第167話
妖魔導王様は俺の左眼が治った事を確認すると、小さい翼をパタパタさせながら飛び、覗き込んできた。
「良い魔眼をしておるな…さすがはグルの生まれ変わりと言ったところか」
「あの…解呪して頂いて傷が治ったので、帰ってもよろしいでしょうか」
「ダメじゃ。妖魔導書の取得を希望した者は次の試験に合格せねば、死ぬ。妾はジルを気に入っておるが、特別扱いはできん」
誰が殺しにくるのかは知らぬが、妖魔導王様が戦うのであれば、負けぬだろう。
「誰が殺しに来るのです?」
「呪いじゃ。情報が漏れてはならんと思ってこの呪いをかけてもらったのじゃが、漏れても大丈夫じゃった」
「…解呪して頂けませんか」
「妾も無理じゃ。妾の師匠がかけた呪いじゃからの」
「そうでしたか」
ならば仕方あるまい。俺が解けなかった呪いを一瞬で解いた妖魔導王様が解けぬなら、誰にも解けぬだろう。
「腕も治った事じゃし、もう一度かかって来い」
「分かりました」
俺は左腕にも鎧を纏わせた。それから剣を拾い、先程と同じく硬化魔法を貸与した。魔眼を使って、先程よりも多くの魔力を注ぎ込んだ。
そして全身に肉体強化魔法をかけた。クラウディウスがやっていたように限界以上にかけてみると、体が動かし難くなってしまったが、動けば強かろう。
更に全身に雷魔法と火魔法を貸与した。全身が燃え尽きてしまいそうな感覚に襲われた。いや、感覚ではなく本当に燃えている。だが、すぐに皮膚が再生し、更に火力を高めている。
肉体強化魔法によって体が動かし難くなってしまっているので、腕を狼化した。種族としては、俺が今持つ中で人狼が一番腕力が強い。
「行きますぞ」
「来い。遠慮すれば、殺す」
「では失礼」
俺は妖魔導王様まで一気に距離を詰め、剣を凪いだ。先程よりも速く、そして力強く振るったが、妖魔導王様は人差し指と親指で真剣白刃取りをして、受け止めてしまった。
剣を受け止められる事は想定内だ。俺は妖魔導王様に触れる為、左手を伸ばした。雷魔法と火魔法を燃え移す為に。
「慣れん事などするな。死ぬぞ」
妖魔導王様はそう言うと、左手で俺の腕に触れた。その瞬間、俺の両腕と両足、魔眼が爆散した。かなり痛いが、すぐに再生するという安心感からか、恐怖は感じぬ。
やはり、すぐに回復した。天眼で詳しく見てみたが、新たに生えてきた。あまり見ていて気持ち良いものでは無い。キアラが言う通り、一瞬で終わるなら見ても良いが、一ヶ月も続くとなると見ておれぬ。
「…何を為さったのです?」
「触っただけじゃ。何かされるという思い込みで、集中が途切れたんじゃろうて。慣れん事をするからじゃな」
「なるほど…」
「次の策は無いのか。終わりなら終わりと言え」
「自害せよ」
俺は言葉に最大限の魔力を込めてそう言った。妖魔導王様には俺の言霊など効かぬだろうが、動きを鈍らせるくらいはできるだろう。
「自分の首を斬り落とせ」
しまった…まさか同じ策を使われるとは。セリムに創ってもらった魔法なので知らぬと思ったが、考えてみれば妖魔導王様が知らぬはずがなかった。
体の自由が奪われたな。既に首筋に剣を突き立てている。さすがに首を斬ってしまえば、死んでしまうかもしれぬ。降参しかあるまい。
「参りました」
「そうかえ」
妖魔導王様がそう言うと、体の自由が戻った。圧倒的な格上に使われると厄介だな。逆に考えれば、格下相手には有効という事だ。例えば敵軍に向けて『同士討ちをせよ』とでも叫べば、雑兵は全て始末できる。
「それはそうと、やる事が増えたの」
「と言うと?」
「ジルの戦闘訓練。それから戦闘形態の考案。他にもあるが、ざっとこんなもんじゃろ」
「ではお願いします」
妖魔導王様は俺が使徒として人間が住まう世界で人間と戦っている事は知らぬのか。人間が相手なら今の俺でも充分戦えるが、ロベルトやヘザーのような異教の使徒や、シュベンツェインのような魔物などと戦わねばならぬ事もあるので、強くなっておいて損は無かろう。
「じゃ、封印を解くぞ。魔力量だけなら妾より多くなるじゃろうな。ま、安心せい。何かあったら妾が始末をつける」
「…出来れば生きて帰りたいのですが」
「安心せいと言うておろうが。ボコボコにして魔力を封印するだけじゃ」
「……そうですか」
妖魔導王様にボコボコにされて生き残れるかどうかは分からぬが、手加減くらいはしてくれるだろう。
「こっちに来い。さすがの妾も道具無しじゃ封印は解けん」
「は」
妖魔導王様はそう言って部屋を出た。俺も妖魔導王様の後を追って部屋を出ると、妖魔導王様が今いた部屋に向けて何かの魔法を撃った。すると、部屋が崩れ去った。
妖魔導王様は何も無かったかのように歩いていった。
「今のは…?」
俺は後を追って訳を尋ねた。さすがに意味もなくあのような大魔法を使わぬだろう。
「妾とジルの証拠を消しただけじゃ。全部まとめて消した方が早いかろうて」
「いえ、そうではなくて…」
「ああ、そういうことかえ。天体創造魔法で創ったブラックホールを天体制御魔法で操ってあの部屋を吸い込んだだけじゃ。特別な事はしておらん」
「…そうですか」
俺の知らぬ魔法だが、知る必要も無さそうだ。そもそも魔力が足りぬだろう。
「ジル、今更じゃが、なぜ妾に敬語を使う?必要ないと言っただろうに」
「ですが…」
「グルは妾にとって特別じゃった。同胞が滅び、悪魔狩りに明け暮れていた妾に今の地位を用意してくれたのじゃ」
「なるほど」
「貰ったのは称号だけじゃがの。ま、妾は妖魔導王という称号を気に入っておるし、今の生活にも満足している。それも全てグルのおかげじゃ」
称号を貰っただけという事は、つまり空間魔法の聖地を乗っ取り、数多の悪魔を従えているのは、妖魔導王様自身の実力という訳か。
「そうでしたか」
「ジルの魂の一部はグルじゃ。つまり、グルはジルになったのじゃ。妾に敬語など使うでない。むず痒いわ」
「それは失礼。では妖魔導王様はグルの事を好いていたのだな?」
「いきなりじゃな、色々と」
「え?」
何か失礼でもあっただろうか。まあ怒っておらぬようなので良いか。
「何でもない。誰にも言っておらんが、妾はグルの愛人じゃったからの。だから、ジルも妾の事をララちゃんと呼べ」
「ララちゃん…?」
「グルと出会った頃はラヴィニアと名乗っておったからの」
「改名したのか?」
「妾の趣味じゃ。改名前の名を知る者はおらんから、誰も知らんじゃろうがの」
「記憶を操っているのか」
「ま、呪いの一種じゃ」
改名が趣味など聞いた事がないが、趣味など人それぞれだ。
妖魔導王様と歩いていると、巨大な扉の前に着いた。妖魔導王宮の扉より大きい。吹き抜けになっている。
「サスキア、妾じゃ。改造室に繋げ」
───了───
妖魔導王様が扉に話しかけると、頭の中に返事が響いた。リンのような者か。リンは普通に話していたが、サスキアは念話のような感じだ。
「ジル、開くぞ」
「ああ」
扉がゆっくりと開いた。中には色々な装置がある。どの装置も中心にある棺のような魔導具に繋がっている。
「ジル、普段過ごす姿であの中に入れ。妾が色々と調整してやろうぞ」
「…死ぬのか?」
「妾がジルを殺す意味が無い。それに棺を埋葬に使うのは人間だけじゃ。気にするでない」
「そうか。失敗したら埋められるのかと思った」
「その時は妾も一緒に逝こう」
妖魔導王様は冗談か冗談でないか分かりにくい冗談を言うのでやめて欲しいな。いや、俺も似たようなものか。
「縁起でもない事を言うでない。俺には妻を遺して死ぬなど出来ぬ」
「………………妻?」
「ああ。レリアと言ってな、とんでもなく美しいぞ。内面も外見も完璧だ。言葉に出来ぬほどだが、あえて言葉にするなら…」
「裏切り者っ!来世は一緒になろうと約束したではないか!妾はもう知らん!」
「え?」
「嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ!」
グルが妙な約束をしていたようだ。妖魔導王様が駄々をこね始めた。よく見ると泣いている。子供みたいだな。
仕方ない。落ち着くまで待つか。
「ジル…妾を慰めんのか?」
しばらくすると泣き止んだ。だが、まだ不機嫌なようだ。慰めてやるか。
「…良い子だ。泣くな」
「妾を舐めておるのか!相手は何じゃ?神か?天使か?悪魔か?」
「いや、人間だ」
「なんだ、人間か。先に言わんか」
「いや、言おうとはしたのだが」
「人間なら長生きしても百年か…それからジルが立ち直るのに二百年かかったとして…待てるな。ジル、その妻が死んで、立ち直ったら妾のとこに来い。妾が妻となろう」
「俺は三百年も生きぬぞ」
「生きるぞ。見たところ、ジルは魔天使族じゃろう。奴ら、三京年は生きるぞ。それにジルには妾が加護をやるから、寿命が伸びる。そうでなくても色んな種族の血を引いているのだから、少なく見積っても三千京年は生きるぞ」
訳の分からぬ数字が出てきたな。まあ長生きするということか。
「ならば、レリアの死を受け入れるのに十万年だ。立ち直るのには十億年かかる。少なく見積ってもな」
「待つぞ。千億年以内なら気長に待とう。千億年を過ぎたら、妾がイライラし始めるからの」
「分かった。千億年もあればどうにかなるかもしれぬな」
「今度こそじゃぞ。ま、それはそうと、さっさと封印を解いてやろう。ついでに体をイジるが、気にするな。悪くはせん」
「分かった。頼むぞ」
俺はそう言って棺に入った。意外と快適だな。
「閉めるぞ。怖くなったら呼べ。返事をしてやろう」
妖魔導王様はそう言って柩の蓋を閉めた。真っ暗になってしまった。




