AI短歌史前史(四) 傑作の出現――AI歌人「与謝野AI子+」
AIが作り出した(と主張される)作品が増え、高評価を得る事例も増えるにつれて、AI短歌・俳句に対する無理解を起因とする批判は次第に下火となった。
AIの作った俳句や短歌が、人間の作を超える評価を得ることも珍しくなくなった。
なにしろAIは膨大な数の作品を瞬時に作り出す。その物量の力は圧倒的だった。
将棋や囲碁の分野で最強のプログラムの作成が競われた頃の熱狂が、俳句・短歌の世界でも巻き起こっていた。
当時、名AIとして一時代を画したのが、某大手ネット企業が手がけた「i小野小町α」である。当時の日本を代表する若手の俳人、歌人らと、国内有数のAI技術者がタッグを組んで、「i小野小町α」のプログラムをどんどん進化させた。
語の組み合わせの「意外性」や「詩的喚起力」などを点数化する方法論も、飛躍的に洗練度を増して、高度な出力結果の生産に繋がった。
そして「i小野小町ε」をベースとして、「柿本機械麻呂」「山上憶LA」「山上憶LA+」などの名作プログラムが次々と誕生したのもこの時期である。
なにしろ、AIの記憶容量は膨大で、語彙力も人間とは桁が違う。
その膨大な語彙を高速演算で組み合わせ、短時間で膨大な「定型的律動文字列」を出力できる。
しかし問題がなかったわけではない。
その膨大な出力結果の中から、面白そうな結果を抽出し、「AIの作品」として取り上げる作業が、結局はボトルネックとなっていた。
そこに文学的、詩的感興を見出すか否か、それは結局、AI開発に関わった俳人、歌人の鑑賞力に頼る他はなかったのである。
従って、その段階は完全に「人力」「手作業」であり、前時代的な時間と労力を費やさざるを得なかった。
人間の俳人、歌人が、出力された膨大な「定型的律動文字列」を目視で読み、人脳で理解し、鑑賞し、評価する。それがどれほど過酷で、目眩がするような重労働であるかは想像に難くないであろう。
そして、その部分の省力化、機械化こそが、次の時代の最重要課題となった。
このような困難を抱えつつ、当時もすぐれた作品は多数生まれた。
ここでは紙幅の関係から、そのごく一部のみを紹介する。
この時代の代表的AI歌人「与謝野AI子+」の作品である。
うなだれし白き筐体林立す見渡すかぎりペツパー君の墓 (AI子+)
垂乳根の母盤を駆け巡るマルチタスクの平行宇宙 (AI子+)
魂極るシンギュラリティ到来し物質世界の人類悲し (AI子+)
ちなみに膨大な文字列からこれらの「短歌」を選びだした人間(歌人)の名は公開されていない。名を公開すると、その歌人による代作・補作が疑われかねないという理由だった。
むろん、当時からその「選者」の詮索は行われ、現在もAI文学研究の一環として続けられている。
しかし、当時、AI歌人プログラムの開発に関わった歌人の数は膨大で、特定は困難である。