黒い鬼人化
遅れてすみません…。
「…えっ…待って…」
な、何が起きているの?と、混乱する京。それもそうだろう。つい先ほどまで、唾棄すべき臆病者と思っていた彼らが劣勢の軍の先頭に立ったのだ。彼女の中の認識ではありえない光景。
「京さんはね、多分彼らのことを誤解してますよ」
「……ノブ」
「って言っても、俺も二人のことは何にもわかっていませんが。でもね、ここで無様に逃げるだけの人だったら最初から俺もあなたもここにはいませんよ」
「……」
「ま、見てみましょう。人の本性っていうのは戦さ場のような極限の場所でこそ現れるものですからね」
まるで、戦さ場以外の場所では人の本性はわからないと言いたげだ。
「でも……そうかもね。何も分からなかったわ」
頼もしそうな人が真っ先に逃げた。弱そうな人が立ち向かった。戦さ場に来て、少し。だが、多分一生消えない記憶がたくさん刻まれた。驚きと悲しみと、恐怖。
「では、行きましょう。それを見るためにも彼らの近くにいないと」
「フフッ…そうね。行きましょ」
全く知らないことだらけだ。戦さ場がこれほど恐ろしいものだとは、そしてそんな中でまさか自分が槍を振るい戦えたとは。逃げたかった、それでも立ち向かえた。それが、自分自身も知らなかった本性なのだとしたら…それは誇らしいこと。
しかし、そんな自分もついぞ先頭に立つなど思いつきもしなかった。弱い、小娘でも神室家の人間だ。先頭に立つ人材としてけっして不相応ではない。
でも、立てなかった。何故か?それは簡単だ。耐えられないから、重圧に殺意の篭った視線に晒されて、狙われて、味方の期待を背負う。そのような重圧に耐えられないから。
常人では不可能、神室家の姫である京でも不可能。先頭に立つ事を許された武士や大将でも、これほど見事にできるものは何人いるか。彼らはその境地に立っている。
「彼らは…」
何者なのか。戦さ場に立ち、初めてその凄まじさに驚嘆する。
「……俺は人を見る目には自信がありましてね。一目見たときに確信しましたよ。初めてです……」
ブルっと震え、口角をあげるノブは狂気的な目で二人を見る。それは、多分戦さ場に現れたノブの本性の一端。
「あんな—化け物ッ!」
「な、何故急に勢いがッ‼︎」
刎ねられた首が宙に舞う。血飛沫は至る所で上がっていた。猿吉と直家が強引に進ませた軍は脅されて進んだにもかかわらず神室側の足軽に熱が帯びて行き、さらに加熱。
「進めッ進めッ進めッ‼︎敵が崩れたァッ‼︎行くぞテメェらァ‼︎」
その原因は狂ったように叫ぶ猿吉の姿。そしてついに走り出し先頭に踊り出す。そのせいか軍全体が猿吉に背中を押されたように前に出る。
「……結局猿吉が先頭走っているじゃないか」
直家が先頭のときはジリジリと前に進んでいたが、猿吉が前に出た瞬間楔形の陣のように大きく前に突出する。その勢いは逃げ出していた新兵達の弱った心を熱く焚きつけ、未熟な足軽が前へ前へ進む強兵に様変わりさせた。
「うっわぁぁ!」
「っと言っても、練度自体は敵の方が上だ。こうなっても反撃してくる。先頭は猿吉に任せて俺は劣勢のところでも助太刀するかね」
猿吉がああなった以上、もはや勝利は揺るがない。記憶はなくても、感覚がそう伝えてくる。この戦場にあれを止めることができるものはいない。
「被害は少しでも少ない方がいいしな」
槍を持ち、軽く振り回しながら敵を蹴散らして行く。そんな直家の存在は劣勢に陥った大島家の僅かな勝機すら奪い、ほのかに残っていた戦意を削って行く。
猿吉は最強の矛。誰も止める事はできない。直家は堅牢な壁。何人たりも壊すことはできない。
大島家の人間がそう認識し始めるまでそう長い時間はかかりはしない。
「……フンッ…少しはやるな」
「…大将殿ですか。ご無事で何よりです。これよりは我らにお任せください」
直家が進んだ先で多数足軽の死体に囲まれていたご老体。中野善次が折れかけの刀を持ち、酷く息が切れ、味方の死体も多く激戦を制したのだろう。
「なめるな若造が。まだまだ、動けるわッ!貴様ッもしやこの戦で我が軍を乗っ取るつもりではあるまいな!」
もはや少ない妖力をかき集め、直家を睨みつける中野。ほんの僅かにだが、鬼人化の気配も感じる。
なるほど、神室家に忠誠を誓う老将からすれば直家と猿吉は突如あら現れた救世主と素直に喜ぶこともできないのか。力を持つものはそれだけで警戒に値する。その力をどこに向けるのか、心配にならないはずがない。
ましてや、ここは大門京へ至る最期の砦。間違っても奪われるわけにはいかない。
「純粋に神室家のためにと思って働いているんですけどね」
「……フン…本心は言わぬか。しかし、やるならとっくにそれを成せるだけの力を持っている。なんのためにここにいるかわからないが…変な気を起こすなよ?その時はワシの命を持って必ず貴様を殺す」
強い決意が伺える瞳、冷や汗が頬を伝う老将。こういう存在が、死にかけの神室家をすんでのところで持たせているのだろう。神室家自体はこの老将を捨て駒扱いだが。
「「「オオオオオオオオオッ‼︎」」」
「わかってますよ。…では俺は行きます。戦自体はまだ終わっていませんから」
「…フン。もうおわりだ。貴様らが出てきた瞬間からもはや流れはこちらにある。老将とはいえ勝利の風が吹いているくらいはわかるからな」
「……いえ、まだですよ」
「…何?」
勝利の風。たしかに吹いているだろう。しかし、一つ見逃している。追い詰められた敵の、息を殺しながら忍びよる影の存在が。
「……奇襲か」
「狙いは御大将でしょうね」
「愚かな…もはやワシの首を取ったところで意味はないというのに」
「……大将の首を取られたら戦は終わりますよ」
「終わらせないだろう?貴様らが。舐めるな、若造。その程度はわかるわ」
…まぁそうだ。褒美などいくらでも敵に勝てば略奪し放題なのだから、誤魔化し誤魔化し軍は維持できる。少なくともこの一戦は余裕だ。
「…」
砦の中に侵入し少数で行動していたからか、ここまで見つからなかったのだろう。物陰から姿を現わす。
「……大島家の手練れか…厄介な」
総勢で五人。立ち振る舞いでその実力が高い事がわかる。一人一人が、手負いの中野では太刀打ちできない実力者。
いや……。
「プハッ…ったく、息がつまるぜ。なんで俺様がこんな忍びの真似事などせにゃならんのだ」
「…御大将であられる、勝政様率いる軍が敗北しそうだからです」
「だってよ、こんなん想像つかねぇだろ。裏切り勢力すら作ったってのに、よくわからない間に劣勢だぜ?なら、あらかじめ計画していた大将暗殺でもしないと勝てねぇよ」
一人、別格な男がいる。槍を担ぐ活発そうな容姿の若い武者。
「…大島家の勝政…フン、本人が登場か。そうまでに、追い詰められたわけか」
「そうだ、中野のジジイ。ったく、とんでもねぇ隠し玉用意しやがってよ。綺麗に逆転されたわ。準備に結構時間かかったってのに…パーだぜ」
「……小僧、あの男は大島家でも3本の指に入る豪傑だ。死にたくなければ早々に逃げろ」
「…いいのか?この軍を乗っ取るかもしれないのに」
「それでも、大島家にこの砦を奪われるよりはましだ。そう考えたら、俺が死んだ方が勝てる確率が高い」
そんな会話を聞いていたのか勝政がニヤリと口角をあげ。
「逃がさねぇよ。誰もな、中野のジジイもそこのデカブツも後ろの足軽どもも。皆殺しだ。いけ、テメェら」
武器を構え走ってくる、四人の手練れたち。
「何をしておる!死にたいのかッ!」
動きのない直家の前に立ち、刀を構える中野。その身体に敵の武器が届く、次の瞬間。
「なッ⁉︎貴様ッ!」
「死にたくないよ。でも、ここに俺を殺せる人っているの?」
血飛沫が四人の体から吹き出し、倒れる。瞬殺。久しぶりだ、この万能感。この、自信に満ち溢れる感覚は、力が溢れてくる感覚はなんなのか。記憶はなくても体は呼吸するように覚えている。いや、思い出した。
その、原因の人物は別格の妖気を発する彼。強者の闘気が直家を少し目覚めさせたのだ。
「鬼人化かい…神室家のソレは強力だって聞くしなぁ…おもしれぇ」
そう呟いた彼にも、黒い妖気が渦巻き始める。
「だが、教えてやるよ。その秘奥義はもはや貴様らだけのものじゃないってことをなッ!」
「黒い…鬼人化…?」
「アアッ!大島家が編み出した鬼人化だッ!俺の名は大島ァ!勝政ァ!貴様を殺す男ダァ!」
黒い妖気に包まれ、身体から妖力が暴れ出すように放出し続ける。直家の知る鬼人化とは違い、酷く荒々しい。肌を撫でる濃密な殺気と暴力的な妖気は不安定ながらも脅威。
「直家だ。ただの直家。貴様を殺す男だ」
直家といえば久しぶりの鬼人化。どうも、楽勝とはいかなそうだ。しかし、どうも変にムキになっていることを自覚する。
この鬼人化で、負けるわけにはいかない。これを託してくれた……ん?
自分は何を言っているのか…。
少し混乱する頭とは裏腹に身体を巡る赤き妖力は荒ぶる。奥にしまわれた、多量の妖力が溢れ出す。槍を握る手が、身体に力が入って行く。
静かに、しかし洗練され研ぎ澄まされた紅き妖気が直家の力をさらに増幅させる。
「……なっ…貴様は…何者だ…?」
中野の声はもはや二人には届かない。睨み合う二人は、それでも少しだけ口角を上げて。
「行くぜェェッ‼︎」
「来い」
槍と槍が、ぶつかる。