風雲急を告げる
野原家と松戸家は滅びた。両家の戦後の処理を含めて6日という驚異の短さで戦を終わらせた事実はその周辺の国々を震撼させるには充分過ぎたといえよう。
神室家の完全復活なんて噂が流れ、大門京が活気つくのも当然の流れだ。いつ滅びるかと日和見を決めていた周辺の小豪族は神室家へ競うように恭順の意を示す。神室家が衰退してからそう時は立っていない、今も覚えているのだ、かつて全国を支配下に置いた覇王の家の力を。
その流れは更に加速して行く。足軽や、各地の浪人が神室家の軍列に加わろうと声を上げ続々と集まっていく。元は、最高峰の力と権威とカリスマがあった家だ。今それが急速に揃いつつある。
鮮烈にして苛烈な姫将軍の登場と、それを祝福するような先の圧勝劇。周辺の国の反応は劇的だ。
北の海原家はその脅威に次は我かと強い警戒を示し、今まで手に入れた土地を捨てて堅固な守りができる城がある地域まで下がる。そのほか小領主も露骨に献上品などを送ってきている。少し前まで虎視眈々と領土を狙っていたと言うのにだ。
その中でも、特に二つの強大な家の反応は過剰と言ってもいい。大島家と三毛家だ。
大島家は侮りを完全になくした。その準備の周到さはともすれば怯えとも取れるようなもの、それは三毛家も同じ。覇を競い合っていた両家の敵は互いに両者しかなく、そのため当然領地や国力が両家に比べて遥かに劣る神室家は苦戦の対象ではなく、それこそ侮りの対象であった。
だが、その認識は大きく変化する。歩くだけで皆がひれ伏す荒野の王である猛獣の如き両家は、小さきソレに足を止め身を屈めて喉を鳴らし牙を研ぎ身体を強張らせ注視する。
それはまるで、初めて見る驚異を見たように、小さきソレに見えたのだろう。
化け物の影を。
太陽を自称する姫将軍の強すぎる光りのその近くに、その影は潜んでいる。
下手すれば、その喉を食い破られるかもしれないと睨む。その強大な家がこういった反応を示したのだ。
それを見た周りの弱小の家など大混乱だろう、その模様はさながら狂ったようと書いても言い過ぎではあるまい。
「あの両家がそれほど狼狽えるならば、我々は…」
と、なるのは必然。たったひと月で全ての力関係が大きく変化した。その対応に追われる、いやその対応が仕切れていない。どこにつくべきか、どうすれば生き残れるのか。それは誰にもわからない。
中央部の停滞した情勢は大きく、そしてかつて無いほど早く動き始める。それは当初の大方の予想ど通り神室家が原因。しかし誰も予想出来なかったのは、その変化は神室家の滅びではなく、強き神室家の復活として。
風雲急を告げる。止まることは許されない。皆生き残るために全力で動き始める。そうしなければ生き残ることができない。それは両家の反応を見て全ての者が悟ったのであった。いや悟らざるおえないだろう、一週間も立つことなく滅んだ両家がその事実を嫌という程突きつけてくる。
「って、状況を作りましたよ!めっさ警戒されてますよ!どうです!?」
神室家の屋敷の穏やかな昼下がり。忙しくバタバタ動きまわりとかつて無いほど働く役人達。彼らの統率をしていた直家の前に現れたのは以前会った忍びだ。
「……色々とツッコミが追いつかないけど…。どうしてここにいるの?」
直家としては混乱しかない。心中
えっ、何この忍び?死にたいのかな?なんかいるからバンバン殺気をぶつけてるんだけど全然怯まないんだけど。いや、逆に怖いんだけど。気持ち悪い方で…。
などと思っている。
「中々えげつない事考えてる顔してますね。いやですね、やめてきたんですよ前働いてた所。あ、大島家っすけど。安心してください。ちゃんと最後の仕事は果たしてきてますよ!その結果がこれです!化け物現れたから気をつけないとやられるよ!って沢山言って最後喧嘩売ってでてきましたよ!」
いや、そのやってやったぜみたいなこと言われても…。
「あ、そう。ご苦労様。報告ありがとね。もういいよ、次の士官先探してきな」
「嫌だなぁ、わかってるくせに旦那ぁ」
「……」
「…槍を無言でこちらに向けないでくださいよ…」
両手を上げて恭順の姿勢を見せる男。軽薄とも取れるその態度は忍びとは思えないほど。しかし、その足運びは音は感じ無くその存在を目の前で視認していなければ見失ってしまいそうな気がするほど気配が希薄だ。
「俺は役に立ちますぜ。それに旦那に惚れたんですよ。断られてもついていきますぜ」
「忍びらしくない奴だな…」
警戒しなければならない。こう言い懐柔して懐に飛び込み寝首をかかれるかもしれない。忍びは信用してはいけない。ただ使う。それが鉄則だ。そうなのだが。
「…懐かしい」
そう思うのは何故か。このくだらない会話に安心感を覚えるのはどうしてか。昔、同じような会話をしていたような気がする。それもすごく大事な人。気が、する。忘れてはいけない、そんな気が。
「ダメか」
しかし、何も思い出せない。昔などというが自分の記憶が鮮明なのはほんの数ヶ月前までだ。頭がズキズキと痛み、やけに肩が寂しく感じる為にあまり考えないようにする。
「やっぱりダメですかい?」
「……好きにしろ。邪魔すれば殺すだけだ」
「流石!旦那は太っ腹!」
「俺はもう痩せた!」
「痛っ!?」
咄嗟に槍が忍びの頭を殴打する、蹲る忍びの苦悶の声。
「む、昔…太ってたんですか?」
「……わからん」
小さく、この人に仕えるのは早まったかなとブツブツいう忍びを尻目に己の行動に驚く。
「俺は…何を?」
ズキズキと痛み出す頭は、痛みに強い直家をして顔を顰めるほど。
「おいおい、何ボーっとしてんだ。やること山ほどあるんだよ。行くぞ」
屋敷の広い廊下を偉そうに歩く猿吉。身長のコンプレックスからか、やけに高い烏帽子をかぶっている。これはあれだ、禿げている人の頭部を見てはいけない理論と同じ。突っ込んでも、じっくり見てもいけない。なんともめんどくさい。
「行くってどこに…。こっちで今手一杯なんだ。他の手伝いはできないぞ」
「そんなのノブにやらしとけ。俺の仕事は全部ノブに投げたぞ」
「今頃泣いてない?」
「知るか。商人やってたんだ。そのくらいの雑事こなしてくれねぇと困るだろ。それに、重要な話だテメェも必要ってなりゃノブも喜んでやるだろ。いややるな。俺ならやる。ってことでテメェら!直家借りてくぞ!後はノブの野郎に聞け!」
屋敷に響く大きな声の猿吉。役人達はチラリと一瞥して頷いた。彼らには手を止めている余裕などない。そして、遠くでその声が聞こえたのだろう。ノブの悲鳴らしき奇声も聞こえる。
この声、知っている。キャパを大幅に超えた時に人間が出す音。懐かしいという感情とともにまた頭が痛くなる。この状態は辛い。話を変えよう。変えようっていうか、一番初めに聞くべきだろう。
「猿吉、その隣にいる男誰?」
「あ?なんか俺様に仕えたいって言う忍びだ。先の戦で俺と神室家の名を大きく広めてくれたからな。有能なら使う。無能なら適用なところで切り捨てる。それだけだ。なら使っとくだろ」
「…それでいいの?」
「いいからついてきてんだろ。ウルセェな。テメェも一人連れてんじゃあねぇか。ゴチャゴチャ言うな。それにこれからする重要な話ってのもこいつからの情報だ」
「あ、そうだ。その話ってなんなの?」
「決まってんだろ。俺とお前が揃って話するなんて一個しかねぇよ」
ニヤリと笑い、妖気が渦巻き始める。猿吉がここまで昂ぶるのはたしかに決まってる。決まりきっている。
それに自分もニヤリとつられて笑ってしまうのは、悪癖だなと痛む頭の片隅で思いながら。
「戦か」
「戦だ」
風雲急を告げる。その表現すら、もはや遅い。雷光が如き速度で走り抜け、変化する情勢はまた一つ大きく変わろうとしていた。翻弄されるか乗りこなすか。どこまで加速できるかのチキンレースの模様すら呈していく。
「さぁ、俺らの時代だ。開くぞ」
「付いていくので精一杯だよ、全く」
その状況を作り出した本人達も、チリチリと少しずつ身を焦がし始める。それに比例するように、眠っている燻る焔は覚醒の気配を少しずつ見せ始めるが……まだまだ遠く、弱い。