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美学


「ありったけの弓矢を放てぇぃッ!」


「南蛮筒を持っているものは下がれ!貴様らの命より貴重なものだッ!敵に奪われれば命はないと思えッ!」


「撃て撃て撃てェェッ‼︎止まるな!敵の阿呆面を射抜きまくるのじゃッ!」


轟音、鋭い空を切る音、怒声、その全てが圧倒的な数と大きさにより、まるで地が揺れていると錯覚するほどの情報量。全てが無視できない、死を運ぶ情報だ。濃密な情報にさらされる新兵は、それに酔い命を刈り取られるか、パニックになる。


新兵の多い神室家の今回の軍は戦が始まったと同時に半ば混乱状態に陥った。指示に遅れるもの、腰が抜けるもの、数多いる初陣の若者達。その動きについていけず惚ける者の中の一人に京はいた。槍を持ち、ガタガタと縮こまり震え、それでも圧力に負けて逃げ出す他の新兵達とは違いその場には踏みとどまってはいた。


「怯むなぁ!進めぇぃ!近づけば飛び道具は使えんッ!柵を越え、乱戦に持ち込むのだッ!」


そんな混乱状態の神室家の軍に、大島家は激しい攻勢に出た。


「ぐっあっ!」


「畜生ッ!前に…進ガッ!」


「進めねぇぞ…これ」


しかし、戦力の半分以上が混乱状態になった神室軍でもなんの支障が無いほど砦は堅く堅牢だ。未だに、砦に続く道に手惑い、砦の門すら叩いてはいないのだから。


狭い一本道。そこでひしめき合う大島家の足軽達。前に進もうにも上手く進めない。急な上り坂に、両端に切り立った崖、そこから雨のように降る弓矢と妖術。弓矢を防ぐ竹で作った盾は早々にハリネズミのようになり、妖術に身体が弾け飛ぶ。


血溜まりが、飛び散った肉片が坂を転げ落ち後続の兵の足枷にもなる。血に濡れ、塗れ、それでも敵は前に進む。爛々と輝く敵意と殺意に満ちた瞳は、どこまでも砦を睨む。


「……なんだよ、大島の連中、全然前に進めていねぇじゃねぇか」


「…よ、よく見たらこっちはほとんどやられていない!な、なんだよ緊張してたのがバカみてぇじゃねぇか!」


「はっ!あいつらが攻撃できないところから一方的に攻撃するだけ!やってやるぜ!」


混乱状態、パニック状態の新兵達がほぼ一方的なワンサイドゲームの模様をみて死の恐怖が薄れたのだろう。ある程度、我を取り戻し弓矢を取り戦線に復帰していく。軍としての混乱状態も徐々に終息していき、少し経つと完全に落ち着いた。


「……流石は神室家の砦。このような脆弱な軍ですら勝利に導くものだったなんて」


震えは止まらない。しかし、ある程度冷静に戦場を俯瞰できるくらいには落ち着いた。


「これが戦…なによ…たいした事無いじゃ無い」


少なくとも、今回は楽勝だ。あれだけの鉄壁の守りを見せつけられていたら敵の心が折れる。心が折れたら、戦意が無くなる。それは直接的に士気に直結し、そうなれば戦闘続行は困難。


もうすぐ、もうすぐ終わる。終われば、ここに敵が来ることは無い。自分に出番など無い。


「……」


柵は何重にもある。扉が開かれても暫くは大丈夫。自分は戦わない。そんな位置にいるが…敵の目が見える。血飛沫が、血の川が、赤き敵軍が見えるのだ。


「……ッ」


反射的に目をそらした。敵の怨嗟が篭った瞳に、声に、体が竦む。


初めてみた。戦、というものを。遠目で見ているだけだというのに、今なら少しだけわかる。


「…地獄…ね。確かにその通りかもしれないわ…でも」


槍を持つ手の震えが止まる。


「それでも、そんな中で自分を貫く者。決して曲がらない者。そうでなくては将など務まらないし、人はついてこない。それだけはわかる」


あの強いだけの男たちを思い出し、ギリっと歯軋りする。


「ああはならない。女々しい卑怯者には、決して」


背筋を伸ばし、恐怖を押し殺し、毅然と構える。初陣の少女としては相当の胆力。将軍家の者としての矜持もある。ああにはならないと、彼らのありようは将軍家の教えとは酷く乖離している。


忠誠はなく、情けもない。天の道も知らぬ彼らにあるのは命への執着のみ。それは人ではなく、獣だ。知性、気品、美しさの無い獣。


「そんなものに価値があるものか…!」


将軍家の美学。それは、京にとっての価値判断の基準だ。刷り込まれた考え方は、そう簡単に落ちるものでは無い。


しかしそれは、根本的にある一点が欠落している。


常勝の将軍家だからこその美学。どう勝利するかではなく、どのように美しく勝つかという事にシフトしている考え方。


勝利が前提の美学は、前提が崩れた瞬間から全て。


「ぎゃぁぁぁッ!」


「クッ!なんだ⁉︎何が起きた!」


「ッ!ま、まずいぞッ!()()()()()


「門の周辺にいた部隊だぞッ!?門がッ…!ひ、開いたッ‼︎」


根本から——音を立てて崩れ去る。









「何が起きたァ!」


砦の奥、お城で言う本丸部分にあたる場所の陣幕も錯綜する情報に混乱していた。そこに転がるように入って来る配下の一人が詳細をかたる。


「裏切りです!門を突破されました!また、その結果こちらの兵に戦意を喪失するものが多数出ており劣勢!大きく押されています!もはや、三つ目の柵を越えられました!」


「ぬぅ!新兵どもには荷が重いか!仕方あるまい!この中野善次が出陣する!敵を追い返すぞぉ!」


「「オオッ!」」


武器を取り、陣幕を放置。すぐに動ける手勢二百を率い砦を駆け下り敵軍の下まで向かう。


「ッなぬ!」


その場に到着した彼らの前に広がっていた光景は想像を絶するもの。血塗れの敵軍がこちらの兵を殺して回っていた。新兵たちが戦えていたのは柵の外で槍を突き出すその時だけ。柵を越えられた瞬間に立場は一瞬で変わる。


「おのれぇぃ!行けぇぃ!いけぇぃ!」


己の手勢二百に号令をかけ、前に進める。


「ワシも行くぞォッ!」


槍を持ち、敵軍の中に飛び込む老将。流石武士というべきか、敵足軽は寄せ付けはしない。


「ぐうッ!少し厳しいかッ!」


しかしそれでも敵の勢いは止まる気配は無い。それどころか、他の場所で新兵達が狩られ余計調子付かせていた。


「おのれッ…無能な味方に久々に腹が立つわ‼︎だれかおらぬのか!腕の立つ者は!」


血塗れの槍を振り回し、徐々に劣勢になっていく部隊を持たせるのがやっとの老将は苛立たしげに吠える。


「み、みんな!逃げるな!ここで逃げては、大門京に大島家に蹂躙されるぞ!良いのか!踏みとどまれ!」


聞こえるのは幼き少女の声のみ。それに耳を傾けるものはおらず、我先に逃げていく。


震える手に持つのは血のついた、槍。あの少女はこの惨劇のなか非力な腕で必死に戦ったのだろう。勇気を振り絞り、他の新兵たちとは違い死の恐怖に打ち勝って。


「…あのような少女にできることを…何故できんッ!貴様ら!それでも男かッ!逃げるは恥ぞ!」


「な、何を言ってやがる!爺!死地から逃げるのは当然だろ!」


「何をいうかッ!阿呆!戦場から逃げることが恥なのでは無いわッ!己から!守るべきものを捨てて逃げるのが恥なのだッ!小僧!」


「ウッ…!それでも…死ぬよりはマシだッ!」


「腑抜けめッ!もう良いわ!」


吼える老将。次々と配下の手勢が討ち取られていく。叫ぶ少女、周りから人がいなくなり敵兵に囲まれた。


「ぐぅっ…ひっ…!」


「おいおい、こんなガキもいんのかよ…こりゃ運がいいぜ。そら、槍を置け。もっといい槍を刺してやるからよ。ガハハッ!」


こういう時。神室家の美学ではどうしたか。……知らない。敗北した後のことなど、何も。今まさに、敵に捕まりそうな時にする行動はなにか、わからない。教わっていない。


だからだろう、その時初めて神室家の娘としてではなく、ただの京として動けた。


「い、嫌っ!」


迫り来る腕を、無様に転がるように逃げる。将軍家の威厳など皆無な姿。泥にまみれ、腰を抜かして、だれにみられても笑われほどひどい。


そして理解する。京して望んでいるものを。神室家という建前を取り払った後に残ったものは。


「い、生きたいッ!こんな所で…死ねない!まだ、もう一回!長貴兄様に!会いたい!それまで、それまで!」


何故、逃げたか。あの御所から。あそこで殺されそうだったから。殺される未来が見えたから。殺されたら、会えない。長貴兄様に。二度と。それは、刷り込められた神室家の呪縛より強固に。嫌だ、それだけは嫌だ!嫌だッ‼︎


「嫌だッ‼︎助けてッ!長貴兄様ッ‼︎」










━━━影が京を覆う。大きななにかが、太陽の光を遮り前にたった。それは、戦場の一切から京を遮断する大きな盾。悪意から、殺意から、戦場の空気からも解放する。


Г………ぁ…ぇ?」


長貴では無い、でも得られる安心感はそれに匹敵する。




「……悪いな、直家だ。今はそれで我慢してくれよ?」


槍の穂先が、赤い軌跡を描いて敵兵をなぞっていく。肉が裂けて、崩れ落ちた敵兵達。血の雨が降りかかり、その温度で現実に戻った。


「……え?なんで…ここに」


逃げている筈だ。京が知っている彼らなら。今やここは死地、そんなところに彼らがいる筈が無い。


「なんでって…そりゃ俺たち一応神室家の足軽だからな、戦うよ。まぁ…ちょっと後ろの方に敵の別働隊がいたからそれの壊滅に手間どったから遅れたけど…」


「別働隊?三人で?」


「そんなわけ無いだろ?なんか後ろに走ってきた奴が多かったから手伝ってもらったぞ」


後ろに走って行ったもの達、それは逃げたもの達だろう。彼らを戦わせたのか?


「どうやって…」


何を呼びかけても、彼らは敵に向かわなかった。敵方を向きすらしない。そんな彼らを…。


「難しいことは何もやってねぇよ。ふんッ、テメェらッ!わかってると思うが…俺より一歩でも後ろにいって見ろ……ブチ殺すぞ?」


「ヒッ!あいつ!マジでさっき三人斬りやがった奴だぞ!」


「押すなッ!殺される!」


「でも後ろに敵が!」


「ほら、ほら、俺は前に進むぞ。俺より遅れて見ろ。全員殺してやるからな?」


「ヒッ!クックソ!」


ゆっくりと前に進む猿吉、それに押されるように武器を手に取り敵軍に向かっていくものが現れる。


「こ、ここで死ぬんだ畜生!」


「いや、死なない。俺が死なせ無い。俺の後ろについてこい。敵を砦から押し返す」


後門の猿吉に、前門の直家。逃げる兵が、戦う覚悟を決めた兵士に豹変し始める。


「……嘘…」


流れが変わる。ゆっくり、しかし確実に決定的な敗北を逃れて少しずつ上がっていく。


勝利への機運が、空気が熱せられて。


「行くぜ、本番だ」


「行くよ、本番だ」


二人の登場に戦場が失った熱を取り戻す。これからが新兵達にとっても本当の意味での初陣となるだろう。










泥を這いずり回り、美しさとはかけ離れた泥臭さ。汚く、醜悪で、悪辣なあらゆる全てを駆使し、か細い糸を少しずつこちらに引き寄せてきた。


その記憶はないが、魂に刻まれたものがある。


勝利を。勝利を、勝利を、貪欲に、ただ勝利のみを渇望する。


美しく勝利することが将軍家の美学なら、彼らはただ勝利すること。あらゆる手を尽くし、地を這ってでも、もぎ取る。勝利を。


言うなれば、これが彼らの美学。


刻まれた一本筋の通った強固な考え。それは、彼らの中に強くあることは変わらない。




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