スライムさん
「お兄ちゃーん!」
ある国の、ある森の中、ひっそりと建っている家の中から、元気な男の子の声が聞こえた。何やら慌てているようで、兄を呼んでいたところを見ると、報告したいことがあるようだ。
「どうしたゼト?」
ゼトと呼ばれた少年は興奮しているようで、上手く言葉に出来ないでいる。兄と呼ばれたエクスはゼトを落ち着かせようと、休憩中だったこともあり、砂糖を多めの紅茶を淹れた。
「ふぅ…美味しい」
「そうか」
ホッと一息入れられたことで、ゼトはようやく落ち着くことが出来た。そんなゼトを見て、鉄面皮と呼ばれている無表情のエクスは、表情こそ変わらないものの温かい気持ちになった。記憶を失ったため本来その気持ちを与えてくれるはずの家族の顔は覚えていないし、人間という傲慢な種族が嫌いだったエクスは、長い間凍結されていた自分の感情というものが氷解していくのを感じ取っている。
数少ない友人と呼べる国王も人間ではあるが、基本的には仕事の付き合いであり、エクスも人間が嫌いだからと言って滅ぼすことは考えていない。面倒くさいからだ。またエクスをこの国に留めることで得られるメリットが計り知れないことを知った先代の王が、彼を引き留めるために全力を尽くした結果、この国はエクスにとって比較的居心地のいい物となっている。都合の好いように利用しようとしたり、エクスの持つ空間魔術を盗み取ろうとするような輩は、例外なく彼によって、或いは計画を事前に知った国によって、悉く滅ぼされているのだが。
まぁ、そうした多くの犠牲の元、エクスは平穏を手に入れ、ゼトを保護したことで心の安寧をも手に入れたのである。
「それで、何かあったのか?」
「あっ!そうだった!」
子供というのは刹那的で、気持ちがリセットされるとすぐに他のことへと関心が向かう。ゼトも例外ではなく、そうした刹那的な部分はエクスにも当てはまることはあるのだが。
「2階のお部屋に、大きなスライムさんがいたの!」
何でも家の中をあまり冒険してないことをふと思い出したゼトは、なるべく入らないように言い聞かせている地下を除き、どこに何があるか冒険気分で探索をしていたらしい。きっと将来は冒険者になって世界の未知を解明する探求者になるだろう、とすっかりエクスは兄馬鹿になっていた。
そうして家を探索していると、2階の奥にある一室を巨大なスライムが占拠していたという。この世界のスライムというモンスターは基本的におとなしく、刺激さえしなければ無害であることは過去の研究で分かっていたので、エクスもゼトとスライムの接触報告を聞いたところで特に慌てるようなことはなかった。
「あぁ、あの部屋か」
「知ってるの?」
子供ながらの純粋な眼差しを向けながら頭を傾げるゼトは、見る者をほっこりとさせる。獣人であることもあって、無意識に揺れる尻尾が更に癒しを与える。
「あの部屋のスライムは私がテイムした奴だ。奴に安全な住まいを与える代わりに、この家を清潔に保ってもらっている。人に危害を加えないよう言い聞かせているから触っても大丈夫だ」
スライムが基本無害であり、かつ何でも食べる習性を利用して、家の掃除や排便の処理をしてもらえないかと試したことがある。どうせなら珍しいのがいい、ということでエクスが探し当てたのが、通常のスライムの大きさからは考えられない成長をした、主とも言える巨大スライムだった。そのスライムは分裂と集合を自在に行うことが出来るため、1体(?)で家一軒の清掃などが出来た。
ゼトがこれまで掃除当番のスライムを知らなかったのは、彼らが寝静まった夜に清掃を行っているからだ。研究中にあちこち動かれては気が散る、というエクスの指示で。
「テイム…?」
「テイムとは簡単に言えばモンスターと仲良くなることだ」
普段のエクスの研究者気質からは考えられないほど単純明快な説明がされた。この会話を聞いている者が居れば、「そんな説明が出来るならこれまでもやってくれ!」と言いたくなるほどに。
「おー!じゃあ、あのスライムさんも家族なんだね!」
「家族…スライムが、か?」
「うん!一緒のお家に住んでて、お兄ちゃんのお手伝いをしてるからね!」
「成る程…」
スライムが家族、という発想はエクスにはなかった。家族の定義は基本的に血のつながった親族のこと、或いはゼトのように意思疎通が可能な者を引き取って育てている場合のことだと当てはめていたのだ。
だが、よくよく考えればペットを家族と言う者もいたし、虐待してくる親と家族の縁を切った、という者もいた。ゼトにとっての家族とは、同じ家に住んで、家にいる者のために仕事をしたり、ともに楽しむ者のことを言うようだ。
エクスはスライムが家族である、ということを言われて衝撃を受けたと共に、長年住んでいる相棒ということも思い出して、何故かすんなりとその言葉を受け入れられた。
「では、長い間家のことを世話になっている家族に私も報いてやらねばならないな」
「何かするの?」
「あぁ、王都に言って少しばかりいい物でも買って労ってやろうと思う」
「わっ!じゃあ今日はパーティーだね!」
「そこまで大げさなものではないがな」
いつもより良い物が食べられる、と聞くと、ゼトは毎回パーティーだと言う。エクスと家族になった時、彼が割と豪華な歓迎会を催したことで、ゼトにとってはそういうことになったのだった。
「わぁ、人がいっぱい居るー」
そんな訳で王都へと買い出しにやってきたのだが、 今回出向いたのは王城ではなく城下町である。市場は常に賑わい、ここから人が居なくなった時が国の終わりとも言えるほどだ。
ゼトは人見知りをするほうではない。様々な人種が居ることと、その人の多さに驚いている。
「はぐれるなよ」
「はーい!」
その小さな手をしっかりと握りしめて、エクスはゼトと共に買い物へと向かった。
「おやエクスさん、久しぶりだね」
買い物をするたび、そんな第一声に見舞われる。
「あぁ、今日は家を長年掃除している奴を労おうと思ってな」
「そりゃいい、報いてくれる主人を持ってその人は幸せだね」
「いや、人ではない。スライムだ」
「スライムっ!?」
…そんなやり取りも毎度のように発生する。
「スライムを労うのはおかしいのか?」
鉄面皮で空気を読まず、我が道を征くエクスさえ、毎度同じように反応されるので流石に気になったようだ。
「いや、まぁテイムしたモンスターを労うってのも聞かない話じゃないけど。スライムに掃除?」
「あれは中々に便利だ。言い聞かせれば掃除する物の分別も付くからな。更にゴミを食べて満足するからエサ代も殆ど必要ないと言える」
「はぁー。びっくりだね。家も仕事で中々掃除する機会もないし、今度スライム捕まえてきてもらおうかねぇ」
当然ながらスライムと言えど一般人が街の外に出ればスライム以外のモンスターに殺される場合もあるので、捕まえてもらうことになる。テイムモンスターを捕まえて来てもらうことは珍しいことではなく、この世界のどこかではテイムモンスターを取り扱う専門店すらあるという話も聞こえる。
因みにこういったモンスターの捕獲は冒険者が依頼を受ける。テイムの場合、討伐するより手間がかかるので、多くの場合は報奨金が上乗せされるが、複数の街に支店を持つ大店等は伝書鳩のように扱えるモンスターの捕獲依頼をする場合などもあり、よく見るタイプの依頼なのだ。
因みに、この後その話を聞いた金に余裕のある店や家持ちの個人がスライム捕獲の依頼を出し、数か月後には街にスライムがはびこるようになった。どうしてこうなった。
買い物を終え、森の中の家へと戻る2人。ゼトは何やら嬉しそうで、いつも以上にニコニコとしている。
「何か楽しいことがあったのか?」
思わずエクスが聞いてしまうほどに。
「んー?えへへ、お兄ちゃんって人気者なんだね!」
「人気者?」
店主と言葉を交わすことは誰でもある為、エクスはゼトが何故そうした結論を出したのか分からなかった。
「えーだってお店の人もお兄ちゃんを見て嬉しそうだったし、すれ違った人たちもエクスさんだーって楽しそうだったよ?」
ゼトは獣人さながらに耳がいいようで、エクスが買い物をしている時に周りの声に耳を傾けていたようだ。
確かにエクスは鉄面皮でKYで厚顔無恥で俺がローマだと言わんばかりだが、彼の功績は国単位のみならず街の人へも届く。それはエクスの功績により街が豊かになることで感謝される。記憶喪失であっても異世界人な為、この世界へ舞い降りた当初は食事が不味いと醤油代わりの木の実を見つけて味を改善させたり、物価が高騰した時に黒幕のある商会を潰したりしてきたのだ。まぁ、その功績の多くは彼の研究を邪魔されたり、勧誘が鬱陶しかったから消したという場合がほとんどであるが。
「…そうか」
そんな街の人の評判も特に気にしないのがエクスである。
「準備出来たね!」
「そうだな」
家に戻って買ってきた物で料理を作って、あとはゼトの言うパーティーを開くだけである。
「じゃあ僕スライムさん呼んでくる!」
ゼトはそう言ってスライムの居る2階へと駆け上がって行った。しかしすぐに、彼の悲鳴が聞こえる。
「ひゃぁぁぁ!」
「っ!ゼト!」
エクスは持ち前の身体能力でゼトの元へと急ぐ。まさかと思いながらスライムの部屋へはいると、そこには
「スライムさん!くすぐったい!あはは!」
ゼトと戯れているスライムが居た。
「…何をやってるんだ?」
「あ、お兄ちゃん!」
呆れたエクスはゼトに問いかける。
「えっとね、スライムさんに『今日はスライムさんもパーティーしよう!』って言ったら、喜んでくれたみたいで抱き着いてきたの!うひゃっ!そこくすぐったいからダメだって!あはは!」
それは一見するとゼトを捕食しようとするスライムにしか見えないが、ゼトのことは前からスライムに言い聞かせている為、エクスは現状を見てもすぐに臨戦態勢を解いた。え?慌ててた?まぁ、そりゃ悲鳴が上がったら誰でも心配になりますよね?
「さっさと来い、二人共」
「はーい」
ゼトが手を挙げて返事する。それを真似して触手を上に伸ばすスライム。あっという間にスライムとゼトは仲良くなったようだ。ゼトの将来が期待される。モンスターたらしとして。
ひと騒動あったものの、3人と言う少ない人数での細やかなホームパーティーは滞り無く開催した。
その途中、ゼトは思い立ったようにエクスへと訊ねた。
「そういえば、スライムさんはスライムさんなの?」
「…?どういうことだ?」
「ほら、お兄ちゃんはエクスで、僕はゼトでしょ?スライムさんも名前無いのかなーって」
「あぁ…考えたことも無かったな。そもそも今日までスライムを家族だと思ってなかった訳だから」
「じゃぁ、せっかくだから名前を付けてあげようよ!」
別にテイムすることに名前を付けるという条件は無かったので、エクスは今までスライムはスライムとして扱っていた。そもそも掃除させるだけなので、名前を呼ぶ必要が無かったというのもある。
「ふむ…ならゼトが付けるといい」
「えっ!いいの!?」
「あぁ、私は主だが、ゼトは家族として以外の繋がりが無いからな」
「分かった!じゃぁスライムさん、僕が名前を付けて上げるね!」
嬉しそうにうーんと言いながら名前を考えるゼト。その横でスライムは期待したようにふよふよとそのゼリー状の体を揺らしている。
「…よし!じゃぁ、スライムさんは今日からシロンだ!どうかな?!」
シロンと名付けられたスライムは、嬉しそうにその身を震わせる。物凄い高速で振動している為、少し家が揺れていた。
「喜んでいるようだな」
「やった!よろしくね!シロン!」
こうしてまた、新しい家族が誕生した。エルフと獣人とスライムの家族である。謎である。
いつもお読み頂きありがとうございます。
作者のネーミングセンスの無さにはあきれるばかりですね。エクス(X)、シロン(Y)、ゼト(z)って。Yだけワイだとあれなのでドイツ語読みのイプシロンから取りました。頭悪いですね。すいません。
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