第7話 俺の兄上がこんなに有能な訳がある! 下
キス待ち顔で目を閉じて数秒。あの風切音と、肉に鉄が刺さる音は確かに聞こえたというのに、何故か俺に痛みはなかった。
待望の死とはこんなものか? いいやそんなはずはない。一度死んだことのある俺だからいうが、結構苦しいし、死ぬほど寒くなって恐くなって孤独感がエグいものだ。死というのは。
だが、これは何だ? 何故十全に呼吸が出来て、体感温度も変わらず、俺は平然としている?
「……っぐ、ぁ……」
「……ハァ?」
はあ? 思わずもう一回言った。
何故か、本当に何故か、全く意味が分からないことに――。
矢に射抜かれていたのは、コーネリアス兄上だった。
はあ? 意味分からん。え? ハア?
「ぶ、じか……? フレデリック……」
「あ、兄上……?」
ぼたぼたっ、と血を零しながらコーネリアス兄上は痛みに呻いた。
俺の視力はマサイ並だ。あの刺客は絶対にコーネリアス兄上の紋章を付けていた。だというのに、何故コーネリアス兄上が射られている?
どうして、そんな――まるで、俺を庇えてよかったみたいな、安堵の笑みを浮かべられる?
「俺を……庇ったのですか?」
――いやなんでやねん!!
目をかっぴらいて動揺する。何故だ、何故なんだ兄よ、ここで俺を殺す計画なんじゃないのか。なあ、兄よ!?
「一度捨てられた、この、命……拾ったお前の……っ、礎になれるなら、それが運命という、ものだろう……?」
頬に脂汗を垂らし、肩を貫通した矢もそのままに、コーネリアス兄上は俺を刺客の視線から遮りながら、ゆっくりと歩き出す。自分から肉壁を買って出るその姿勢に、俺は困惑しっぱなしだった。
とりあえず、兄上に肩を貸しながら歩き始める。今回の襲撃が兄上の思惑の埒外にあったというなら、このまま俺が死んでも兄上は「エーンエーン、フレデリックがしんじゃったよお゛!!」とうろたえるだけだろう。第六王子台等待ったナシだ。
王城の入り口まで結局徒歩で行き、兄上の血まみれの服で現れた俺に、女官は泡を吹いて失神し、医務室は大混乱に陥った。
てんやわんやの大騒ぎの医務室を眺めながら、俺は刺客の身元を知るために退席しようとする。
が、意識が混濁したコーネリアス兄上が俺の服を握って離さない。何だお前、それが許されるのは可愛いおんにゃのこだけだぞ。
「フレデリック……」
うわ言に俺の名を呟く兄上は、今にも死にそうな癖にやたらと満足げな顔をしていて、気色が悪かった。
俺がお前に何をしてやれた? この矮小な身が、本当に生まれながらの王族であるアンタの命よりも重いとでも?
ささくれだった気持ちで兄上の手を振り払うと、俺は刺客の下へと向かった。あのブローチを回収しておかなければ、兄上にいらぬ嫌疑がかかるだろう。俺がそう期待したように。
国のナンバーツーに叛意があるなんて一大事だ。
流石に、肉親は殺したくなかった。そんなことしたら、いよいよ人間的に終わってるからな。
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俺は火の着いていない蝋燭だけを持ち、人気のない城壁を伝っていた。
……いや、言い間違えとかではないんだ。俺の部屋の前には寝ずの番が居るし、これから向かう先も同じぐらい警備が厳重で、密談には向かないシチュエーションなのだから、仕方がないんだ。
とか言いつつ、蔦の生えた壁面を、変態的な身体能力で進んでいく。
目的の窓には明かりが付いていなかった。もう眠ってしまっているのだろうか?
こんこん、と軽く窓をノックすると、億劫そうな誰かの声が聞こえる。
「……もう鳥が起きたのか」
「いいえ、俺です。コーネリアス兄上」
「――は?」
コーネリアス兄上は、驚きすぎて声も出ないのか、両目を見開いて停止してしまった。
再起動して絶叫でもされたら堪らないので、窓を開けてくれ、とジェスチャーして、放心状態で彼が従った後、すぐさま口を抑えた。
「~~~~~!? ン、んんんん!?!」
「『何をしているんだ、フレデリック』。……といったところですかね。いえ、少し……誰にも邪魔をされずに、お話でも、と」
持って来た蝋燭に火を着けて、俺は兄上のベッド横に椅子を並べた。
兄上はひいひい言いながら、傷に響いたのか肩を抑えて顔を白くしていた。
「な、なにを……考えて……先刻、刺客が、現れた……っ、ばかり、だと、言うのに……!」
「その、刺客の件でお話があります」
俺は兄上を医務室へ送った後、こっそりと盗んでおいたブローチを兄上に見せる。
「例の刺客が身につけていたものです。……あれは、兄上の指示によるものではなかったのですか?」
捨てきれない希望を胸に、俺は兄上に尋ねた。
目はキラキラに輝いて、そうだといってくれると嬉しいなあと訴えた。つもりだ。
だが兄上はそれを違う風に捉えたらしく、さあっと青ざめて、怪我を押して俺の両腕に縋りついた。
「ち、違う!! ちがう、ちがう、ちがう!! 俺はお前を裏切ったりなどしていない!! たのむ、信じてくれ、違うんだ――! いや、信じなくてもいい、せめて、死ぬなら、お前の手で――」
きっもちわる。え? きっっもちわる。何食ったらそんな発想出てくんの?
何だよ……なんでいい年した大人が――それも肉親キリング複数回重ねてるくせに、そんな子供みたいに泣けるんだよ。そんで俺は何か? アンタの教祖か何かか?
「馬鹿なことを仰らないでください! とにかく、落ち着いて、兄上! 俺が……俺が問いたいのはそんなことではない!」
兄上が俺へと、王族の自室には必ず備えられている護身用ナイフを握らせようとしてくるのを必死で押さえ込み、兄上を寝台に突き飛ばした。
痛みに涙目の兄上を尻目に、落ち着いてゆっくりと椅子に座りなおすと、俺は何事もなかったかのように続ける。
「俺が聞きたいのは、一つだけです。何故……何故、俺を庇ったのですか? 貴方さえ生きていれば、この国は……」
「――それこそ、馬鹿なことを、言うな!!」
兄上は再び激昂した。アンタの怒りスイッチはどこにあるんだ。俺に教えてくれ……。
「王は、お前だ!! お前こそが王だ!! 分かっていないのは馬鹿ばかりだ! お前以外の、一体誰が王になるべきだと!?」
「俺は、それは兄上だと思っているのです」
静かに告げる。俺は多分、自殺とかしなくても、近いうちに死ぬ。戴冠からたったの数年で、わが国は――俺は、恨みを買いすぎた。
盛者必衰の理というやつだ。暗殺者はポンポン送られてきている。俺が今生きているのは、偏に運が良いことと、護衛たちの命を足蹴にしているからというだけで。
「――フレデリック、残念ながらそれは、ありえない」
「何故?」
燭台の炎が揺れる。俺は至極不思議そうな顔をしていたと見えて、兄上は微苦笑を浮かべた。
「俺には、お前以上の王など勤まらない」
「ですが兄上、恐らく俺は近い内に――」
「そんなおぞましいことは、起こり得ない。お前は生きるんだ、父上よりも」
兄上があまりにきっぱり言い切るので、俺は背筋がぞっと震えるのを感じた。
狂信者の目付きで、彼は俺をギラギラと見つめた。
「お前に盛られた毒は、全て俺が飲み干そう」
兄上がベッドから足を下ろす。傷が開いたのか、包帯には血が滲んでいた。
「お前に向かう刃は、全て俺が引き受ける」
傷口を撫で、兄上はこの程度なんともない、と微笑んだ。
「俺は、お前を守る盾だ。お前のための、傀儡となろう」
頭の中で、ネジがまかれる音を錯覚した。
遠い昔、五年かそれ以上前か。テラスで兄弟揃ってのお茶会をしていた時、コーネリアス兄上の言った言葉を思い出す。
『王とは孤独だ。ただ一人、舞台装置のその上へ立ち、自分以外全ての傀儡を操る。王だけが、ただ一人だけが操者であり、他は全て木で出来た下等な人形でしかない』
その茶会に盛られた毒で、二番目の兄が死んだ。
「兄上、貴方は俺を……。貴方までもが、俺を――」
「ああそうだ、フレデリック。お前だ。お前こそが――俺の、俺たちの王だ」
お前こそが、操者に相応しい。
「貴方は、木で出来た人形に成り下がることになるのですよ」
「ああ、構わない。俺以外の傀儡共は、ネジでも巻けばまた動くかもしれんが……。俺だけは――この俺だけは、お前直々に糸を付けられた操り人形になってやる」
俺の足元に傅いた兄は、俺の前で最敬礼をした。この国で、『自分の命を貴方に捧げる』という意味を持つ姿勢を取り、頭を伏せ、その項を見せた。
何人もの人間を、斬首刑にした俺へと。
「――お前が死んだら、俺もその背を追おう。お前の遺す王権全てを投げ捨て、お前という支配者が消え、有象無象が混乱する様を、地獄で共に眺めたいものだ」
きっっっっもちわる…………。
重い、重いって兄上、最高にキモイよアンタ……。