第十八話 解き放つ咆哮
教室を出ると、騒ぎを聞きつけた先生が顔を真っ赤にして走って来た。
「織原さん、あなた何したの!」
「別に。今までの仕返しをしただけです。何か悪いですか?」
「当たり前でしょ!こんな騒ぎ起こして!」
「じゃあ、イジメるのは悪くないんだ?黙認どころか先生も加わってたもんね。花瓶のアドバイスまでして、さぞ楽しかっただろうね。生徒イジメ」
「なっ!私があなたをイジメてたって言うんですか!?何を根拠に!」
出たよ、ヒスババアの本性が。
「根拠も何も……今まで廊下に立たせた生徒は私だけ。テストの点数を読み上げたのも私だけ。花瓶に菊を活けさせたのも、孤立させる空気を作ったのも、先生でしょ。証拠は揃ってるじゃないですか」
「はぁ!?なんの事ですか!?」
「あぁ、先生との会話は、全部録音してますから」
「何!?なんなのよぉ!!あんたちょっと職員室来なさい!」
先生は私の肩を掴み、連れていこうとした。
「触るなよ。あんたと話しても意味無いから教育委員会に直談判しますよ。これからずっと、震えて眠れ」
先生はへたり込み、ぶつぶつと何かを言っていたが知った事では無い。
全ては自業自得。
ちゃんと人格がある一個人を子供だからと舐めていたのが敗因だ。
イジメに加担していたこの人に、教師を名乗る資格は無い。
帰り際に校門の前で振り返り、学校を見上げた。
屋上は好きだったよ。
じゃあね。
私は清々しさとほんの少しの寂しさが入り混じった、卒業した様な気持ちで学校を去った。
「ただいま」
星斗の家にいた癖でつい挨拶をしてしまった。
今までした事なんて無かったのに。
「おい、酒買ってこいや」
もはや父に対しては溜め息しか出ない。
私は父の言葉を無視して部屋に入った。
キャリーケースが視界に入り、急いで中身を確認した。
よかった、中身は荒らされてない。
星斗からの手紙は常に持ってるからいいが、買ってもらった服も思い出の物だ。
あいつには触らせたくない。
「おいコラ!酒買ってこいって言ってんだよ!」
私は黒ジャージに着替え、部屋を出た。
眼鏡は修業用のままだ。
「未成年だから売ってもらえないって……」
「うるせぇ!」
父の強い拳が私の左頬にぶち当たり、血飛沫が舞う。
よろめいたが、なんとか踏みとどまった。
私の髪を掴み、顔を近づけてくる。
「口答えすんじゃねぇよ。なんだそのダセぇジャージは?誘拐犯に買って貰ったのか?身体使って金貰ったんだろ?よこせよ。それで許してやる」
お揃いのジャージを馬鹿にされた。
星斗の純粋な誠意を虚仮にされた。
私の大好きな人を誘拐犯呼ばわりした。
こいつは何も知らない癖に平気で人の心を土足で踏み荒らす。
私の心の中にあった微かな情は、いとも簡単に消し飛んだ。
「息が臭ぇよクズアル中。私の中にあんたの血が流れてると思うだけでゾッとするわ」
「あぁ!?なんだクソガキが!」
父が激昂し、髪を掴む手に力がこもる。
私は父の胸倉を掴んで、鼻目掛けて思いっきり頭突きをした。
ぐしゃっと音がして鼻が潰れる。
「がぁっ!痛ぇ!なにすんだコラァ!」
父の手が私の肩に掴みかかる。
単純な筋力じゃ勝てない。
組み伏せられないように前蹴りを腹にねじ込む。
父は腹を押さえながら、たたらを踏んだ。
やっぱり同年代相手とは訳が違うか。
酔っ払いだと甘く見ちゃいけないな。
「んだてめぇ。親に手ぇ上げやがって」
「子供には手を上げていいのかよ?自分の気分次第で殴りつけていいのかよ?ご飯も食べさせない。育てるお金も無い。そんなんで親だって言えんのかよ!」
父の顔がみるみるうちに真っ赤になっていく。
「生意気言ってんじゃねぇぞ。二度とそんな口、利けなくしてやる」
父はそばにあった一升瓶を手に取った。
武器相手に素手では、少し分が悪い。
だが、周りを見渡しても武器になりそうな物は無かった。
私は武器を諦めて、カウンターの構えを取る。
「土下座して詫びろや!オラァ!」
一升瓶を大きく振り上げる。
私は摺り足で身体を横にずらし、それを避けた。
だが、空を切った一升瓶が軌道を変え、私の脇腹にめり込む。
「うっ……」
息をする度に刺す様な鋭い痛みが脇腹を襲う。
今まで体感した事の無い痛みだった。
心臓の鼓動が耳の中でうるさく響く。
肋骨が折れているかもしれない。
もし、それが肺や心臓に刺さったら……。
脂汗と共に、拭い難い不安が滲み出てくる。
「へっ、折れたんじゃねぇの?今、土下座すれば許してやるよ」
「逆だろ?あんたが土下座しろよ。私は許さないけどね。今まであんたに殴られた分、私の拳が壊れるまで殴り続けてやる」
「なんだぁお前?何キレてんだよ。あんなの酒の勢いだろうが」
「ふざけんのも大概にしろよ、腐れアル中」
上から目線でへらへらしやがって。
あんたに許されなきゃいけない事をした覚えは無い。
絶対に土下座なんてしない。
もう、ここで死んでもいい。
リミッターを、外せ。
「あんたが私にしてきた凶行全部、地獄で償え!」
私はテーブルの上にあったライターを握りしめ、先手の構えで突っ込んで行った。
一升瓶は重く、予備動作が遅い。
素早く間合いを詰め、左手で目打ちを入れる。
返す手で右フック。
続け様に左フック。
肋骨が軋む。
痛みを堪えて父の肩を掴み、腹に深々と膝蹴りを刺す。
もう父の手に一升瓶は無かった。
意識がはっきりしない様子でふらついている。
私は無意識の内に、腹の底から吠えていた。
「あああぁぁぁぁぁ!!」
身体を回転させ、渾身の回し蹴りを放つ。
私の踵が父のこめかみにクリーンヒットした。
父の目はぐるりと白目になり、そのままばたりと倒れてしまった。
私は脇腹を押さえ、荒く息を吐きながら部屋に戻った。
今日の連戦で拳の皮がめくれ、出血が酷い。
震える手でタオルを巻いた。
左奥歯に違和感を覚える。
舌で触ると、一本だけほとんど抜けかけている事が分かった。
指で取り出し、ポケットに入れた。
「あぁ……わあぁぁぁぁぁぁ!」
私は真っ暗な絶望に打ち克ったんだ。
十四年間にわたる虐待の記憶が蘇り、涙が止めどなく溢れだす。
やっと、やっと私を苦しめていた腐敗臭のする鎖を引き千切ってやった。
星斗に会いたい。
会ってこの気持ちを伝えたい。
でも、まだだ。
まだやらなきゃいけない事がある。
私は涙を拭いて星斗の手紙を読み返し、すぐに荷物をまとめる事にした。




