第148話
眠り始めてからしばらくした頃、殺気を感じたので目を開けると、喉元に短剣を突きつけられていた。
俺は襲撃者が何者か判断する為、頭を動かして姿を確認しようとしたが右目に掌を当てられ、何も見えなくなった。
こうなっては仕方あるまい。レリアにはゆっくり休んで欲しいので声を出さなかったが、話しかけるしかなかろう。
「誰だ?」
「起きたなら起きたって言いなさい。さ、行くわよ」
襲撃者はキアラであった。
「普通に起こせば良かろう。何の用だ?」
「妾に準備させておいてそれは無いわ。左腕を治しに行くのよ」
「こんな夜中にか。まあ行くか」
俺はレリアを起こさぬように、慎重にベッドから出た。ベッドから出た瞬間、キアラが転移魔法を使って共に転移した。
辺りを見回したが、どこか分からぬ。ただ、水の音がする森の中だ。
「ここはどこだ?」
「ジル様がよく知ってる場所よ。そんな事はどうでもいいわ。早く行かないとセバスとクラウディウスが溺れ死ぬわよ」
「ならば急ごう」
グレンとクラウディウスに何をさせているのかは分からぬが、命の危険があるのであれば、急いで行った方が良かろう。
キアラが歩き出したので俺も後を追った。
キアラが立ち止まったので、周りを確認した。滝が二瀑、新しい小屋が三棟がある。
「そっちの小屋で着替えてきなさい。レンカがいるわ」
「分かった」
俺はキアラが指した方の小屋に入った。
「お待ちしておりました。キアラ様を待たせぬよう、お早めにお着替えください」
「…ああ」
俺は服を脱いで、レンカに渡された白装束に着替えた。ヤマトワで似たような服を見た事があるが、それには色や柄があった。まあ同じ形でも別の種類の服という事もある。ヤマトワで見た服とは無関係だろう。
白装束を着た俺は、小屋を出た。
「似合わないわね。じゃ、次は滝の近くに行って、ジュスティーヌの指示に従いなさい。妾はあっちの小屋にいるわ」
「分かった」
俺は滝に向けて歩き出した。後ろを見ると、レンカがいた小屋に、キアラが入っていった。あの様子だと、休憩でもするのだろう。
滝の傍では、白装束を着たジュスティーヌが待っていた。
「ジル様、わたくしの真似をしてください」
ジュスティーヌはそう言って右の滝壺に立ち、両手を合わせた。俺もすぐに左の滝壺に行き、ジュスティーヌの真似をして、両手を合わせるつもりで右手を出した。
どうやらこの滝の水は普通の水とは違い、何らかの魔力を帯びているようだ。既に治っていた傷が開き始めている。
しばらく滝に打たれていると、滝の水も赤くなり始めた。この川は下流に行った水が、上流に戻る仕組みのようだ。どういう理屈かは知らぬが、グレンとクラウディウスが裏で何かをしているのだろう。
ちなみに俺の体は血が足りなくなると、自動的に魔力が血に変わるので、魔力がある限り、失血死はない。
それからしばらくして、朝日が昇り始めた。
「ジュスティーヌ、まだか?」
「ジル様、一旦休憩しましょう」
ジュスティーヌがそう言って滝壺を出たので、俺も出た。俺達が滝壺を出て数瞬後、滝が止まった。グレンとクラウディウスが止めたのか。
「ジル様、朝食の用意が出来ております」
キトリーが小屋から出てきて呼んでいる。悪魔は全員来ているのか。
俺はすぐにキトリーの小屋に向かった。
「さあ、召し上がってください」
「ああ。すぐに食べよう」
俺は朝ご飯を食べ始めた。ジュスティーヌも来たが、食べぬらしい。寝転んでしまった。
「ジル様、なぜ滝行をしたか、理解はしていますか?」
「いや、全くしていない。と言うよりも、意味があったのか?」
「ジュスティーヌ、説明をしてなかったの?」
「わたくしはしてないわ。キアラ様かレンカがしたんじゃないの?」
「ジル様、ジュスティーヌから話を聞いてください」
「分かった」
ジュスティーヌは俺の前まで来て座った。そして語り始めた。
そもそも悪魔と言うのは、魔界に点在する魔法の聖地から生まれた生物の総称らしい。新たな魔法が開発されると、新たな聖地が誕生する。
キアラとその配下は、回復魔法の聖地から生まれたので、『回復の悪魔』という訳だ。回復の悪魔であるクラウディウスの血を飲んで悪魔になった俺も回復の悪魔だろう、との事だ。
余談だが、回復の悪魔は、どちらかと言うと強い種族に分類されるらしい。
回復の悪魔の特性として、回復の魔力を常に体内に巡らす事が出来る、というものがある。本来であれば、自然と身に付くそうだが、稀に習得出来ぬまま成長した個体も存在する。その場合は、習得せねば不利である為、必ず習得させる。
その習得法はいくつかあるが一番早いのが滝行らしい。あの滝は特別に作った滝で、水に回復魔法が付与されている。その水を浴び続ける事で、回復の魔力を体内に巡らす感覚を掴む、というのが目的だ。まあ意識せねば無理らしいので、話を聞いていなかった俺が習得するなど不可能という訳だ。
話も聞き終え、食事も終えた俺達は、しばし休憩をしていた。すると小屋に足音が近づいてきた。
「我らも腹が減った」
すぶ濡れのクラウディウスとグレンが小屋に入ってきた。二人が座ると、キトリーが二人分の朝食を取り出して並べた。
「何をしたらそんなに濡れるのだ?」
「あの滝は我が動かしていたのだ。その為にずっと水中にいた」
「それはすまぬな」
「それはそうとジル様、連絡はしたのですか?」
俺が謝罪すると、グレンがそう言った。
「…連絡?」
「ええ。奥様に伝えていないのでは?」
「!忘れていた。少し戻る」
「お待ちを。この修行を終えるまで、魔法を使ってはなりません」
「何?」
「ジル様、我が連絡しておこう」
クラウディウスがそう言って黙り込んだ。
…なぜかクラウディウスの膝の上にジュスティーヌの頭があり、ジュスティーヌの頭の上にクラウディウスの左手がある。今度、俺もレリアとしよう。
「ジル様、大騒ぎになっていた。キアラ様が忘れていった短剣を見た姫様が、ジル様が攫われた、と勘違いをして、城中大騒ぎになったみたいだ。それを見たアキがアシル様にも伝えてナヴァル城でも大騒ぎになっていたみたいだ」
「…後でキアラに伝えておけ」
「いや、我は忙しい。ジル様が伝えられた方が良い」
「そうか」
クラウディウスはキアラが怖いのかもしれぬな。まあそんな事はどうでも良いか。
「ジュスティーヌ、再開せぬのか?」
「それでは始めましょうか。ジル様は先程の滝行でやり方を完璧に習得なさいましたので、わたくしはお傍で助言をします」
「頼む」
俺は再び外に出て滝壺だった所に立った。グレンとクラウディウスが上流の方に走っていってからしばらくすると、水が動き始めた。
回復の魔力を体内に巡らす、か。なかなか難しいな。
「ジル様、回復魔法を使う手前で止めてください。それが回復の魔力です」
「それが難しいのだ」
「では少々お待ちください」
ジュスティーヌはそう言って短剣を取り出した。そして自らの腹に短剣を突き刺した。
「ジル…様…お助けを…」
「ああ」
「…ストップ!」
俺が回復魔法を使って治してやろうとしたところで、止められた。自分で傷を治したらしい。
「その状態が回復の魔力です」
「なるほど。これをどうすれば良い?」
「体内に巡らせてください」
「それも難しいな」
俺は手元の回復の魔力をどうにか体内にねじ込み、巡らせた。
「後はそれを体内で行ってください」
俺はジュスティーヌの言う通り、体内で回復の魔力を生成し、そのまま巡らせた。回復の魔力は最終的に魔石に吸い込まれて通常の魔力に戻るようだ。
その後もジュスティーヌの助言を聞きながら、何とか習得した。既に昼頃だ。
「わたくしはキアラ様を呼んで参りますので、少々お待ちください」
「もう滝壺から出て良いのか?」
「いいですよ」
ジュスティーヌが走ってキアラとレンカがいる小屋に向かっていった。
俺は滝壺から出て、陸地に戻った。疲れたな。
「ジル様、出来たのね?」
しばらくするとキアラを連れて戻ってきた。遅かったな。
「出来たぞ」
「そうみたいね。じゃ、ジュスティーヌ、やっちゃっていいわよ」
「はい。ジル様、失礼します」
ジュスティーヌが俺を押し倒して俺の顔を押さえた。そして短剣を抜いて、顔の傷をなぞって切った。かなり痛いが何かの意味があるのだろう。
「ジュスティーヌ、そのまま押さえてなさい」
「はい」
キアラが剣を抜いて俺の左肩に剣の切先を置いた。その間に、ジュスティーヌが俺の口の中に拳を入れた。口の中には拳が入らぬと聞いていたが、他人のなら入るのか。
「いくわよ」
キアラはそう言って俺の左腕の残っていた部分を切り落とした。
ジュスティーヌが拳を俺の口から出した。
「おい、何をするか」
「いくら回復の悪魔でも塞がってしまった傷は治せないわ」
「なるほど。先に説明して欲しかったが、まあ良い」
「さ、治しなさい。念じるのよ。そうね…ジル様が鎧を喚ぶのと同じ感覚よ」
「なるほど」
俺は鎧を喚ぶ時と同じように、左腕が生えて左目が治るように念じた。しかし、治らぬ。
「治らぬぞ」
「治ってるわ。ゆっくり生えてきてるじゃない」
キアラがそう言って指した場所を見ると、僅かに腕が伸びているような気もする。こんなにゆっくりなものか。ジュスティーヌが腹の傷を治した際は、すぐに治っていたが。




