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17

 あらためて料理の礼と、取り乱した詫びを言い。

「いつでもおいで。いつでも飲ませてやる」という『へんくつ』ラモスおじさんの言葉をお土産に頂いて、三人はお店をあとにしたのだった。

 そして――

 ――ここは湖上である。ハリーのボートの上だ。

 チャコとシンディの二人は、ハリーにアドバイスをもらいながら全力をあげて釣り竿を操ったのだが――

 結局、なんの釣果もあげられなかった。

 二人は太陽が南西の水平線に近づく前に、早々と諦めて納竿(のうかん)したのだった。


 ハリーは、なんだか名残を惜しむようなようすで、ゆっくりとボートを走らせる。チャコの耳に、シンディの不思議そうな声が聞こえた。

「ヘイ? 今夜はどこに連れてってくれるの? わりと期待してんだけど?」

「それなんだけど」

 口をへの字にする。彼の心底無念そうな声。

「寮の監査があるんだ……今夜。僕は、これでも寮長なんだ。ずっと居てないと、ちょっとまずい。明日、にしてくれないかな? そのかわり、この町で今一番のスポット教えるから」

「なんだがっかり。いいわ、じゃあまた明日ね。今夜は別の子と遊ぶからいいわ」

「ひでえの!」

 二人が笑いあう声――

 チャコは、三人で共有する時間を慈しみながら、水平線まで広がる湖面に目を向けている。

「きれいだね?」

 ハリーが自分に話しかけてくる。

「うん……」

 チャコは微笑み、そう答えた。

「楽しかった……」

 ……それしか言えない自分がもどかしい。もっともっと、ハリーと楽しくおしゃべりができたなら、どんなに幸せだろう。ハリーだって、話題が豊かな子の方が、好きなんじゃないだろうか、と思う――

「――ぜんぜん、釣れなかったね」

 やっと、それだけ喋った。

「ごめん、釣らせてあげられなかった」

 チャコは慌てて首を振る。

「ううん、非難なんかしてないっ。そんなつもりで言ったんじゃないの!」

「わかってるって!」

 二人は顔を見合わせ――くすっと笑った。ぱっと、幸福感が胸に広がる。

 ハリーは湖面に目を向けた。

「本当に、きれいだね――だけど」

 彼は声を幾分沈めた。

「この湖は……病んでいるんだ。アユが釣れなかったのも、そのせいなんだよ」

「?」

「ここは、ほんの三年前までは、アユなんて、それこそウジャウジャ捕れたもんなんだぜ? それが、ばったり捕れなくなってしまった。……原因は、わかってんだ」

 ハリーはため息をついた。

「黒バス、て魚、知ってるかな?」

「知らない……?」

「わたしは、名前くらいなら知ってるわ……。たしか、獰猛な肉食魚らしいわね?」

 と後ろでシンディ。

「うん。正式名フトグチバス。サンフィッシュ科の外来魚でね、これがとんでもない貪欲な魚食性の魚なんだ。これが、三年前、このピュアに密放流された!」

「え……」

「この三年間で、信じられないほど爆発的に勢力を広げてしまった。それまでピュアに生息する在来魚類は53種。ピュアオオナマズ、コナマズ、ニゴロブナ、ゲンゴロウブナ、ホンモロコ、ピュアヒガイ、マス、イサザ、オイカワ、ワタカ、ヨシノボリ、そしてアユ……。このほとんどが黒バスに食われてしまった……。アユが捕れないのは、こういう理由からなんだ」

 彼は丁寧に教えてくれたが、それに感動するよりも先に――チャコは、ハリーの知識にびっくりしてしまった。

 シンディも同じ思いだったようだ。

「ヘイ? ハリー、すごく詳しいわね?」

 ハリーははにかむ。

「上級学校に通ってる、て最初に言ったろ? 僕は、実は環境生物学を学んでいるんだ。いつか、先生のような、偉い学者になることが夢なんだ」

「ひゅーひゅー! 大志を抱く少年って、ステキだわ。チャコも二度ボレするわよ!」

「ばか――!」

「あはは――で、ちなみに『偉い先生』ってだれ?」

「カール・ベルンシュタイン博士」

「うわあ! わたしでさえ名前知ってる大先生じゃないの!? ここで教鞭とってたの!?」

「ラッキーだよ。あんな権威ある先生から教えを受けられて」

「ほんと、しっかり勉強しなきゃあね!」

「だから、今夜は抜けられないんだ。先生はルーズな人間をとても嫌う」

「はいはい、わかりましたよ! そんな事情を聞かされたら、納得せざるをえません」

「助かった!」

 チャコは無理やり割り込んだ。

「ところで――」

「なに、チャコ? なんでも聞いてよ!」

「黒バスって、なにもの? そんな困りものの魚が、なんで密放流されたの?」

 とたんハリーは、暗い顔になった。

「……その、答は、簡単だ」

 簡単、と言うわりには、難しそうな顔をしている。

「簡単なんだ。……『釣り』だよ。ええと、その、スポーツフィッシングの方の、釣り……。つまり、黒バスは、食えるけど、美味とは決して言えないんだ。それなのになんでそれが放流されちまったのかというと、その、……釣ったときの、『引き』の感触が、とてもいいんだ」

「――はぁ?」

「まじ?」

 ハリーはいきなり激昂し吠えた!

「冗談でもなんでもない! ただそれだけの理由で、湖のギャングが無法に放流されてしまったんだ! ったく――なんてこったい!」

「……」

「僕とラモスじいさんは、黒バス撲滅のキャンペーンを繰り広げた。とたん――村八分さ。見ての通り。……はは、なさけない」

「ちょっと待って!」

 シンディが鋭く割り込む。

「わたしはてっきり――ラモスおじさんとこにきたヤクザは、今話を聞くまで、地上げ・乗っ取り関係だと思いこんでいたわ!」

「……」

 シンディはしつこく確認を求めた。

「実は、貴方とラモスおじさんは黒バスの反対派だった。そこに黒バス擁護派の、貴方のお父さんのヤクザが嫌がらせにやって来た――!?」

「正直に話そう!」

 ハリーは叫んだ。

「――三年前、ピュアに黒バスを密放流したのは――僕の――親父、社長、ヤクザの親分なのさ!」

「――」

「――」


「親父、社長、は、息子の僕が言うのもへんだけど――この町の裏っ側のナンバーワンなんだ。ホテルやレストラン、娯楽施設、飲食店、その他――その、なんだ、その、特殊遊興場などを……多数傘下に治めている。警察署長でさえ、町長でさえ、迂闊に手を出せない。

 そんな社長のほとんど唯一の趣味ってのが、釣りなんだ。それも、バスフィッシング……。

 僕は、社長のたくらみを知って、これでも精一杯反対したんだ。だけど、今も、なおさら三年前! 僕には、なんら力がなかった!」

「……」

「……あのね、わたしらは、ただのおばかな女二人組なんだけどさ、世の中の仕組みくらい知ってるよ?」

 とシンディ。

「何が言いたいんだい?」

「どんな町にもならず者はいるわ。そんなの承知してる。だけど――その町の裏っ側のナンバーワンは、けっして彼らではあり得ない」

「……」

「なぜなら、どんな町にも『回転予報官』がいるからよ! もちろん、回転予報官は首長に依頼されて就任する、表っ側の人間だわ。だけどそれはタテマエというもの。彼女らはその実力で、悪も正義をもコントロールしようとする。それが魔女の性質(サガ)なのよ? どんな力を持ったヤクザだろうが、魔女にはけっして敵わない。――違う?」

「……」

「この町の魔女は誰なの? ヤクザのやることを黙って座視していたの?」

「……君はなんでも知ってるんだね」

 ハリーはため息をついた。

「チャウ・サイフェイ二級魔女」

「……聞いたことない名前? 若いの?」

「もういいお歳だよ。礼儀に反するから、ちゃんと訊いたことないけどね」

「で、そのオバチャン、なんにもしなかったの?」

「したよ――」

 ハリーは苦笑する。

「?」

「――サイフェイ魔女様は、今、社長のメカケやってる」

「は?」

 ハリーは引きつった笑い声をあげた。

「僕の親父は、どうも、女性の瞳には、とても魅力的に映るようなんだ。ほんとは彼女、社長夫人になりたかったらしいけど。こればかりは僕が猛反対した。だから、今、一号のいない二号さんになってる」

 シンディは、頭に右手をのせて、首を振る。

「魔女が……信じられない。世も末だわ……」

 舵輪を握りながら、ハリーは、うなだれてしまった。


 チャコが口を開く。

「ハリー……お父さんは、バスの実害について、何の知識もなかったの?」

 彼はほほ笑んだ。

「チャコ、君は優しいね。親父は……そんなことはない。社長は、もちろんどうなるか承知していたさ……。さっきも言ったけど、無力だったけど、僕も予想しうる被害を何度も何度も説明したし……。

 社長は、全て承知の上で、自分の欲望を満たす、ただそれだけの理由で、密放流してしまったんだ」

「在来種への影響は何とも考えなかったの?」

「僕があんまり騒ぐもんだから、ある日とうとうキレてね。『貴重な固定種があるんだったら、放流前にどっかよそに移すがいいだろう』とほざいたことがあったよ」

「そんなことができるの?」

「できるわけがない。だから『固定種』というんだ。――社長にとっては、生き物も物のうちなんだろう」

「これから、このピュア湖はどうなるの? 黒バスは、この湖の生態系に、やがては組み込まれ、安定してくれるの?」

「それは幻想だ。在来種の8割は死滅する、とベルンシュタイン博士は予測している」

「絶対?」

「絶対。先生が言うんだから間違いない。なんたって、世界の一番の権威だから。絶対正しいはずさ……」

「……」

 ハリーは気づいたように笑顔を作った。浜辺の桟橋が目の前に近づいていた。

「ごめん。つまんない話をしてしまったな。ピュアの(やまい)が癒える日が来てくれたら、どんなにいいだろうね。さ、お姫様、到着しましたよ。忘れ物はありませんか……?」












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