<番外編>Magic of love②
力は使ってこその力。
泣かないように、自分を守れるように、与えられた力を使うだけなのだから。
◇◇◇◇
小物屋親子が手配した宿で一夜を明かした二人は、翌日は別行動を取ることに決めていた。
それは、直接クレアに接触する方がいいと主張したイーニアスの意見と、間接的な接触が望ましいとした女性の意見とがどうしても折り合わなかったためだ。
直接本丸に突撃すればすぐ決着がつくというイーニアスの意見に、女性は頑として首を縦に振らなかった。
黙って言うことを聞け、と怒鳴りつけても女性はのらくらと躱す。イーニアスを否定することはないが、決して同意もしないのだ。
女性は夜が明けると共に起き出し、小物屋へと出向いたらしい。
それよりは随分遅くに起き出したイーニアスに宿の主人が教えてきた。
「このナスタの町は織物の加工が特産ですからね、旦那も一つ土産に見て行ってくださいよ」
ナスタと、隣り合うヴェルグの町は姉妹のように例えられることがあり、産業でも強く結びついていた。ヴェルグで織られた織物がナスタに運ばれて加工されるのだが、聞けばクレアはヴェルグで評判の機織りらしい。
「クレアが織る織物はそりゃ見事でね。加工する職人が列を作るくらいでした」
それがいつしかクレアは複数の男性と遊び歩くようになり、機織りもやめてしまった。
「生計をどうやって立てている?」
「そりゃあ、食わせてくれる男がたくさんいますからね。あくせく機織りなんざしてられないんでしょうよ」
宿の主人が持たせようとしてきた昼食を断り、イーニアスは真っ直ぐヴェルグの町へ向かった。
ナスタの中心部からヴェルグの入り口までは、馬車に乗ってしまえばすぐの距離だった。
だが、その距離の近さからは信じられないほどの違いがあった。
「とんだいなか町だな」
思わずポツリとこぼしたイーニアスのことばは、埃っぽい路へ吸い込まれていく。
ナスタも決して都会ではなかったが、整備された道には人が溢れ、賑やかな商店が立ち並んでいた。行き交う人々の表情も明るかった。
だが、降り立ったヴェルグはもの寂しさをはらみ、どこかうらぶれた印象がある。
姉妹というならば、華やかで美しい姉の日陰に入る妹と言ったところか。
ヴェルグだけで見れば、それほど悪い町ではないのかもしれないが、隣のナスタと引き比べればどうしても見劣りがした。
評判の機織りと聞いていたから、町の者へ訊けばすぐにクレアは探し当てられると思っていたが、そうするまでもなかった。
ふらりと入った食堂に、人だかりができていたのだ。
若い男が五人。その中心には若い娘が微笑みを振りまきながら座っていた。
白金の長い髪はきらきらと輝きながら流れ、豊かな胸の双丘が惜しげもなくその間から存在を主張している。手足は折れそうに細いのに、つくべきところにはしっかり肉がついている、実にイーニアス好みの体型だった。
小ぶりの鼻やぽってりとした唇といい、顔の造作も申し分ない。
“相棒”がこの女だったら良かったのに、とイーニアスは内心嘆息しながら女性に訊く。
「クレアというのは、お前のことか」
「なんなんだ、お前」
イーニアスの問いかけに、取り巻きのうちの一人が立ち上がった。
人目がなければ、その喉を掴み上げて熱で少しばかり焼いてやるところだったが、あいにく人目が多すぎた。
星持ちによる、魔力を使用した一般人への攻撃は厳罰の対象となる。
力は使ってこそだと思うイーニアスにとっては煩わしいものでしかないが、守らなければ特権も失うことになる。
「訊いているのはそちらの女性にだ。俺はイーニアス・ボールドウィンだ。星見台から来た」
イーニアスのことばに、サッと女性の顔色が変わった。
貴族名鑑を持っているわけはないので、星見台から来たという部分に反応したのだろう。
「……わかりました。みんな、ちょっと待っててくれる?」
クレアというのは自分のことだと認めた上で、取り巻きの男たちに首をかしげてみせる。
「なんで、クレアがそんな奴に…!」
「俺も一緒に話を…」
「きっと厭らしいことをするつもりだ!」
口々に男どもがわめきたてるが、お願い、とクレアが眉を下げるとぴたりと口が閉ざされる。
その様は躾の行き届いた愛玩動物と主人を思わせた。
「…それで、星持ち様が一体何のご用ですか?」
クレアに招かれるまま、店の裏手へまわると、不気味なほどの静けさがあった。
通りからはちょうど死角になっており、音も届かないらしい。
「お前がナスタの娘たちの恋人を侍らせているというのは本当か」
「ええ? …いえ、皆はお友達で…。私から何かを頼んだり、恋人を蔑ろにすることを望んだりはしてないです」
クレアが俯くと、白金の睫毛が陰を落とす。小さく震えているようなので、もしかするとナスタの娘たちに責められたことでもあるのかもしれない。
「…信じてください、星持ち様」
クレアの細い指がイーニアスの両手にかかる。ひんやりとして、滑らかな手だった。
もともとクレアを疑う気持ちはあまりないイーニアスだ。目の前で見せられたとはいえ、すぐに“心”の威力を信じられるわけもなかった。
クレアの潤んだ瞳を見ているうちに、やはり違うという気持ちが強くなる。
―――これほど美しく、か弱げな女性に何ができるというのだ。
イーニアスから棘がなくなったのを感じたらしいクレアが、嬉しそうに首を傾げ、艶然と微笑んだ。
◇◇◇◇
ナスタの町に戻ったイーニアスは、女性を探すことにした。
今回の依頼はこれで終了でいい。クレアは何もしておらず、彼女自身の魅力で男たちを引きつけているだけなのだ。星持ちが出張るまでもない、ただの色恋沙汰だ。
女性の姿を小物屋で見かけたイーニアスは、声をかける。
「おい、依頼は終了だ」
ハンナと何かを捏ねまわしていた女性が顔を上げる。
「…どういうことですか?」
「クレアは何もしていない。女としてあちらがより魅力的だったというだけだろう」
じっとイーニアスを見つめていた女性が、うへぁ、とおかしな声を発した。
「クレアさんに触れられたんですね?」
「それがどうした」
確かにクレアに手を握られた。だがそれがなんだと言うのだ。
イーニアスは自身の目でクレアを確かめ、大した魔力も持っていないことを確認してきた。
「……終わったと判断されるのであれば、お一人で星見台へ戻ってください」
私はまだやることがありますから、と女性は作業を再開する。
ハンナがおろおろと二人のやりとりを見やるのに、女性は微笑んだ。
「はい、できました。あとは焼き立てを持っていきましょう」
「おい、俺の言うことを…」
イーニアスを置いて店の奥へ入って行こうとする女性を呼び止めると、静かな怒りを宿した瞳を向けられた。
「…何をもってクレアさんが無実だと判断されたのかはわかりませんが、ハンナさんたちが納得しない限りは依頼は終了ではないと思います」
それだけ言うとイーニアスの返事も待たずに、女性はさっさと店の奥へと消えた。
七夕までに書き上がりたかった…。