第3話 戴冠式の後の話
「フレデリック」
「は、い」
諭すように肩を抑え込まれて、困惑を通り越してなんだか焦りさえ覚える。何か嫌な予感が……。
「お前の誕生日は、実のところ、昨日ではなく今日なのだ」
「……え?」
「だから、成人もしていないお前を廃嫡することなど、余には出来ぬ。分かるな?」
ば、馬鹿な、ちゃんと日付は確認したはず。一年の中で一番貴族を接待せねばならんクソ憂鬱な日を、この俺が間違える訳が――?
「ま、さか……!!」
勢いよく振り返り、傍に控える宰相に目を合わせる。実の所赤ん坊の俺の産婆も乳母も彼の妹が務めており――そして彼自身、俺を推す筆頭貴族でもあった。
「ええ、その通りですフレデリック殿下。特に話す必要も御座いませんでしたので、一度も言ったことは御座いませんが、実の所――貴方様がお生まれになられたのは、深夜零時の頃合でして……」
はあ……で、それがどうしたって?
「――何分、曖昧な時間帯でしたので……まあどちらでも構わないだろうと、決めかねていたのですが……。丁度昨日、国王陛下の判断によって、誕生日が決定されたのです」
……? ……は、はああああ!?
嘘だ! 絶対嘘だろ、なぁ、お前らグルで嘘ついてるだろ!!
子供を取り上げるのは産婆の仕事だ。父上さえもその場には入らないし入れない。そこで、いつ俺が生まれたのか、いつ俺が産声を上げたのかを知っているのは、亡き母上とその産婆だけ!
実際生まれたのが明け方だろうと深夜だろうと夕方だろうと! 厳密にいつ産まれたのかなんて、他の誰にも知りようもない!
つまり――口裏合わせが可能な訳である! 訳なのである!
いや、そんなんずるいやん!!
俺が混沌に叩き落とされている間に、神官長が王冠を載せた箱を持って、所定の位置から歩き出した。あっ、ぼく知ってゆ! これ戴冠式の手順でしょ! ここで王太子が恭しく玉座から降りて傅いて、神官長から戴冠されたら王様になるんでしょ!
がち、と音を立てて鎖が自己主張する。それでも腕に力を込めた。立てない、動かない。動けない。ああ、逃げられない!
「フレデリック様、お静かに。厳正な場ですよ」
ニコニコと笑う宰相は、しかし目だけは笑っていない。脅すような目で見つめるその先にはコーネリアス兄上がおり、その首筋には――まだ剣がある訳で。
「フレデリック様。どうかご英断を。既に、全ては決められたことで御座います」
「そんな、馬鹿なことが……! 子供のような、そ、そのような幼稚な口裏合わせなどで、王侯貴族たちが納得するはずが……」
ここでさり気なく足を持ち上げる。口論だけでなく物理的なエスケープも試みたが、手枷よりも多少ゆとりがあるだけの足枷が、がしゃりと鳴るだけだった。両手両足全部かよ! 厳重すぎだヴォケ!!
クソッ、どうしよう、どうすればいい? このままじゃ――このままじゃ俺の全部が奪われちまう!
冷や汗が頬を流れる。だが俺はまだ諦める気はなかった。この場にいる貴族達全員が、満場一致で俺を推している訳ではあるまい。腹の内ではコーネリアス兄上を推す者もいるはずだ。まさかこんな馬鹿げた、裏の透けて見える口裏合わせなんぞに全員が乗っているはずがない。
今しかない。今、議員を味方につければ、まだ判決を変えられる! だってこんなクソ幼稚な言い訳、分が悪いのは父上の方だ! そこが突破口なのだ……!
必死に考えを巡らせる俺へと、呆れたように嘆息した父上が、やれやれと片腕を上げたかと思うと、近衛兵が剣先をわざとコーネリアス兄上の頬に掠らせた。兄上はヒィと悲鳴を上げて俺を呼ぶ。
「フレデリックッ!! フレデリック頼む! 俺はお前に従う、何だってする、王位なんか捨ててやるし、何なら今度は俺が契約書を書こう! だ、だから、だから……」
プライドが痛く傷ついたのか、兄上はぐす、と鼻を鳴らして涙目だ。それでもゆっくりと頭を下げて、俺に懇願していた。
要らないんだなーー! そういう方面の覚悟は決めなくていいんだなー!!
しかし気づいちゃったんだが、俺が傀儡にしやすいとか、俺の方が優秀に見えたとか、兄上の人望が死ぬほどねぇとか、とにかく様々な思惑はあれど、全員一応は俺を王にする(強制)つもりな訳で、しかも俺の同意以外の全ての条件が整っている現状、兄上が生かされているのが奇跡な気がしてきた。
そりゃ震える声で命乞いもするよな、兄上が死んだら自動的に俺が第一王位後継者になるもんな、今すぐ第一王子斬首ショー始まってもおかしくない訳か、う、うう……。
でも――嫌だ。
絶対に、嫌なのだ。
我儘上等、こっちは十九年も生きたくもない王族人生を歩んできたのだ。
王になるってことはみんなの命を背負うってことだ。政策が失敗したら何千人、何万人が死ぬし、戦争が起こって負けたら、自分の首と引換に民を守るってことだ。
王様になるってことは、自分という"ただのアストラン・フレデリック"を殺すってことなのだ。自分なんて消して、合理的に、最も優れた判断を下し、民に仕えるということなのだ。
王族として生きるのでさえ嫌だった俺が、そんな王になるだって? そんなこと、絶対に――!
「……ハァ、フレデリックの決意は硬いようだ。近衛よ。コーネリアスの首を、」
「っ、お待ち下さい!!」
分かったよ受けるよ受けますよ受ければいいんでしょ!!
身を乗り出そうとして鎖に押し戻される。何なんだよもう、こんなちっぽけな男一人の為に人を殺すなよ。兄上だってなぁ、ミミズだってなぁ、オケラだって生きてるんだぞ、勿論俺だって生きてるんだぞ?
鬱になりそうな俺の同意なんて関係なく進んでいく戴冠式。神官長は歴史的な儀式によって決められたルートを歩み、ゆっくりと、しずしずと俺の前にまで進む。
俺は大きくため息を吐いて、全身から力を抜いて項垂れた。諦めたのを見て取ったか、父上が手ずから鍵を解錠し、俺の両手は自由になる。
「……父上、足は?」
「フレデリック、一時はどうなるものかと思ったぞ。では、戴冠を受け入れてくれるな?」
「いや、足は、」
「では、戴冠を受け入れてくれるな?」
「…………はい。私――アストラン・フレデリックは、大鷲の首、龍の鉤爪、そして始祖フォルネウス・エーラの名の元に……この国の王となることを、誓います」
コーネリアス兄上の首から剣が退けられると、彼は震え上がりながら俺の側に殆ど這うようにしてやって来た。当然である。場にいる者全員から死を望まれたのだから、唯一の味方に縋るのは至極当たり前の流れだ……。
所でその原理でいくと、俺は兄上だけが信頼できる人間ということになるのだろうか? ンなわけねぇけど。肉親三人殺せるサイコパスに全幅の信頼なんて置ける訳ねぇ――ってシンもそうか、あいつもそう言やぁサイコパスだったな……。
取り留めのない思考は、神官長が俺の前に現れた途端に打ち切られる。俺は昔に本で読んだ通りに立ち上がり、そっと傅いた。
どうも神官長への礼が、神への礼に繋がるらしいが。バッカらしい。人間が人間に頭下げてるだけだろ。
さあ、もう逃げ場はない。ここから神前での挨拶を俺が告げ、神官長が俺の頭に冠を載せるだけ。たったのそれだけで、俺は数百万の命を背負うことになる。
嗚呼、くそったれ。あと、もう少しだったのになぁ……。
「それではこれより――」
戴冠の儀を行う。
◆◆◆◆◆◆
玉座へと頬杖を突き、俺は欠伸をした。人が見ている前で、わざと大きく、だ。
しかし誰も咳払いはしなかったし、寧ろ労わるように執事長に恭しく紅茶を差し出された。
「…………。……遠路遥々、よく来たな。シン王子」
「拝謁の栄光を感謝致します。フレデリック王」
ニヤニヤと笑う男は、俺にウダウダウダウダとしょうも無さ乱れ打ちのご挨拶を丁寧にした後、当たり前のような顔をして立ち上がる。
このまま帰ろうというのだ。あたかも、自分は何も知りませんでしたよ、という顔をしたままで! あのチェシャ猫は!!
「〜〜〜ッ……!! テメェ! チクりやがったなッ!!?」
耐えきれずに、肘掛に拳をぶつけて立ち上がる。同時に、シャランと俺の手首に付けられた手錠が鳴った。
この鎖は、俺が逃亡する恐れのあるような客人が訪れた際に、俺を玉座に縛り付けるために用意されたものだ。
つまるところ国を挙げてのSMプレイだよクソッタレ!!
使用人たちが微笑ましそうな顔で近寄って、俺の手に怪我が無いかを過保護に調べ出す。執事長はその筆頭だ。そう、執事長。あの日俺の背後に付き従い、父上の書類プレゼントの場に居合わせた彼こそが――俺の後頭部に手刀を叩き込み、俺を昏倒させ、父上と宰相に悠長に『お誕生日は明日にしようね♡』作戦を考える時間を与えた下手人だったのだ。
そして目の前に居るクソッタレこそが、父上に俺が王太子を辞めたがっているとチクり、動揺の時間を縮め、策を練る心構えなんぞを与えやがったクソオブクソ野郎である。友達甲斐が全くないヤツである。クズである。裏切り者である!
「いやぁ、なんのことかな。僕にはよく分からない。
ねえ、王子じゃなくなったフレデリック?」
「ックソが! 絶ッッッ対ェ許さねぇ!! 覚えてろ、絶対に復讐してやる!!」
「ふふ、怖いなぁ。君の国、"とっても素敵な誰かさん"が生まれてからはずーっと豊かだし、戦争なんて起きたら、もうこの大陸では誰も勝てないくらいじゃない。
ああでも、負けたら僕の国の宗主国は君かぁ……。それもまあ、ねぇ? 悪くは、」
「悪いわ!! お前のこと殺すとか出来るわけねぇだろ、クソ悪友野郎が!!」
禍根の残りそうな原因は皆殺しにするのが基本だ。だから戦争なんて始まった暁には、王族なんぞ全員皆殺しにするしかあるまい。某島国生まれの俺には分かる。完全に、完膚なきまでに支配したければ王を生かしてはいけないのだ。
そしてその方式でいけば、俺は戦争をすればシンを殺さなければならなくなる。流石に友人を殺すほど人間を辞めた覚えはないのである。
何と言っても一番鬱いのは、上記の皆殺しルートは俺の身にも降りかかりかねない災厄だということ……くぅう、泣けてきたぜ! 最近は『王様辞めてぇ』と就寝前所か、昼間さえも毎日唱えている。
そんな哀れな俺を見て、シンはやっぱりニタニタと笑った。人の神経に障る笑い方だった。
「ふぅん。でも、そんな君が僕の首を斬るんだったら、やっぱりそう悪くはないなって。ずっとそう思ってたんだよ、僕は」