<番外編>Magic of love ぼっちゃん奮起する
リクエストをいただきまして、
『乳姉弟のメイドに励まされて奮起するイーニアス』
です。
使用人の朝は早い。
夜が明けたと同時に起き出し、身だしなみを整えて、まずは屋敷中の掃除だ。真冬は外は真っ暗だし、水は冷たいしでなかなか骨が折れるが、このお屋敷は他の屋敷の使用人仲間には羨ましがられるほど待遇が良い。
私のお仕えするボールドウィン子爵様は使用人にもお優しい大変できた方なので、季節に合わせて使用人が働きやすいよう魔石を下げ渡してくださる。夏場はひんやりと心地いい水石を、冬場はぬくぬくと身体も心も温める火石を。
効力が切れてきたものには、旦那様自ら魔力を込め直して下さるのが通例だったのだが、それが最近変わりつつある。
「おや、ジーナ。できてるよ」
「ありがとう。手間をかけさせてすみません」
厨房に顔を出すと、料理長が顎をしゃくって教えてくれる。
今日の朝食はふんわりと湯気をたてる白パン、瑞々しいサラダに、ミルクたっぷりのオムレツ、豆と野菜のスープだ。
よその貴族様はもっと朝からたくさん食べるらしいが、華美なことを好まない子爵様は、質素倹約を心がけておられる。ちなみに使用人の私たちにも朝昼は同じ食事が用意される。とんでもなく、ありがたいことだ。
イーニアス様のお食事と、自分の食事をワゴンに載せ、ごろごろと転がしていく。
スープはこぼれないよう銀の寸胴に入っているし、パンも冷めずつぶれないよう包んである。
食堂で食べればこんな手間は省けるのに。寸胴を洗うのも、パンを包んである布巾を洗うのも誰の手間だと思っているんだ。
この奇妙な朝食が始まったのは、いつだったか。かれこれ一月になるだろうか。
自信家で、プライドが高くて、傲慢で、自分が大好きなイーニアス様がひどく憔悴してご帰宅なさったのは約一か月前。
旦那様が訊ねても奥さまが泣き落としされても、青ざめた顔のまま何もお話しされなかった。
食も細くなり、ほとんど部屋からも出ず、熊のように部屋をぐるぐるしていたのがはじめの一週間。
旦那様の説得で少しずつ食事をとるようになり、会話もできるようになってはきたが、以前のイーニアス様の神々しいまでの自信はどこにもなかった。
部屋をノックしてから、ごろり、とワゴンを部屋へ入れる。毛足の長い絨毯は、ワゴンを転がしにくいのが難点だ。掃除も面倒だし。
「朝食をお持ちいたしました」
「……ありがとう」
小さな小さな呟きだったが、確かに聴こえた。
使用人は使ってなんぼ、働きに見あった給金を払っているのだから、礼など必要ない、という思い上がっ…げふん。少々厳しい考えだったイーニアス様が。
「コーヒーと紅茶、どちらになさいますか」
「…ジーナは、どちらが良い」
あほか。何言ってんの、ぼっちゃん。ということばは何とか飲み込んだ。
私とイーニアス様は、いわゆる乳姉弟だ。奥様が病気がちだったので、生まれ月が一月しか違わない娘がいる母が乳母として選ばれたのだ。
本来なら乳母にだってそれなりに身分を求めるものだろうが、『あんまり親しくない人に坊やを抱いてほしくないもの』という奥様のおことばで即決だったらしい。
そんなわけで、使用人として働きながら、乳姉弟としてわりと親しくしていただいていたが。
さすがにこれはやりすぎだろうよ。ぼっちゃん。
「お薦めは、ということでしたらいくらでもお答えしますが」
「……そう、か。そうだな……。では紅茶を…」
以前であればこんな口を利けば頬の一つや二つ、叩かれていたかもしれない。
わりと気安く接してもらっている分、ぼっちゃんは私に容赦がなかった。
愚図、馬鹿と言われるならまだいい。汚い髪の色だ、とか、お前のようなみっともない体型の女は貰い手はないだろう、とか。叱責とともに手や頬を叩かれるのも珍しくなかった。
それを黙って受け入れていたのは、こんなでも旦那様の大事な息子だからだ。
旦那様はぼっちゃんの鼻っ柱を折るタイミングをずっと見計らっていた。
いつか子爵家を継いで、領地を治めるにはぼっちゃんは世間知らずで、おバカさんで、人を大事にしなさすぎた。
ぼっちゃんの鼻が高々とそびえているうちは、旦那様が何をしても誰が何を言っても、効果は薄いだろう。
そんな旦那様の親心をよくわかっている使用人たちは、生ぬるい視線でぼっちゃんを見つめてきた。
もうじきぼっちゃんも二十歳。結婚適齢期真っ只中だ。
もうやばいんじゃないのー、と使用人たちはからかっていたところに、今回の変貌ぶりだ。
ぼっちゃんと二人きりという気まずい食事を終えて、再び業務に戻る。ぼっちゃんは部屋で魔石の充填をするらしい。
「ああ、ジーナ。後で少し寄ってもらえるか。熱い茶を頼むよ」
廊下ですれ違った旦那様に、声をかけられる。気のせいか、顔色があまりよろしくないようだ。コーヒーや紅茶よりもハーブティの方がいいかもしれない。
「かしこまりました」
きちんと立ち止まって模範のお辞儀をしてから、食堂へ向かった。
◇◇◇
「ああ、ありがとう。いい匂いだ」
「少し、お顔の色がよろしくないようですので」
用意したハーブティは、消化を助け身体を温めるものだ。
木の実がベースに使われているので、ほんのり甘い香りが部屋中に広がる。
「ああ…。まあ、何というかね」
旦那様はカップを口につけ、深々とため息をついた。
「イーニアスの様子は、どうだい?」
「一時よりはお元気になられたようですが、やはり塞いでおられます」
そうか、と頷いた旦那様の顔は浮かない。
「実はね、今回のイーニアスの落ち込みは、私が仕組んだものなんだ」
「…? どういうことでしょうか」
そっとカップを戻した旦那様は、一枚の書類を取り出した。
「イーニアスは、人の上に立つ資格がなかった。それは君たちから見ても、明らかだろう。いつかいつかとありもしない期待をするうちに、随分と時間を無為にしてしまった」
親ばかなのだよ、と旦那様は苦笑する。
「だが、もう悠長なことは言っていられない。そこで、星見台にも協力を仰いで、少し本格的に再教育をし直すことにしたんだ」
旦那様が見せてきた書類には、一枚の姿絵が描かれている。
そのあたりですれ違っても特に印象の残らない、黒髪の女性だった。
「こちらの女性は、庶民の出身で星持ちではない。だが、アカデミーで“心”の扱い方を学び、伝道役として働いている」
「ああ…それはそれは」
いかにも、ぼっちゃんが嫌いそうなタイプだ。
ぼっちゃんは胸と尻がでかい色気のある女の人が好きだ。そして、権力大好き、身分万歳な人だ。身分のない、わりと地味な女性なんて、視界にも入れたくないだろう。
「この女性と組んで仕事をさせて星持ちとしての自覚を育て、見識を広げてもらおうと思っていた。だが…」
広がるわけないよね、という私の思いがありありと出ていたのだろう。旦那様は苦々しく頷く。
「そうだ。見識もさして変わらぬまま、最悪なことに、女性を守りきれず怪我を負わせてしまった」
「えっ」
何それ最低、と危うく口から洩れそうになり、慌てて口元をおさえる。
「え、えーと、それでイーニアス様は落ち込んでおられるのですか?」
怪我はそんなに大きなものだったのだろうか。
だが、イーニアス様なら『悪かったな』程度で済ませそうだし、相手が何か言ってきたら金で解決しそうなものなのに。
「怪我自体は、すぐに治療して跡形もなくなったよ。だが、相手がまずかった。…この女性は、アルドヘルム殿下の恋人なのだよ」
「ええっ?!」
第一王子であるアルドヘルム殿下が、庶民の女性と恋仲だという話は一部で有名だ。私も旦那様から以前聞いたことがあり、そんな童話みたいな話があるのねえと感心したものだ。
「恋人…ならまだ王族じゃないですよね」
「それはそうだが。殿下の溺愛ぶりは有名でね。今回も、依頼途中で恋人と合流したいというのを何とか星見台が留めていたそうだ」
うわぁ…。終わったわ、ぼっちゃん。
穢れなき王子、なんて呼ばれるアルドヘルム殿下だから、怒りにまかせて子爵家取り潰し、なんてことにはならないだろうが、恋人を傷物にされて黙っていられるほどお人よしじゃないだろう。
「報告に訪れた星見台で直接殿下とお会いして、随分はっきりと言われたようだ。人の上に立つことはあきらめろと」
「…それは…なんというか…」
他にも殿下は淡々と笑みすら浮かべながら辛辣なことばを並べたらしい。
今回の依頼で一体何をしていたのか。
女性があくせく動き回るのをただぼんやり眺めて、あまつさえは操られそうになり、怪我までさせるとは、星持ちとしてというより、人として情けないとは思わないのか。
「その上ね、目の前にいる人が誰だかわからなかったから、殿下にまでかみついた」
「えぇえー…」
残念だ。残念すぎるよ、ぼっちゃん。
貴族の中では子爵家は下の方だから、直接殿下と顔を合わせる機会なんてほとんどない。それでもアルドヘルム殿下は一等の星持ちで、ぼっちゃんは二等の星持ち。顔を知る機会なんてたくさんあったはずなのに。
「殿下は、最後まで自分の身分は明かさず、“身分をかさに着てしか戦えないことを恥じろ”と言ったそうだ」
ああ…。まさに王者の品格。最初から『俺王子様ー。お前むかつくー』と言っていればあっさり終わったのに、あくまでも星持ち同士として、同じ貴族として諌めてくれようとしたのだ。
ホント、うちのぼっちゃんが申し訳ないです。
「星見台から報告を受けて、私も謝罪しようとしたのだが、当然お会いしてもらうこともできず、手紙も受け取っていただけなかった。私には、謝罪されるような覚えはないと言われて…」
「イーニアス様は謝罪しておられないんですか?」
こくり、と旦那様が首肯する。
そりゃあそうだろう。ぼっちゃんは帰ってきてから、屋敷から出ていない。手紙らしきものを書いているところも見ていないし、人が訪ねてくることもなかった。
「それで、ジーナ。お願いがあるんだ」
懇願するような瞳を向けられて、嫌だと言えたらどんなにいいだろう。
だが、旦那様のおかげで、若くして夫を亡くした母は私を産み育てることができた。
読み書きや礼儀作法も仕込んでもらえて、何とか嫁にもいけそうだ。
重い重い恩がのしかかり、私の頭を自然と下げさせた。
◇◇◇
高慢ちきで、自分が大好きで、どうしようもなく阿呆なぼっちゃん。
そんなぼっちゃんは今まで誰の諫言も聞いてこなかった。
それがいくらヘコんでいるからといって、乳姉弟である私のことばなんか、きくだろうか。
疑問には思ったものの、やるしかなかろう。
「イーニアス様、失礼いたします」
返答を待たずに、扉を開ける。魔石の充填が終わったらしいぼっちゃんはソファで足を投げ出して寛いでいるようだった。
「なんの用だ…」
「僭越ながら、言わせていただきます。いつまでそうしておられるおつもりですか」
両の手はへその位置で軽く組み、背筋を伸ばす。
使用人たる誇りを精一杯示せるように。
「…どういう意味だ」
のそり、とソファから身体を起こしながら、ぼっちゃんが顔を顰める。
「そのままですよ。ぼっちゃんがそうしておられる間に、旦那様は各方面へ謝罪へお出かけになっています。でもそれは受けていただけませんでした。なぜだかわかりますか?」
「……俺が、殿下の怒りを買ったからだろう」
やっぱり、わかってない。どこまでいっても、この人はぼっちゃんだ。
「殿下は、旦那様からの謝罪は受け取らないと言われたんですよ。旦那様には何もされていないからと。ここまで言ってもわかりませんか」
「………」
少しだけ目を見開いて、ぼっちゃんが固まる。考えもしなかった、といった風だ。
「そうして引きこもっていれば、今までぼっちゃんが頑張って積み上げてきた実績は、あっという間に消えてなくなるでしょうね。星持ちの等級は取得より維持が大変だと聞いたことがありますので。多額の資金を使ってアカデミーへ通ったことも、無駄になるのでしょう。そして、自分のしたことの始末もつけられないと、他の貴族の方々にも侮られるのではないですか」
本当に、見ていてイライラする。
ぼっちゃんはたくさんの人に愛されてきた。子爵夫妻、私たち使用人、領民たちだって、ぼっちゃんのだめなところを“ダメなやつだなあ”と思いながら愛してきたのだ。
なのに、ぼっちゃんはそれを何もわかっていない。
「私は、情けないです。ぼっちゃんが皆に愛されていると気付けないことも、自分と向き合って大事にしてあげられないことも」
「ジー…ナ」
茫然と名を呼んできたぼっちゃんが立ち上がる。そしてそのまま抱きすくめてきた。
同い年の、乳姉弟。いつまでも手のかかる、私のぼっちゃん。
「皆、ぼっちゃんが自分の足で立ち上がって、前に進むのを待っていますよ」
「……すまなかった…俺は…いつまでも子どもで…」
ぼっちゃんの吐く息がくすぐったい。
ポンポンと宥めるように背を叩くと、巻きつける腕の力がさらに強くなった。
◇◇◇
「いやぁ、一時はどうなることかと思ったけどね。よかったじゃないか」
「そうですね、私もホッとしました」
ぼっちゃんはあの後、女性とアルドヘルム殿下へ謝罪をすることができた。もちろん、一度の申し出では受理してもらえなかったので、何度も食い下がったそうだ。
聞いたところによると非常に仲睦まじいお二人の姿に、赤くなったり青くなったりしながら、決して格好良いとは言えない謝罪だったらしい。
そして、ぼっちゃんは別人になったように、星持ちとしてのお仕事と、子爵家次期当主としてのお勉強をされている。
そんな暇はないはずなのに、しょっちゅうご帰宅されては『一緒に茶が飲みたい』とか『屋敷であったことを聞かせてほしい』などと強請るので、甘えん坊なところは変わらないようだが。
「……でもさ、ジーナ。あんたまだ結婚することイーニアス様に言ってないんだろ」
「え? だって、すぐ辞めるわけじゃないし。子どもができたらさすがに辞めてくれって言われてるけど、それまではしっかり働いて貯金もしたいですよね」
ぐっと拳を握った私に、そうじゃないよ、となぜか料理長はかぶりを振るばかりだった。
◇◇◇
心を許したメイドに見せるため、ひたすら頑張るイーニアスは知らない。
来月にはジーナは他人の花嫁になることを。
半年後には夫について他領へ出て行ってしまうことを。
もう少し、イーニアスが賢かったら、気付くことができたかもしれない。