第170話
妖魔導王様が出ていってから結構な時間が経った。
一人になってしばらく考えていると、急にレリアに会いたくなってきた。考えてみれば、もう五日以上会っていないのだ。こんな事は初めてだ。戦の時もこれ程離れた覚えはない。
異空間にしまったレリア人形で気を紛らわそうかと思ったが、既に俺の異空間には何も入っていない。
仕方ないのでレリアの事を考えながら待っていると、ようやく戻ってきた。
「ほれ、茶じゃ」
「長かったな」
「気にするでない。妾が好きでやった事じゃ」
「…そうか」
そういう意味で言った訳では無いのだが、まあ嬉しそうな顔をしているので、別に良いか。
妖魔導王様に渡された湯呑みには、赤黒い液体が入っている。これが魔界の茶か。一口飲んでみると、薄い血の味がした。
「これが茶なのか?」
「そうじゃが?妾の母上の血じゃ。魔界で茶と言うと、血の事じゃ。それも身内の血じゃ。妾が茶を振る舞ったのは、グルに次いでジルが二人目じゃ」
「そうか」
「人間はの茶は葉っぱの出し汁じゃろう。あれこそ意味が分からん」
「葉っぱの出し汁…まあ価値観の違いであろう」
「そうかえ」
妖魔導王様はそう言いながら茶を飲んだ。妖魔導王様の母上の血との事だが、無くならぬのであろうか。少しずつ飲んでいても、いつかは無くなるだろうに。
「それはそうと、ジル。次は座学じゃ。待っておれ」
妖魔導王様はそう言って部屋の奥に行き、白い板を持って来た。
「前も思ったのだが、その板は何だ?」
「これはホワイトボードと言ってな…グルのバカ息子が大量に送り付けて来たから使っておるだけじゃ」
「グルの息子、と言うと、ジャビラの事か?」
「何じゃ、知り合いか?」
「いや、名を聞いた事があるだけだ」
「そうかえ。ま、そんな事はどうでも良かろうて。始めるぞ」
妖魔導王様はそう言ってホワイトボードの横に飛んだ。背が小さいので、小さい翼をパタパタとさせながら飛んでいる。小動物みたいだ。
「ジルの戦闘形態についてじゃ。妾の案を教えてやろうぞ」
妖魔導王様はそう言ってホワイトボードに案を書き始めた。
まず、近接魔法戦では悪魔の姿を基本とし、状況にあった姿をせよ、との事だ。
地上で近接魔法戦をする場合は、悪魔の姿に加え、人狼の腕を使うと良いらしい。。
それから、殴り合いをする場合は陸海空を問わず『殴殺魔法・改』を使え、と言われた。殴殺魔法とは、魔力の渦を腕に纏い、魔法的な防御を崩す魔法だそうだ。そして殴殺魔法・改とは殴殺魔法に硬化魔法や肉体強化魔法などの魔法を組み込んだ魔法で、魔法的なものにも物理的なものにも効くらしい。
妖魔導王様はこの姿を『第二形態』と名付けた。ちなみに第一形態は普段の姿だそうだ。
空中で近接魔法戦をする場合は、悪魔の姿に加え、人虎の脚を使うと良いらしい。
空中に小さな対物理結界を大量に張り、これを足場として使う。勢いをつけた方が、普通に飛ぶよりも速く飛べるので、人虎の脚を使う。人虎よりも跳躍力に優れた種族の血を取り入れれば、そちらを使っても良いとの事だ。
妖魔導王様はこの姿を『第三形態』と名付けた。
水中で近接魔法戦をする場合は、水の悪魔が強いと言われ、水の悪魔の血を飲まされた。
水の悪魔の姿になってみると、下半身が魚のようになり、泳ぎやすい。上半身は人間の姿のままだ。
水の悪魔の下半身に、回復の悪魔の上半身が一番強くなるらしい。泳ぐ際、翼が邪魔かと思ったが、翼を使った泳法を教えて貰ったので、今度試さねばならぬ。
妖魔導王様はこの姿を『第四形態』と名付けた。
この三つの形態を使っても勝てぬようなら、制御眼を開けと言われた。制御眼を開けば、勝てぬものなどない。
次に遠隔魔法戦の場合を聞いたが、遠隔魔法戦に姿は関係ないそうだ。まあ姿によって魔力量の増減がある訳では無いので、当たり前だ。
また、魔法を用いぬ戦いであれば、どの姿でも負ける事は無いそうなので、考える必要は無いそうだ。
ホワイトボードに余白があったので、他の場面での体の使い方についても考えてもらった。
まず、高速で走りたい場合について聞いた。
一角獣が配下にいる事を伝えると、その血を飲めば良いと言われた。確かにそうだ。
そして一角獣の背に悪魔の翼を生やせば、より速く走れるそうだ。この姿から角を無くせば、天馬と言う魔族の姿だそうだが、俺の住む世界の天馬は、既に滅んだそうなので、配下に加える事は出来ぬ。もしかすると、人が立ち入らぬ土地で密かに生き延びているかもしれぬが、数は多くなかろう、との事だ。
妖魔導王様はこの姿を『第五形態』と名付けた。
俺の場合は第五形態になって走るよりも、視界に映る一番遠くに転移し、それを繰り返した方が速く移動できるそうだ。普通であれば、魔力切れで死ぬが、俺の魔力なら、世界を千周しても死なぬ。
最後に妖魔導王様が提案したのは、偵察の為の姿だ。姿と言っても、俺が変わる訳では無い。
天眼を眼窩から取り出し、小さな翼を生やす。こうすれば、俺の体から離れても地面に落ちず、敵陣に送れる。また、敵に見つかって潰されたとしても、新しく生えてくるので大丈夫だ。
練習の為に取り出し、部屋の外に向かわせてみたが、おかしな感覚だ。右目と左目で見えている世界が違うので、混乱してしまう。これを使う時は、左目を瞑らねばならぬな。
魔眼を送れば、奇襲もできる。天眼は索敵などに優れているが、魔法は使いづらい。逆に魔眼は魔法に優れているが、索敵には向いておらぬ。まあ見るだけなら魔眼でも出来るので、偵察に使えぬ訳でもない。
「以上じゃ」
「為になった。礼を言う」
「そうじゃろそうじゃろ。それで、じゃ。妾の加護をやると言ったのを覚えておるか?」
「…覚えておらぬな」
「まあいい。加護をやろうぞ。さあしゃがめ」
「ああ」
何が何やら分からぬが、とりあえずしゃがんだ。
妖魔導王様は俺の前にやってきて、俺の額に口付けをした。すると、魔力が大幅に増えた。封印が解かれて増えていたが、更に一・五倍程に増えた。
「妾の加護をやった。これでジルは『準妖魔導王』になった。妾とほぼ同等の地位じゃ」
「そうか」
「ピンと来ておらんのう。まあいい。説明してやろうぞ」
妖魔導王様はホワイトボードを裏返し、説明を始めた。
妖魔導王様の配下にも階級がある。
上から、妖魔導王、準妖魔導王、魔導王、準魔導王、魔導士だ。
妖魔導王は、ララちゃん(アリマーダス、ラヴィニアなど名は変わる)ただ一人だ。ちなみに『妖』は全ての魔法を意味し、妖魔導王とは『全ての魔法の王』と言う意味らしい。
準妖魔導王は、今は俺一人だ。席は用意してあったが、俺が初めての準妖魔導王だ。
魔導王は、現在十二名いる。炎魔導王、水魔導王、土魔導王、風魔導王、雷魔導王、重魔導王、無魔導王、念魔導王、呪魔導王、悪魔導王、天魔導王、歪魔導王の十二名だ。それぞれ得意な魔法によって、称号が送られる。
準魔導王は、百名を超える。それぞれに称号は与えられぬ。大抵の悪魔はここで限界を迎える。セリムのように功績を認められてなる者や、強さを認められてなる者など様々だ。
魔導士は、妖魔導書を手に入れた悪魔を指す。数は千以上いる。
そして妖魔導王様には、直属の配下として五百万を超える悪魔がいる。魔導王には、それぞれ百万以上の配下がいる。準魔導王や魔導士は配下を持つ者と持たぬ者がいる。
妖魔導王様がすぐに動かせる悪魔は二千万を超える。妖魔導王様に戦を仕掛けても、すぐに負けるので、魔界で一番平和な城が、この妖魔導城という訳だ。
妖魔導王様の加護を与えられた者は、体に紋様が浮かび上がる。俺の場合、両腕に骸骨と薔薇が描かれている。妖魔導王様の趣味だそうだ。この紋様は、悪魔の姿の時にのみ現れ、人間や他の種族の姿の時には見えぬ。
準妖魔導王は副王のようなものだ。まあ魔界での権力が手に入ったところで、俺には意味が無い。
「どうじゃ、妾は凄かろう」
「ああ。思っていたより凄かった」
「そうじゃろそうじゃろ。もっと褒めい」
「さすがだ」
「下手くそめ。じゃが、そこもまた良い」
「そういえば、妖魔導書はまだ貰えぬのか」
「もう試験をするのかえ?」
「ああ。俺の目的だ」
まあ目的はもう達成しているが、貰っておかねば呪殺されてしまう。
「手に入れたら帰るじゃろ?」
「ああ。一刻も早くレリアに会いたい」
「じゃから引き伸ばしておったのじゃ。ジルが早く欲しいと言うなら、仕方ない。行くか」
「ああ」
妖魔導王様は渋々と言った様子で扉を開けた。
試験が終われば帰れる。レリアの事を考えれば考えるほど、レリアに会いたくなってしまう。早く終わらせねば。




