第九話 それでも町は……
「じゃ、昨日言った通り今日から訓練、いや、修業を始める」
「はい。よろしくお願いします」
何故、修業と言い直したのか……。
まぁきっと私には理解の及ばない何らかのこだわりがあるのだろうから合わせておこう。
私達は黒いジャージを着て、例の地下室に降りた。
よし、大丈夫。
普通におはようも言えたし、ご飯も食べれた。
間違えるな。
私は何をする為に、どんな決意でここに残ると決めたんだ。
常にそれを自分に言い聞かせよう。
浮かれてちゃダメだ。
「前にも話をしたが、俺は加害者に復讐をした。その時にいくつかの格闘技を習ったんだ。基本的にそれを教えていこうと思う」
「護身術ってやつですか?」
「違う。俺が教えるのは護身じゃ無い。人を斃す為の技だ」
「人を……斃す技……」
まだ暴力に対する抵抗はあるが、やると決めた以上必ず覚える。
「まず、体力と拳だ。やってみるとわかるが、喧嘩は疲れる。すぐに息が切れる。そして人を殴ると自分の拳も怪我をする。体力と硬い拳を長期的に作っていこう」
「ランニングですか?」
「それもやるが、瞬発的なスタミナに重きを置いて百メートル走とシャトルランだな。それに拳立て伏せ。拳を握ったまま腕立て伏せをする」
「痛そうですね」
私は自分の小さい手と星斗の大きな手を見比べた。
「慣れればなんて事はない。筋力も付けたいが、難しいだろう。女の子は特に筋肉が付きにくい。筋トレは拳立てと腹筋、スクワットだけにして、他の方法で力をカバーしよう」
「筋トレするとすぐプロレスラーみたいなガチムチになると思ってました」
「あれは努力の賜物だ。おいそれと手に入れられるようなものじゃない。でもなるべく早く筋肉を実感する為にプロテインも飲んでいこう」
プロテインか。
ネットの広告で見た事があるが、とても美味しそうには見えなかった。
すっごいマズかったらどうしよう。
「つみき、その眼鏡はちゃんと自分に合ったものを掛けてるのか?」
「二年近く使ってますから、少し度数が合って無い気もしますね……」
これは中学に上がる間際に土下座して買ってもらったものだ。
本当は小学生の頃から目が悪かったが、どうしても買ってもらえなかった。
中学の勉強についていきたくて必死に頼み込んだのだ。
「じゃ、明日にでも眼鏡屋に行こう。喧嘩をする際、視力と視界は重要になる。相手の攻撃は当たらなければどうと言う事は無い。が、当たった後の対処も考えておくべきだ。その為に度数の調整と、動いても揺れにくいものにする」
「昨日のカンフー映画みたいに動くんですか?」
とてもじゃないが、あんな超人的な動きは出来ない。
地面に片手をつき、身体を支えて回りながら蹴るとか、身体を回転させて弾丸の様に頭突きするとか。
「あれは基礎を終えて達人の域に達した俳優の映画用アクションだ。実戦では使えない。でも見てて面白かっただろう?」
「そうですね、特に周りにある物をなんでも武器にするのが面白かったですね」
「そこは実戦で使えるぞ。屋外なら地面の砂や石、教室なら椅子やホウキ、家ならフライパンって所か」
そこで私はずっと疑問だった事を聞いてみた。
人を斃すのなら一番手っ取り早い方法だと思っていた事だ。
「刃物は使わないんですか?」
星斗は少し悲しそうな顔をした。
危ない女だと思われただろうか。
「刃物は使わない。人間には刺したら助からない場所がいくつもある。俺は君を犯罪者に、人殺しにするつもりは無い」
暴力事件を起こすだけでもう犯罪なのではないか。
そう思ったが、口にはしなかった。
私は、あいつらに復讐できるなら捕まっても構わない。
先の見えない今に縛り付けられているよりはきっと良い。
だから、もし負けそうになったら、刃物を使ってしまうかもしれない。
そんな私の心を読むかの様に星斗は言葉を続けた。
「つみき、刃物は使うなよ。今の時代、喧嘩に使う刃物は卑怯者の道具だ。互いに刀を持って向き合うならまだしも、一方的に刃物を振り回したらその時点で負けだと思え」
きつく釘を刺されてしまった。
「非力な女の子でも勝てる方法はあるんだ。そんな物に頼る必要は無い」
「はい……」
「だが、相手が刃物を使ってくる場合も多々ある。そんな時はこっちも武器を使うんだ。刃物以外のな」
「例えばなんですか?」
星斗は壁から二本の棒を持ってきた。
一つは私の身長くらいある。つまり百五十センチだ。
もう一つはそれよりずっと短い。
「長棒はリーチが長く、ナイフや包丁相手にかなり有効だ。あとこれもな」
星斗が六十センチ程の棒をカチッと回し、二本の棒にした。
棒の先端を開けてチェーンを取り出す。
そのチェーンで棒を一つに繋いだ。
「ヌンチャクだ。扱いは難しいが、動きが読まれにくい。つまり当たりやすいんだ。こうして一本の棒にしておけば携帯にも便利だ」
チェーンを外し、一本の棒に戻して私に手渡す。
確かにこの長さならギリギリだがカバンの中に入るだろう。
鉄製で少し重いが、携帯できない事は無い。
「あくまでこれらは相手が武器を使ってきた時の為。基本は素手で戦いに臨め」
「なんでそこまで素手にこだわるんですか?」
「素手に素手で勝つ事に意味がある。丸腰相手に武器を使って勝っても、罪悪感が残るだろ」
多分私は勝っても負けても罪悪感は残るが、その罪を背負う覚悟も出来ている。
素手に素手で勝つ事に意味がある、か。
心に刻んでおこう。
「話が大分、逸れたな。今日はさっき言った基礎の部分、筋トレと体力作りを実際にやってみよう」
今まで碌に運動もせず、部活動もしていなかった小説好きの私がやっていい運動量ではなかった。
星斗は、しれっとした顔でオーバーワークという程では無い、とか言っていたが、それは嘘だ。
私が一度倒れそうになった時の慌てようは、完全に目安を誤ってやらせた時のそれだった。
修業を終えて一階に上がる頃には、私の疲労度は頂点に達していた。
そして、思った通りプロテインは激マズで、思わず星斗に突っ返してしまった。
こんなモン飲めるか、と。
よくよく見ると賞味期限が半年も過ぎているではないか。
口論の末に星斗が折れ、明日眼鏡屋に行く時に新しいプロテインを買う事になった。
疲れで夕食もあまり箸が進まなかった。
メニューは牛ステーキと白米のご飯、サラダにコンソメスープ。
とても美味しそうだった。
無理しなくていいと言ってくれたが、もったいないので出されたものは全部食べる。
が、とにかくステーキが重い……。
こんな贅沢な悩みは生まれて初めてで、少し戸惑った。
明日は早くからランニングをして、眼鏡屋に行く。
なので早めに寝なければならないのだが、漫画棚に気になる本を見つけてしまった。
表紙には可愛いショートカットの女の子が描いてある。
主人公の女子高生とそれを取り巻く友人や町の人達の、ほのぼのとした日常ものだった。
それは私が一番憧れた、平和な日常の風景だった。
読み始めると止まらなかったが、修業による疲れでいつの間にか本を片手に眠っていた。




