今は月のみ
生きてるよ。
「進め!敵を崩すのだ!」
陣幕の中でニヤリと笑みを浮かべた三毛軍総大将、三毛照光が叫ぶ。
勝利が目前に見えているのだ。神室家の砦はもう落ちかけ、火の手が各方位に周り、黒煙が絶えなく青空に登る。
崩壊は誰の目に見ても明らか。
「応ッ!!」
と、その声に呼応する三毛軍の将兵達、圧巻の総勢二万五千。
「弓を射掛けながら囲い込むように進め!敵は小勢だ!鎧袖一触にしてやれい!」
幾人の指揮官が、馬上で命令を出す。
三毛軍の動きは非常に速い。中間層の将兵達の質が非常に高く、軍の練度、展開速度、的確な前線での判断は全国でも屈指との評は伊達ではない。
あっと言う間に、大軍の形が変わる。各地で兵達が砦に張り付き始めた。
「あの不細工な砦ごと敵軍を殲滅せよ!!」
それに比べ、要であった西の砦が落ち、慌てて作った砦なのだろうか。西の砦に比べれば、遥かに小さく、継ぎ接ぎだらけでみすぼらしい。砦を最初に見た三毛の将兵に侮られ失笑されたほどである。
明らかに劣勢、敗色濃厚の中、三毛軍の圧力に耐えかねた神室軍は遂に退却を初めた。
否。退却、とはとてもではないが言えない。悲鳴を上げてみな武器をすて散り散りに逃げていく、これが天下の将軍家である神室家の兵達なのだろうか。三毛家の将兵が思わず笑ってしまうほど惨め。
「…酷いなあれは。戦になっておらん」
「そうですな。しかし…落ち目の家とはいえ…流石にこれはどうでしょう…」
総大将、三毛照光の隣に立っている白い髭を蓄えた男。ゆったりとした袈裟を着込み、剃り上げられた頭を撫でている。静かに唸り、何かに引っかかったような難しい顔をしている。
「ふむ。我が軍の軍師である成田道法がそう言うならば、もう少し警戒をしなければならぬな」
「…茶化すな、照光よ。ワシの杞憂かもしれんが崩れたあやつらを追い討つのは……」
「「父上!!」」
陣幕の中に、二人の若い男が息を切らして入ってくる。照光の前に膝を着いたと思ったら、半ば怒声近い声で。
「なぜ、敵を追い討たぬのです!今ならば、神室勢を一気に殲滅できるはずです!」
「兄上のおっしゃる通りでございます!父上!」
息を荒げる二人に対し、落ち着いた声で照光は言う。
「追撃はせぬ」
「な、なぜでございますか!またもや、成田殿のご提案でございますか!」
前線を預かる照光の息子たち。彼らは何度も敵を崩しては、軍師である成田道法に追撃の制止を受けている。
その軋轢か、成田を見る目が険しい。ため息を吐き、二人の視線をうける成田道法は、またもや頭を撫でる。
「だからなんだと言うのだ。決断したのは俺だ。愚息共、よもや文句があるわけではあるまいな」
「……い、え。ございません。しかし、神室勢は…」
「くどいわ。下がれ」
「……はっ」
一礼し陣幕の外へ戻っていく二人。遠くに見える砦が倒壊し、散り散りに逃げた神室勢は遠くに消えていく。
それを横目に見つつ、杞憂か…、とつぶやく成田に照光は申し訳なさそうな表情になる。
「すまぬな。道法よ。我が愚息共が迷惑をかけた」
「いえ、致し方ないことです。彼らが実際に敵を崩し勝利を作り出しているのですから。我が言葉も必ず当たる訳ではございません。そんな私の制止は将兵の死を間近に見る彼らにとって、敵を崩すまでにに死んだもの達の冒涜にもうつるのでしょう」
「ふむ、そのうち分かる日もこよう。しかし、それにしてもだ…今日の奴らはやけに落ち着きがない」
「天下の神室家を滅しにきたのです。落ち着けと言う方が酷かもしれません」
「情けぬことよ。このような時こそ、鷹揚としてねばならぬと言うのに。本当に神室勢があの程度の敵ならば、何度でも容易く崩すことができように。まぁ何はともあれだ」
砦が完全に消失し、神室勢の姿はもはやどこにもいない。
勝鬨だ。
「二度目の勝利を祝おうではないか。このままゆけば、あと10日で都に到着するであろう」
敵地で、行軍速度を維持したまま進むことなど不可能だ。なぜなら敵の妨害、いつ襲われるか分からない恐怖。
あげたらキリがないほど、障害となる要因がある。
本来ならば10日で到着するはずないのだ。しかし、現在本来の予定より早く進めている。
その事実が、神室勢の軟弱さが、少しずつ三毛軍の中で神室勢に対しての、侮り、を増殖していく。
刷り込まれていくように、兵達の力を抜き、将達の思考力を奪い、三毛照光の判断力を奪っていく。
いまだに違和感を感じているのは、軍師である成田道法と。
「決して、油断するな弟よ。神室勢は…強いぞ」
「はい、兄上。わかっております」
三毛照光の息子達。では、なぜ先ほどは追撃を提案したのか。
「崩したのではない、わざと崩れたように見せかけた敵将を討たねばならなかった」
「あのような敵将は初めてでございます。手のひらで踊らされていたかのような感覚を味わいました」
二人は優秀な前線指揮官である。だからこそ、分かる。神室勢の死体が少ないこと、三毛勢の負傷者が多いこと。
「だからこそ、たとえ罠だとしても殺さねばならなかった。あの将を。あれは…大きな障害となる」
今思えば、見事な退却であった。あれほど、見苦しく、尚且つ敵に損害を与えながら退けるものだろうか。
「これほどの負傷者を出したのに、見事に兵たちに油断を埋め込んだ」
その恐ろしさは、仮にその退却を自分がやると仮定した場合に分かる。
数はたかだか、二千もいない。大して相手は2万五千の大群。砦とも呼べないところにこもり、迅速に退けるか?
……無理だ、不可能である。曲芸のような芸当だ。
まず、恐怖で兵が言うことを聞かない。仮に完全に命令に従ったとしても、退却するタイミングは刹那。逃したら終わりだ。敵に着実に負傷させる攻撃も、前線で戦った者にしか理解できない、相当な脅威である。
そして何より恐ろしいのは不格好に退いて見せたことだ。
そう、見せた。魅せられた。あれにやられた。用意してきた軍の緊張感を奪い去った。
まるで、背中はガラ空きだと言わんばかりに。追撃してこいとばかりに。
「だからこそ行くべきであった」
兵の損傷を恐れた軍師、成田道法は制止を命令した。
しかし、じかに采配をふるいあった前線指揮官の考えが違う。
二人は損傷を恐れず確実に殺すべきであると判断した。いくら、曲芸じみた退却とはいえ軍が崩れた状態であることのは変わりない。あの瞬間ならば、多少は損害があれど討ち取れたかもしれないのだ。
「これより、我らの部隊の働きがこの戦を左右するやもしれん。決して敵を侮るなと、油断するなと伝えろ」
「はっ!」
敵が見えなくなり、鎧を脱ぐ者達もいる中、兜の紐を硬く結び直す二人。
「…こないか。あからさま過ぎたかな…?」
日が落ちたころ、暗い山の上に座る直家が呟く。
「撤収だ。柵とかも持って行けよ」
カチャカチャと音を鳴らし、起き上がる多数の兵達が月に照らされる。
「まだちょっとは警戒されてるのか?結構肝が冷えたんだけどなぁ」
懐から書籍を出し立ち読みしながら歩いていく直家。
「うーん、まぁ次だね」
パタンと本を閉じ、暗闇に消えていく直家率いる軍勢。
その本来の姿を知る者は、今は月のみ。
正直に言います。ちょっと書き方忘れました…。