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星持ちと弁当屋  作者: 久吉
第四章 番外編
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<番外編>夜半の月

主人公がアカデミーを卒業してすぐの話です。

 一日の診療を終えて私室に戻る頃には、とうに日が暮れ、月も中天へ向かっていた。

 今日の患者はいつもよりは多くなかったはずなのだが、これだけ時間がかかるということは、やはり現状の人員配置では無理があるということなのだろう。


 頭をがしがしと乱暴に掻いて、エリクは息をついた。

 今は無我夢中で走り続けていられるが、このままの状態が続けていけるわけではないとわかっている。

 エリクの代わりになるような者を育成すること、さらにその下を支える中堅を充実させること。


 それらは確かに急務だとわかってはいるが、エリクにとってはそれよりも患者を優先させたかった。可能な限り地方にも足を運びたかったし、医療棟(ここ)へ運び込まれる患者も日によってばらつきはあったが、絶えることはない。


『師長、また寝てないんですか? よく眠れるクッキー作りましょうか』


 案ずるような、どこか面白がるような声が聞こえた気がして、ふと口元が緩む。


「阿呆。そんなもん食ったら二度と目が覚めないだろうが」


 まじめながらも、出来が良いとは言い難い生徒が手元を離れ、何日が経っただろう。

 彼女の“心”の訓練に付き合ったことで、元々少なかったエリクの休養時間は削られることになったが、考えさせられることも多かった。


 泣きながらも食らいつく、怒鳴られても失敗しても決して折れない。


 リリアと同程度“心”を扱える医療師は複数いる。


 だが、他の属性の魔力はともかく、“心”の強さを決めるのは、まさにその精神の在り方だ。

 “心”の扱いがうまくなくとも、量が多くなくとも、揺らがない強さがあれば十分効果は発揮される。


 リリアの扱う“心”は平凡でも価値がある。

 小さなものに感動し、心を痛め、できない現実を受け止めて前を向こうとする。

 その在り方がそのまま、彼女の“心”には込められている。


「最近の若い奴らは軟弱だからな」


 才能があると自負している者ほど、その力を磨くことを怠りがちだ。もっと言えば、自分の限界を見極めることが得意ではないのだ。

 失敗を恐れ、無難に済ませようとする。

 できない自分、才能がないかもしれない自分を認められず、自らのびしろを削ってしまう。


 エリクからすれば勿体ない話だとは思うが、そのようなところまで構っていられないというのが正直なところだ。


 ふと、扉の外に気配を感じ、振り返る。

 こんな夜更けに訪ねてくるのは、大体が招かれざる客だ。ノックのあとのぞいたのは、思った通りの顔だった。


「やあ。入ってもいい?」

「……またお前……。連絡してから来いといつも言っているだろう」


 顔を見たら怒鳴りつけるのが常なのだが、相手のあまりの覇気のなさに、エリクの声さえ腑抜けたものになる。


「ごめん。つい忘れちゃうんだ」


 片手に酒瓶を提げたルーベントの顔には、いつもの飄々とした笑みは浮かんでいなかった。



 ◇◆◇◆


 エリクが簡単なつまめるものを用意している間も、ルーベントは一言も口をきかなかった。

 饒舌で、常に人を食ったようなしゃべり方をするルーベントが、このように押し黙る理由は一つしかない。


 酒杯を満たして渡しながら、エリクはため息をついた。

 面倒だが、招き入れてしまったからには、聞かないわけにはいかないだろう。


「……アナスタシア様がどうかしたのか」


 形の良い眉が、わかりやすく跳ねた。

 酒杯が傾けられ、ゆっくりとルーベントの喉が上下する。男性らしさはありながら、しなやかな体つきは優美な獣を思わせた。

 王宮を離れて長いとはいえ、今まで培ってきた所作の美しさは損なわれていない。

 女性がこの場にいれば、頬を染めても不思議はない妖艶な仕草だった。


「どうも……しない」

 わざとらしく伸ばした語尾も、軽薄な笑いも、住処の塔へ置いてきたようだ。

 空になった酒杯に新しい酒を注いでやってから、エリクも自分のものを口へ運ぶ。

 良く冷やされた酒は、香りは甘く芳醇なのに、舌へ迎えると痺れるような辛みがあった。

 ルーベント自身は何でも飲むようだが、エリクは甘い酒は好まない。しっかりエリクの好みに合わせて持って来ているあたり、話に付き合えということなのだろう。


 無言で先を促せば、ゆるゆるとルーベントが首を振った。

 光の加減では金にも見える、淡い色の髪が肩へ流れる。


「ナスターシャは……もう前を向いている。誰も責めず、失った時間を嘆くこともなく」


 若く美しい時代を、眠って過ごしたこと。

 王妃として責務を果たしたことは数えるほどしかなく、これからも故人として扱われること。

 産んだばかりの赤ん坊を、その手で抱くことなく眠っていたこと。

 後悔しないわけがないのに。


「いっそ、詰ってくれれば良いのに。お前たちが仲違いしていたせいで、眠ったままになったと」

「……そうだな」


 きっと、国王陛下も同じことを思っているのだろう。

 国王陛下が彼女を信じることができていたなら。ルーベントを信じることができていたなら。

 こんなにも長く、すれ違ったままにならなかったはずだ。


 音もなく、ルーベントの喉を酒が滑る。

 いつもより随分進みが早いが、エリクは黙って酒杯を満たしてやった。

 よほどのことがなければ、明日は昼からの診療だ。この面倒な悪友に、たまには心行くまで付き合うのもいいかもしれない。


「過ぎたことは悔やんでも取り返せないから、前を向いていたい、とリリア・ブリットは良く言っていた」

「……女性は強いねぇ」

「まったくだ」


 どこか自嘲めいたものながら、ようやくルーベントの口角が上がる。


 窓の外へ視線を投げれば、とろりと明るい月が、ただゆったりと佇んでいた。


「……男は情けないな」


 置いていかれたような気がして寂しいのは、自分だけではないと気づき、エリクに苦い笑みが浮かんだ。



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