第6話 俺の兄上がこんなに有能な訳がある! 上
女の子をどこかで出したいけどどうやって出せばいいんだ……
大陸でのクソッタレな戦争ラッシュがついに終わった。
諸々の和平条約や、統治権をどうブン獲るかを説明するために、俺は帝国の長として、シンの国で会議を設けた。
向こうから攻めてきた負い目もあるため、我が国に対する他国の国民感情はそう悪くない。特に庶民は殆どニュートラル、もしくは罪悪感っぽいものが蔓延している。
俺も覚えがあるから分かるが、ぶっちゃけ上の首を全部すげ替えようが、庶民にとっちゃ余り関係の無い話だ。どっちかと言うと税率の方が気になるのだろう。
俺はとにかく世論の流れに気をつけつつ、上層部に信頼のおける貴族を派遣し、或いは土地をケーキみたいに切り分けて諸侯たちに与えた。
賠償金も気前よく頂き、一族郎党皆殺しにした訳だから貴族の私財もガッポガッポだ。戦争はぶっちなけかなり儲かる。勝ってるうちはな。いつ負けるか分からん上、俺はもう二度としたくない。何せ王様は国が負けることがイコールで死に繋がっているのだから。俺は毎度死の覚悟を決めて采配をしている。
さてはて。俺のスタンスは、強制戴冠式から全くもって変わらずに上記の通りなのだが、今回の戦争はまあ酷かった。
元より大きな土地を持っていただけあって、我が国は大体の戦争に巻き込まれてしまった。他国同士が争っているかと思えば、両国から物資の補給のため、スナック感覚で侵略される村々。それを守る諸侯。増援を送るしかない俺=王様。
悲しみのルーティンワーク。俺の胃は悲鳴をあげ、処刑人の腕は腱鞘炎になった。毎日毎日辛気臭い気持ちで日々を送っていた、そんなある日。
ふと気がつけば我が国は――大陸全土を支配するのに、王手をかけてしまっていた。
意味が分からん。泣きたい。
俺の名が未来で歴史に深く刻まれるだろうことが容易く想像できた。憂鬱だ。今すぐにでも突発的にバルコニーから飛び降りたい。奇声を上げて転がり回りたい。
しかも! 肖像画は! SMプレイ!
戦火とは無関係でいた国が幾つかあるため、そこの統治権には全くのノータッチだが、国力の差は圧倒的。ウチが幾ら連戦で疲弊しているからといって流石に負けは無い。
大陸統一は既に終わったと言っても過言ではない訳だ。全く、本当に、勘弁して欲しい……。
俺は憂鬱に思いながら、十年以上住んでるのに、親しみを微塵も感じない首都の大通りを目だけで見渡した。城から滅多に出ないから、城下の景色なんて全然馴染みがないのだ。
しかし漸く、生きた心地のしなかった調印式も終わり、一旦は住み慣れた宮廷で――住み慣れた? いや全然そんなこたァねェな。今のは語弊があった――腰を落ち着けることが出来そうだ。
戦後処理や新たな条約について考えるのは面倒だが、コーネリアス兄上や宰相がいる。三人で分ければきっと少しは楽なはずだ。何より、人数が多ければ多いほど責任が分配されるって点がいい。俺のせいになるのは三分の一ってことだからな。
馬の振動が腰に響く。コテコテに付けられた装飾品が独特の金属音を立てるのが煩わしい。まだ城にはつかないのか。
辺りから溢れんばかりの歓声が聞こえる。フレデリック王バンザイ! とか、帝国バンザイ! とかそういうやつ。
こっちは鬱になりそうなぐらい悩んでいるというのに。舌打ちしてしまいそうだ。でも、偶にはサービスしないとな。きっとその方が気も引き締まるだろう。社長の顔を平が見られることなんて滅多にないだろうし。
俺は微笑みながら軽く手を振り、遅々として進まない行進の退屈を紛らわした。護衛が何人も付いているとはいえ、丸腰で馬に騎乗するハメになるとは。殺す気か? 矢が飛んできたら死ぬのでは? 俺はヒヤヒヤしつつ馬に跨っている。
まさか調印式の帰りに馬車を襲撃されるとは思わなかった。お陰様で死者数名、俺の馬車は大破したし、途中の国で調達出来そうな馬車は王族が乗るにはみすぼらし過ぎた――ということで、このザマである。
立派な栗毛の馬がコツコツと小さな歩幅で歩く。人間が多すぎて全く進まないのだ。とっとと揺れない地面に腰を落ち着けたいのだが、それは当分叶いそうもないだろう。
先頭には護衛数名と、国旗を持つ係と、あと……後なんだ? 俺にもよく分からんが、多分威圧感を増すための何らかの人員がいる。
そして次に俺、さらに俺を囲む数名の護衛と、その後ろにコーネリアス兄上、とそれを囲む護衛。
一応先頭には近い方なのだが、どうにもこうにも、遅すぎる。首都入りを果たしてから三時間はこうだ。理論上、距離的には大通りなんて普通一時間足らずで抜けられるのに。
王様になると欠伸だって自由に出来ない。ため息も吐けない。
俺はにこやかに偶々目が合った子供に手を振りつつ、心中でイライラと地団駄を踏んだ。
子供は乳白色の液体が入った陶器の瓶を持っていた。牛乳を届けに来たのか、それとも買ったのか。服装からして質素で、首都に住む人間ではなさそうなので、俺の帰還に合わせて行商をしに来たクチだろう。俺が城に引っ込むと、この大通りの両サイドには、出店が並びお祭り騒ぎになるのだ。
キョトンとした後、俺に向かってブンブンと手を振り返す女の子。子供の無邪気さはどこでも一緒か。ネットで擦れてないだけこっちの方が可愛いかもしれない。
俺がそんなことを思う間にも、女の子は一生懸命手を振りすぎて、牛乳の入った瓶を落としてしまっていた。
ああ、あれは相当な音が出るだろう。近くにいる彼女の愛犬なんて、多分飛び上がって吠えてしまうぞ。
俺はそう思い苦笑していた。さて、予想通りに犬は大声で吠え、周囲の人間の目は俺から一瞬離れ、少女の足元へ向く。
そして――ひゅん、と風切り音がしたかと思うと、俺の頬を掠めて、"何か"が通り過ぎていった。
「――王よ! 伏せて下さいませ!!」
無理言うな。
"何か"は――弓矢は、俺の頬と同じように、馬の太ももを掠っていったので、栗毛の彼はすっかりパニックに陥っていた。
落馬しそうになりつつ、手網を軽く引いて馬の頬を優しく叩く。まあ落ち着けよブラザー。狙いは俺さ、相当腕はいいみたいだし、お前はきっと大丈夫だ。
俺の心中には焦りはあったが恐怖はなかった。よく調教された馬は一度前足を上げたが、興奮したように息を荒らげつつも、ゆっくりと静止する。
静止されたら狙われやすくなるんだけども、逃げ場なんてないから別に構わない。
前には護衛、左右には民衆。後ろにはコーネリアス兄上。
俺は一か八かで剣を抜く。この体の反射神経なら、矢の斜線上に剣を置くことだって出来る。チャレンジしたことないけど。最悪外れても、軌道を逸らすくらいは可能だろう。
護衛がドタドタと寄ってくるが、彼らだって訓練ぐらい受けているから、集団で集まっても人口密度を上げるだけだとわかっている。三名だけが俺に近づき、しかしすぐに俺の盾となって頭をピンポイントで射られ、残りは下手人を追ったり、他は民衆を蹴散らして道を開いてくれていた。
「コーネリアス兄上! 狙いは俺ですッ!! 兄上は反対へ逃げて下さい!」
ここで俺が死んでも、最悪コーネリアス兄上が生きていれば何とかなる。その一心でポカーンと立ち止まっている兄上に声をかけた。何突っ立ってんだおバカさんめ。何とか事態の収拾がついたあと兄上が死んでいたら俺が困る。手軽に王位を押し付けられる相手が減ってしまうじゃないか。
さて、次の手はどうするか。
俺自身、死ぬ事自体は吝かではないが……。しかし、他国の下手人に俺が殺されたら、面倒な争いが起こることは火を見るより明らかなのだ。
犯人探しは面倒臭いし、次の王様に六番目の兄弟辺りが名乗りを上げて、コーネリアス兄上とのガチンコバトルで国単位で内紛を起こしかねない。コーネリアス兄上は第一王子の癖に、ちょっと……なんていうか、人気が、な? あんまりだし。さらに鈍臭いところもあるので、急激な状況変化に弱いところがある。
それに今日は、『死ぬにはいい日だ!』なんてとても言えないポジショニングだ。こんな所で死んだら大通りは閉鎖だろうし、領土も広くなったから〜とかなんとか言って、次の王は無駄な建設費をかけて遷都する可能性もある。あと、葬儀に税金を湯水のように使われるし、三日三晩黙祷を強要されるなんて庶民的にはクソ食らえだろう。
当事者の俺だって嫌だわ。なんで会ったこともないのに数百万の人間に黙祷されるんだよ。気色悪いわ。
馬に完全に身を任せて、片手で手綱を握った。矢の方を睨んで、剣を中空に構える。
何処だ? 何処から飛んできた?
ジロジロと目を動かして暗殺者を探す。ついでに身元も分かればあとが楽でいい。
やっと見つけた暗殺者は、茶色い服を着て同じような色の屋根に膝をついていた。次の矢を番えて、俺を狙っている。視線が確かに交わった――そう確信した途端、矢が飛んでくる! 動揺はないらしい。
そこで不意に風が吹いた。矢は向かい風にやられてほんの少し速度を落とす。目にも留まらぬ速さは多少緩和され、俺は落ち着いて対象の鏃を弾いた。この身体スペックなら多分メジャーリーグに出れる。俺は胸を撫で下ろしつつ確信した。
「フレデリック!!」
そんで――なんでまだ逃げてねェんだお前はよォ!?
視線は下手人に向けたまま、何故か俺の後方にまだ居るコーネリアス兄上に意識を向ける。
馬鹿か? 馬鹿だな? 馬鹿なんだな?
いや、様子を見るに馬が恐慌状態に陥っているようだ。なるほどその有様では動けまい。マジで運のない男である。コイツ王族に生まれてなかったら死んでたんじゃないか?
暗殺者のほうをじっと見る。彼はどうやら命を惜しまないタイプらしい。一度射ったというのに、場所も移動せずじっとまた次の矢をこちらへ向けている。
案の定、というかなんというか。暗殺者を追う役を負った護衛の一人が屋根に現れた。彼はすぐさま暗殺者へ飛びかかり、もみ合いになる。暗殺者のローブが乱れ、中の服が見えた。
そして俺の変態的な視力は"あるもの"を捉えた。まるで嘘みたいな奇跡、幸運。この状況においては、最高という言葉の代名詞である"それ"。
そこにはなんと――コーネリアス兄上の紋章があった。
ブローチのそれに刻まれているのは、確かに、コーネリアス兄上の紋章だったのだ!
暗殺者から目を離して、コーネリアス兄上へと振り返った。彼の馬はまだ暴れていて、兄上は焦りながらも俺の方を見ている。コミカルにさえ見えるそれも演技で、俺が殺される瞬間をその目で見つめるためにここに居るのだろうか。
「兄、上」
「フレデリック、止まるな! 走れ! 何をしている!?」
いやお前が何してんだっつー話だよ。
馬に暴れられて振り落とされそうになる兄上を見て、俺は肩を落とした。
集中力がぷっつりと切れてしまう。もう気を張る必要がないと悟ったからだった。その瞬間、辺りの音が耳に入り込む。
犬の煩い鳴き声、子供の泣き喚く声、馬の嘶き、何かが割る音、あと、俺の鼓動音。
「おうさま、危ないよ、逃げて!!」
さっき目の合った女の子が叫ぶ声だって、俺の耳に入ってきた。
彼女は馬の近くまで来て、プチプチ殺されていった護衛の誰より俺の傍に居た。しかも、暗殺者の居る方の側面に。巻き込み事故で殺されかねない位置である。
剣を鞘に仕舞って、俺は馬から降りて女の子と視線を合わせるために膝を付く。
「おうさま? 逃げなくていいの?」
「違うよ、君。俺はもうすぐ王じゃなくなる」
暗殺者の方をもう一度見ると、護衛は血まみれになっていて、暗殺者と殆ど刺し違えていた。凄い忠誠心だ。俺なら他人のために死ぬなんてゴメンだね。
暗殺者は、護衛の素晴らしき忠誠心によって足をやられていた。だけど手は自由だった。
彼は次の矢を番えた。俺に向けて、痛みに息も荒く、これから捕まると分かっているのに、逃げるよりも優先して俺なんかを狙っていた。
俺は両手を広げた。さあどうだい、これで狙い安かろう。暗殺者は怪訝に顔を歪めたが、任務通りに俺を殺そうとした。
そして――矢は放たれた。
「おうさまがおうさまじゃなくなったら、誰がおうさまになるの?」
「いい質問だ。君だけに内緒で教えてあげる」
次の王は――コーネリアス兄上だ!
スタンディングオベーション! 拍手喝采の嵐が脳内で鳴り響く。
コーネリアス兄上! アンタそんな謀略を巡らせる甲斐性があったなんて! 最高だコンチクショウ!
やるじゃねェか! 狙ってやったんなら、勿論後始末だってゴキゲンに出来るよな!? 第六王子なんかに付け入る隙なんか与えずに、完封勝利しちまえよ!
俺は暗殺者の矢に向かって、自分で言うのもなんだが、蕩けるような顔で微笑みかけた。
それは、俺にとっては天使の矢そのものだった。
俺と、死とを結びつけてくれるキューピットの矢だった。