<番外編>Magic of love①
500万PV御礼の番外編です。
3話(もしかしたら4話?)で終わります。
甘い恋も、蕩けるような愛も、全部私のもの。
微笑みを投げれば、少し首をかしげれば、全部私の手に入る。
指先ひとつで、何でも思い通り。
囁かれる愛のことば、向けられる嫉妬の眼差し。
―――ああ、私。生きてる、わ。
◇◇◇◇
昼下がりの、ともすれば眠気を誘うような気候の中、異質な空気がある一角から流れてきた。
ある者は身を守るため見て見ないふり、ある者は好奇心を抑えられないのかちらちらと視線を送る。
それに気づいているのかいないのか、一際大きな男の声が響いた。
「ふざけるなよ、俺を誰だと思ってる」
「2等星持ち様でいらっしゃる、イーニアス・ボールドウィン様です。ボールドウィン子爵様のご子息でもいらっしゃいますね」
丁寧さを清々しくも通り越して、いっそ無礼なほどの受付嬢の口調に、イーニアスのこめかみがビクビクと痙攣した。
宝石のようだと賞される自慢の銀の巻き髪も、手を入れたせいか乱れてしまっている。
もともとイーニアスは気が長い方ではない。見上げるほどのプライドに相応しい実力と身分。それがイーニアス・ボールドウィンだった。
苛立ちのまま力任せにカウンターに拳を叩きつけると、依頼に来ていたらしい隣のカウンターの老人が飛び上がった。
「そんなことを訊いているんじゃない! なぜ俺がそんなくだらない依頼を受けなきゃならないんだと言っているんだ!!」
鼓膜を震わせるイーニアスの怒号にも、受付嬢は眉を少し持ち上げただけだった。
星見台には、様々な人間が訪れる。このくらいの“面倒事”は、受付嬢にとっては眉を持ち上げる程度でしかないということだが、イーニアスがそれに気づくはずもない。
軽く息を吐いた受付嬢は手元の書類をトン、と揃えて持ち直す。
「そうおっしゃられましても。等級と過去の実績を鑑みた結果、ボールドウィン様が適任と判断されたからとしかお答えしようがございません」
「他にもいるだろう!」
間髪入れず言い返したイーニアスに、しばし動きを止めた受付嬢はゆっくりと口角をあげた。
「……そうですね。では、上にはボールドウィン様では遂行不可能な依頼ということで報告を上げさせていただきます。依頼は他のランクが低いものをご用意させていただきます」
「……なに?」
受付嬢の唇は美しい弧を描いてはいるが、はしばみ色の瞳が全く笑っていない。
「ボールドウィン様はくだらない依頼とおっしゃいましたが、この依頼はランクでいえば最高ランクの依頼です。それが果たせない、ということであれば、よりランクが低い依頼をお任せすることになります。それはそのままボールドウィン様の評価にもつながるということです」
星持ちは、一度なったら終生身分を保障されるわけではない。定期的に依頼を達成したり、アカデミーへ講師として出向いたり、社会のために貢献し続けてこそ星持ちでいられるのだ。
イーニアスは2等の星持ちではあるが、その身分は依頼を受け、それなりの評価をもらっているから維持されるものなのだ。
断ってもいいが、お前の評価はどうなっても知らないぞ、と受付嬢は仄めかしているのだ。
受付嬢の意図に気づき、ぎりぎりとイーニアスは歯噛みした。獰猛な目つきで睨みつけても、受付嬢の顔には涼しげな微笑みしか浮かばない。
「―――それで、受けていただけますか?」
自明の問いを、受付嬢が書類とともに恭しく投げかけた。
◇◇◇◇
はあ、とこれみよがしについたため息に、隣に並んだ肩がぴくりと動いたのがわかった。
星見台で引き合わされた今回の“相棒”は女性であり、それなのにイーニアスの好みとは程遠い容姿をしており、果ては星持ちですらない。
女であるのなら、大きく張り出した胸や尻、ぎりぎりまで絞り込まれたウエスト、肉感的な唇などが当然の持ち物だろうとイーニアスは思っている。
そのどれもを持たない女性との、不本意な依頼。自然、ため息も大きくなる。
「……ここですね」
「……」
イーニアスの不機嫌さには当然気づいているだろうが、女性は何も言わない。その落ち着き払った態度がさらに彼の神経を逆なでするのだ。
今も、依頼の建物を見つけ、先に立って歩いて行こうとしている。
呼びかけようとして、先ほど名乗られた名をよく聞いていなかったことに気づく。
―――まあいい。こんな女の名前、呼ばなくても依頼くらいこなせる。
「おい」
「……なんでしょうか」
使用人にでもするようなイーニアスの傲岸な呼びかけに、女性が半分振り返った。
己の態度は棚にあげ、その無礼な態度にまたイライラとイーニアスのこめかみがひきつる。
「俺はこんなくだらない依頼はさっさと終わらせたい。絶対に俺の足を引っ張るような真似をするな」
「……そうですね」
果たして、彼の意図が伝わったのかどうかわからない曖昧な返事を残して、再び女性は歩き出した。
呪いのことばを吐かなかったのは、ひとえにイーニアスが子爵家の育ちだったからに過ぎない。
「ああ! 星持ち様! お待ちしておりました」
小物屋と聞いていたが、生活に必要なものを細々と扱う店らしい。店主だと名乗った女将は、すがりつかんばかりに駆け寄ってきた。
店の片隅のテーブルに案内されると、そこには年頃の娘ばかりが五人、険しい顔をして座っていた。
その中の一人、テーブルの端についていた肉感的な身体つきの娘が口を開く。
「私は、この店の娘のハンナと言います。今回依頼したのは…婚約者のことについてです」
指の節が白く浮き出るほどに、ハンナはスカートを握りしめる。
他の四人の娘も、顔を歪め何かに耐えるようにうつむいている。
ことは数ヵ月前、ハンナの婚約者であるカラムが突然、婚約破棄を申し立ててきたことだという。
好きな人ができた、君とは結婚できない―――。つい数日前まで愛を囁いていた口から残酷な最後がいきなり告げられた。
「婚約したといっても、所詮は口約束です。心変わりすることも、ないわけじゃない。すごく…つらかったですけど、カラムが幸せになるならと、身を引いたんです」
小さな町のことだから、ハンナとカラムの話はあっという間に知れ渡った。
そして、カラムの想い人が誰なのかも。
「クレアは、隣町の子で…悔しいけど、私よりも綺麗で女の子らしくて、カラムが好きになるのも仕方ないかなと思ってました」
ハンナが口を閉じると、隣に座った娘が続きを引きとる。
「でも、クレアに熱をあげているのは、一人ではなかったんです。私の恋人も、クレアのことが好きになったから別れたいって」
他の娘も頷く。
クレアは、想いを寄せてくる複数の男を侍らせて、女王のような振る舞いをしているらしい。
「違和感は、たくさんあったんです。でもまさかって気持ちが強くて…」
王族を除いて、カティーラでは一夫多妻は認められておらず、ましてや一人の女性が多数の男性を侍らせるなど褒められた話ではない。器量が良い娘に男性が集まるのはよくあることだが、複数の異性と親密になりすぎるのはどんな非難を受けても文句は言えない。
クレアに熱をあげている男性の中には、倫理観が強い者も一人や二人ではなかったし、独占欲が強い者もいた。
自分だけのものにならなくていいのか、恥ずかしくはないのか。
そう問い詰めても、曖昧な返事しか返ってこない。
言い知れぬ不安や疑念が膨らむ中、たまたま町の星見台で、“心”の講義が開かれた。
「“心”って…よくわからないんですけど。もしかしたらクレアが何かしたんじゃないかと思って」
半信半疑、といった様子で一人の娘がつぶやくと、他の娘も重く頷く。
「フン、“心”にそこまでの威力はない。ましてや星持ちですらない一般の娘だろう。ありえんな」
イーニアスがあっさりと言い捨てると、みるみる娘たちの顔が曇った。
「じゃあカラムは……」
「…何もないところに、火をおこすのは難しいですけど。何か火種さえあれば、星持ちじゃなくてもできると思います」
隣から聞こえたことばに、イーニアスは耳を疑った。
「お前、何を勝手に…!」
「やってみせましょうか?」
気色ばんだ声を上げかけたイーニアスには目もくれず、女性はハンナの手を取った。
「昨日のことで何か印象に残っていることはありますか?」
「え…えっと…。そこのキッチンから見た夕陽がとてもきれいで…」
ハンナの答えに女性はにっこりと笑う。
「なるほど。そのときは、感動で泣いたりしました?」
「え? してませんよ。きれいだなぁと思って、前ならカラムと二人で眺められたのに、と少し寂しくなっただけです」
イーニアスは二人のやりとりを見ながら、目の前のテーブルを蹴り倒さないよう自らの脚を律するので必死だった。
この地味で無能な女が、無駄な口をきき、無為な時間を使っている。この、俺の、大事な時間を消費し続けている。
「おい、いい加減…!」
無駄な口をきくな、と怒鳴りつけようとしたときだった。
「じゃ、いきます」
そっとつぶやいた女性が、瞳を閉じた。
―――な、に?
目の前で起こったことが信じられず、怒りさえ忘れてイーニアスは口を開けた。
例えるなら白い焔。瞳には映らないのに、ゆらゆらとその存在を示しながら、絶え間なく女性の手からハンナへと注ぎ込まれている。
火でも風でもない。きっとここにいる人間にはイーニアスにしか『視えて』いない魔力。
―――これが、“心”?
「あの、一体なにを…」
一人の娘が言いかけて、ぎょっと目を見開いた。
「どうしたの?!」
見ればハンナの頬はおびただしい涙で濡れ、次々と新しいものがこぼれてきている。
「…っあ、わ、私…」
「夕陽がとてもきれいで、この夕陽をカラムさんと見られないことがつらい。なのに、一人で見ていてもきれいと思えてしまうことがつらい」
宥めるように掌に触れる女性のことばに、こくこくとハンナは頷く。
「今ハンナさんが強く揺さぶられている感情は、もともとあなたの中にあったものです。そんなに激しいものではなかったけれど、少し衝撃を加えれば、大きなうねりになる」
ポケットから出したハンカチをハンナに渡しながら、女性は詫びた。
「すみません。手っ取り早くわかってもらうには、体験してもらうのが一番で。不愉快な体験でしたよね」
受け取ったハンカチを口元にあて、ハンナがふるりと首を振った。
咽ぶような涙は、女性が手を放したことで少しずつ治まってきたようだった。
「…いえ…、こんなことが…できるんですね…」
「はい。誰かを憎む気持ち、好ましいと思う気持ち、願望…。すでにそこにあるものなら、煽ってやることはできます」
ごく珍しいことですが、と前置きしながら女性は口を開く。
「“心”は正しい教育が長年成されてこなかった魔力です。ほとんどの人が、素養があったとしても気づいていません。ただ、中には自分の素養に気付き、自己流で研いている人もいないわけではない。…以前、そういう人に出会ったことがあります」
「…お前、まさか」
「ええ。会ってみないとわかりませんが。クレアさんが“心”を使える可能性がありますね」
茫然と問いかければ、にっこりと笑う焦げ茶の瞳を向けられ、そういえば初めてこの瞳を正面から見たとイーニアスはぼんやり思った。