決着
その剣筋を見た。斬られたことにすら気が付かないほどの神速に背筋が凍った。
その身体を見た。幾たびの死地を越えただろう古傷が刻まれて敬意を持った。
その眼を見た。正しきも悪しきも写し、深い思慮が積み重なった賢者の瞳に自分はどう写っているのか気になった。
その考え方、野心、仲間、成功、失敗、を見た。
それを越えて、全てを賭けて戦う姿を見ている。この先にある未来を欲する男の生き様を直家達は垣間見ていた。最後の命を焦がす戦を、今も。
目など逸らさない。そんな暇も余裕も、無い。
何よりそんな勿体無いことが出来るか。目の前の男は前へ進む猿吉にとって、守る力を欲する直家にとって重要な生きた教材。この一息の間にあらゆることが学べる。それほどに濃密。
山中虎助という男は強い。直家達など足元にも及ばぬ見識と知識、力を持っている。鬼人化と豊かな国があって初めてこの男と対峙できる。それを一度打ち合うたびに痛感していく。
互いに武器を抜き、戦いに身を投じてからまだ1分も経ってはいない。しかし、数多くを学ぶことが出来るほどの濃密な時間。1秒1秒が、無限に感じるほどの息つまる死の気配。それを皮一枚で避け続ける。
「……ハァ…ハァ」
「ハッ…ハッ」
「フゥー…」
息などする余裕などなかった。酸素は酷く欠乏している。一度離れて、態勢を整えた今も身体のあらゆるところがはち切れそうだ。身体は悲鳴を上げている。
「……流石の化け物具合だな、おい。俺たちも人間を辞めてきたと思ってたが…お前を見るとまだまだだってのがよくわかるぜ」
「…鬼人化して二体一…なんで互角以上で戦えるんだ…」
「……つくづく惜しいな。貴様らの保有為る鬼人化の技法…俺が会得していればもっと簡単に、あの時の犠牲もなくここまで来れていたというのに。…小僧ども勘違いしてするなよ?貴様らは傑物ではない、天才でもない、その気骨は買うが、本来ここまで来ることなど不可能な器なのだ。貴様らは運が良かっただけだ、生き延びそしてその技法を身につけた。その幸運があるから俺の前に対峙できている」
「知っている。そんなことはわざわざ言われなくても骨身に染みているほど理解している」
「あぁ、だがよ。違ぇだろ?器でない俺たちが、そこに手が届くものを手に入れた時。自分の思い通りになる可能性があるって、救いたい者を救えるって思った時。——そりゃ、伸ばすだろ手を。器は違えど、俺たちはお前とおなじだ。自分をみんなを救いたい。そんために足掻いてるただの人。かわらねぇよ、何にもな」
「……ふん」
山中虎助の頭の中に遥か昔の過去の記憶が呼び起こされる。無力な過去の自分。足掻いていた、記憶。やっていることは何も変わらない。ただ守る人が多くなっただけだ。それを守るために足掻いている。たしかに何も変わっていない。
「……」
刀を構える虎助。言葉はもとより無用な物。ただ少し負けられない理由を思い出しただけ。戦乱の時代、守りたい人を守るということに全才能を傾けた者達の足掻きが再開する。
戦闘は佳境に入る。30分を越えたあたりで限界を超えた戦いに綻びが出始めた。鬼人化した兵士達が次々と倒れていったのだ。その命を燃やし尽くした彼ら、他の者もうすぐ倒れる。そうなれば、急いで救援に駆けつけた青海達を止める者がいなくなりこの場に青海がきてしまう。
そうなれば、流石に虎助は破れる。今もギリギリなのだ。これ以上、増えるのも時間的にも不可能。己の命の灯火も消えそうになっていた。
「潮時か、虎助さんよ」
「……俺にそれだけ斬られてまだそれだけしゃべれるのは才能だな」
「猿吉、構えろ。次が最後だ。あっちも、俺たちも。妖力を全てかき集めて鬼人化を維持させろ。それまでにとけてたまるか…」
満足に息すらできない。そんな凄まじい剣戟の応酬に身体も妖力も限界をとうに超えている。猿吉も直家ももはや身体の半分近く死に浸かっている。あらゆるものが剥がれ落ちかけているのだ。
それでも、次の一瞬が来るまでは。
「わかってら。直家もまでくたばるなよ。せめてこの一瞬を耐えて死ね」
「……終わったあと、すぐに鬼人化を解かないことを勧める。胸に槍が生える面白いことになるからな」
「……貴様らは…こういう時もそういう話をするのだな…。死地に慣れすぎるのも考えものだ」
少し驚き、笑う。ここまでほとんど一人で駆け抜けてきた男の本音。
「……少し…羨ましい」
「嫌味かよ」
それを顔を顰めて返す猿吉。一人でもここまで来れた才能があったと聞こえたのだろう。
「さぁな、おれが心のそこから羨ましいと思うものはこの先にある。その過程にどれほどの価値があろうか」
その道をもう一度歩めたら、なんてことは考えない。
「その先へ。いただくぞ未来」
「行かせるかよ、ここで沈め」
「行くのは俺達だよ。譲れるものじゃないからね」
三者武器を構える。次の一瞬が全ての決着。それがつく。
妖力が収束して行く。地が震えて、悲鳴をあげ始める。
「「「行くぞッ‼︎」」」
爆発的な踏み込み。一秒を細かく分けて見ても、水滴がほとんど止まった空間に動く彼ら。時間を限界まで置き去りにした三人。
しなる刀が直家の槍に当たる。弾かれた直家は、身を交わし突進する猿吉に変わる。
猿吉の渾身の一刀を、それでも軽々と弾く。体勢が崩れた猿吉に迫る刃を直家が猿吉の襟首を掴み空振りさせる。逆に直家は猿吉を下げた反動で前に出た。
「ッ!」
振り切った刀が上がる前に腹部へ槍を突き出す。完全に入ったと思った攻撃も肉を少し削いだだけ。避けた反動を利用し、直家のクビに刀が迫る。それをすんでの所で槍で受け止める。いや、その力を利用し少し横へずれた。今度はさらに速く、残像が見える猿吉の突貫が再度虎助を襲った。
完璧な連携と攻撃。それをさばき、攻撃に転じる虎助の化け物っぷり。変わるがわる入れ替わり、加速して行く直家と猿吉にまだまだ合わせてくる。
最後の攻防。限界を超えた身体に限界を超えた戦いは、最後の最後にさらに限界を超えて加速。
これに追いつけなくなった者の敗北だ。
「ッグァッ‼︎」
「ヌゥッ‼︎」
「ガァァッ‼︎」
削れて、燃えて行く。加速する世界に色々なものを置いてきた。空っぽの身体にそれでも引き出して行く。
物理的に空っぽ、引き出すものなど何もない。それでもと絞り出していく。死にズブズブと沈み、大事なものが剥がれていく。
今ならまだ戻れるかもしれない。これ以上先に進んだら何か決定的なものが失われる。その確信があった。
しかし、止まることはできない。雄叫びを鳴らぬ喉で鳴らし、その先へ。
引きしぼられる身体に持つは槍。
バネのような身体に振りかぶるは刀。
本当の最後、この一瞬のために戻れぬとも良いと覚悟を決めて進んだ。
武器の刃先が届く。
「ッァァァッ‼︎」
喉を枯らす咆哮がそれを迎え。
交差する武器。わずかに速くタイミングがずれた武器が届いた先は——
「がはッ……」
宙に舞う刀を待った腕。胸を穿つは槍。湧き出る血が地を赤く汚す。
致命傷だ。いや、関係ないか。そんなものが無くても、この身体はとうに終わっていた。全細胞が壊死し始める。目の前が暗くなり、全てが終わったことを悟った。
「…………ハッ。届かぬか」
後悔だらけだ。こんなところで死にたくもなかった。
だが……倒される相手としては。
「…悪くはないか」
この一言を最後に立ったままにその生を終えた。
対して、生き残った直家と猿吉はその場に力無く倒れ込んだ。死んだ側が立ち、生き残った側が地に伏せる。それは、大きい実力差と死してなお偉大な存在だということを伝えるのに十分なものであった。




