅にでも追いやってくださって構いませんので…」
「リリーはこう言っていますが、どうぞお見知りおきを」
レリアは二人と握手していた。他にも連れてきているが、まあまたの機会でよかろう。それに連れてきた者全員と挨拶するとなれば、王都旅行の準備が出来ぬ。
「クラウディウス、適当に案内してやれ。空き部屋であれば使っても良い。俺はレリアと王都旅行の準備をする。では解散だ」
俺がそう言うと、クラウディウスがリリーとスイを連れて部屋を出ていった。セリムとヨルクは完全に従者に徹している。セリムは準魔導王なので、魔導王は上官に当たるのであろうが、ヨルクは別に関係ないはずだ。まあ別に良いか。部下同士の関係に無理に立ち入る必要はあるまい。
「ねえジル、何か変な匂いしない?」
「俺からであろう?」
「うん、多分ね」
「向こうではキアラの部屋を借りていたのだ。その匂いが移ってしまってようでな」
「良かった。変な女に絡まれちゃったのかと思った」
妖魔導王様やパトリシアには絡まれてしまったな。もうしばらく関わらぬので安心だ。
「まあ絡まれたは絡まれたが、適当に追い払った」
「あ、そうなんだ」
「ああ。しかしこの匂いに気付いたのはレリアだけだ。他の者は何も言わぬ。俺が言っても『何も匂いませんが?』としか言わぬのだ」
「匂いが移るほどの部屋なのに?絶対おかしいよ」
「そうであろう?」
「うん。ジルが言うならあたしが洗い流してあげるよ」
「では頼もう」
「任せて。改めてあたし色に染めてあげるから」
レリアはそう言って俺の手を引いて部屋を出た。俺はいつの間にかレリア色に染まっていたようだ。何と幸せな事であろうか。




