智の海
お久しぶりです。少しだけお時間できたので書きました。
「と、勢いづくのも良いが今は無理じゃ」
両手に大量の書籍を抱え歩く中野の爺。
「ほれ。これは貴様ら用だ」
ドサリと積まれた書籍類は古い紙独特の擦れた匂いを勢いよく出しながら、直家と猿吉の前に現れた。
「…なんだこれは?」
猿吉の声が静かに響く。直家は冷や汗をかき、そして諦めたような顔して本を一冊手にとりパラパラと捲り出した。
「見たらわかるじゃろ。神室家が厳選した智の源泉。学者どもなら喉から手が出るほど欲しい、軍学書、歴史書、礼儀の指南書、隣国の清の兵法書もある」
「読めと?この量を!」
猿吉の苛立ちは、そんな時間はねぇすぐに戦の準備をしなければという気持ちがあるから。しかし、中野は猿吉と直家ですら圧倒する迫力で頷く。
「拒否権はない。いくら力が強かろうが、知識、教養がなければ最後まで人はついてこん。歴史を知らねば、古臭い戦術に遅れをとるかもしれん。より新しい戦術もこれからは身につけなければ、勝ち続けることなど不可能!」
筋は通っている。しかし、猿吉の苛立ちはそこじゃない。
「それは今やらなきゃダメなのか?」
戦に大勝利した。それによる盛況は具合は神室家にとってかつてないほどである。戦は勢い、その哲学がある猿吉にとって今が黄金より価値のある時間に感じているからこそのもの。
「あぁ、今だ。今しかない」
言い切る中野。百戦錬磨は伊達ではない。例え、若い者に勢いに負けていても、天下の神室家で培った見識の広さは国内有数だろう。
「今なら、誰にも手を出されず地固めできる。我らが振り上げた拳をどこに下ろすか皆、警戒し静観する。今しかあるまい。力を蓄える好機は。我々はずっとこの時を待っていた。これは停滞ではないぞ。飛躍するための溜めじゃ」
「……」
眉に皺をよせる猿吉。それでも中野の言葉を咀嚼し、彼の中で天秤にかける。どちらが得か。
「猿吉…これ凄いぞ。今まで見たどの書籍より遥かに質がいい」
「あ?…そりぁそうだろ」
落ちぶれても元最強の家だ、国中に宝が集まっているに決まっている。
「それに少し目を通してみろ。その価値が、わしの話が、理解できないような凡愚ではあるまい」
そういって、直家達から離れる中野。
眉の皺は消えないが、手に一冊の本をとる。
「けっ、価値は認めるがよ。今、この瞬間を逃すほ…ど…」
文句はすぐに、極度の集中に搔き消える。
本の海に、知識の結晶に触れる。それは今まで見てきた中でも飛び抜けて、深く、重く、価値がある。
今まで経験してきて得てきた、勘や言語化できなかった戦術。獣ように生きてきた彼らにとってその書物達は、全てを忘れ去るくらいに、面白い。
中野はある意味、二人より二人を理解していたのだろう。全て独学で身につけた戦術、戦略。なんと荒削りなんだろう。あそこに、確かな知識がつけばどうなる?それは中野自身わからないが、確実なのは彼らの軍法や戦術に革新的な変化が起きることだ。
「そのくらい成長してもらわなければ困る。これから数万では効かぬ軍を動かすかもしれんのだから」
中野の元に血相を変えて走ってくる、武士が一人。
「大変です!何者かに、当家の禁書が盗まれました!」
「あぁ、それわし」
「はぁ!?」
「まぁ、蔵に寝かせて置くのは勿体無いじゃろ。智は生かしてこそだ」
活かせる人がようやく現れたのだから。神室家は全てを再起に賭ける。それは金だけではない。蓄えてもの全て、智すら神室家の強力無比な武器の一つ。
「棍棒は、鬼に預けねばな」
二人が智の海に沈んでいる頃、神室家は実際のところかつてないほど混乱していた。
同然だろう。突如、領土が倍以上になり小領主がひっきりなしに訪ねてくる。
圧倒的に人が足りない。ノブがいつの間にか内政官のリーダーとして過労死寸前まで働かされている今でも足りていない。
「まぁこんな時に戦とか無理よね」
やつれた顔の京。走り回るノブが置いていく凄まじい数の書類の数に深い溜息。
「なんか知らないけど中野は元気だし。はぁ…てか、あんた達も働きなさいよ」
京の前にいるのは直家と猿吉に邪魔だから京の護衛でもしてろと追い出された忍びの二人。
「一応仕事中なんですがね」
「私の命を守るのが仕事なら、この書類からも守りなさい。死ぬわよ本当に」
「えー、と言うかそれ俺たちやっちゃダメなんじゃ」
「ハンコ押すだけよ。従いますからこれからよろしくお願いします、がほとんどだもの」
有無を言わせぬ目に、歴戦の忍者もなぜか黙る。これでも、一応神室家の将軍だ。
京の才能の片鱗が見えた二人は文句を言いながらも作業に参加したのであった。
今この瞬間の時間は金に等しい。その猿吉の認識は間違っていなかった。
しかし、この場合。違う意味で。
戦に大勝し、勢いづく神室家にとってこの2ヶ月と言う空白の期間はまさに加速度的に進化する最高の時間と表現できる。
まず、人が集まり出した。ただのボンクラではない、優秀な人材たち。神室家に見切りをつけた者達も次々に戻ってくる。
人材不足は大きく解消された。組織は格段に強化され、単純兵力も大幅に増える。合計3万の兵力は中央地方で大きな力を持つものだ。
そして、何よりこの時間を黄金以上にした者達がいる。直家と猿吉の二人だ。
では、なぜそう言えるのか?
その証明がすぐになされるから。
「ふん、他愛もないわ。一時は勢いづいたようだが所詮は落ち目の将軍家」
三毛家の旗がたなびく中、腕を組み笑う三毛家の将。神室家の最終防衛拠点の西砦が落ちた。
「それにしてもあまりに呆気なさすぎる。これが世に聞こえし天下の砦か?」
確かに立派だ。最初に見たときは死闘を覚悟したが一刻もせずに落ちる。これは神室家の凋落以外の何者でもないと笑う将の気持ちになるのも仕方がないことだ。
「すぐに軍を纏めい!進軍する!このような家に2ヶ月も静観していた我々が愚かであった!一気に都を攻め取る!我が三毛家が天下に覇を唱える一戦よ!」
かの将の名は三毛照光。強大な三毛家の当主の弟であり、戦の巧さに定評のある男だ。
そんな三毛家を見る人影がニヤリと笑い森に消える。
「いらっしゃい。ようこそ地獄へ」
なんか、作風変わりましたかね?久しぶり書くから違和感しかない。